絶えざるお助けの聖母を見て、そのまま。
このイコンはロシア正教ふうの、硬い描線の画像。
リナシメント以前のセミティクなつめたさが、まず第一印象でくる。
ラファエルロやレオナルド、ボッチチェルリなどの豊麗な聖母にくらべると、よほど「聖少女」の雰囲気をたたえる。
彼女の無表情に近いひややかさは、世俗の矛盾も汚れもしらない処女の潔癖ゆえか、などとかってに解釈している。
最初、その見透かすような上目づかいの視線、ちょっとこわい感じがしたけれど、毎日眺めていると、そのときどきによって表情をかえる。
今朝はさわやかにほほえんで見えた。
光のかげんだろうか。
わたしの内面の照り返しも……?
うたいなおし。
このごろ、自分の歌について、また迷う。素直に詠うことと、言葉を縒って紡ぎあげる、詩的ヴィジョンとのさかいめで。
技巧だけでなく。無理やりつくった歌はあとでがっかりするけれど。
わたしの横の聖母は、北国の針葉樹のようにすがしい。