叙情と瞑想

 

 最後に「タン」を付ける愛称があるらしい。私なら「チマタン」ってとこ。
 で、相棒に、「レビタンって綽名にしたら?」と言ったところ、相棒の奴、「レヴィタンを馬鹿にしとったらかんよ!」と、笑いながら本気で憤慨していた。ははははは。

 ロシアの風景画家、イサーク・レヴィタン(Isaak Levitan)は、サヴラソフの生み出した「ムード風景画(mood landscape)」の流れを汲む。が、当時の諸潮流にその才能を称えられ、彼のほうもそれら諸潮流から柔軟に吸収しながらも、最後までいずれにも属さずにいた。

 レヴィタンの絵は写実的ながらも叙情的で、のちには人間存在に対する哲学的な含意も感じさせる。人間の姿は描かれないが、人間の存在を思わせる、例えば道や小屋や墓標などが、必ず描かれている。
 明るい、澄んだ光と大気は、どこか稀薄で、それがいかにも北の国ロシアらしい。そうした光と大気に包まれた風景が、やはりロシアらしく、画面いっぱいに広大に広がりゆく。
 つつましい自然。せせこましさのない、静謐な時間と空間。画家自身と同様、その絵も、どこかメランコリックな孤高の雰囲気を持つ。こうしたレヴィタンの絵は、ロシア風景画の一つの到達点なのだという。

 レヴィタンは現リトアニアの、貧しいが教養あるユダヤ系の出身。ちょうど思春期に差しかかる頃、両親を相次いで亡くし、すでにモスクワ絵画彫刻学校で学んでいた彼は、一文なしの家なき子。どん底の極貧のなか、親戚や友人の家、学校の教室などを転々と泊まり歩いて暮らしたという。当然、授業料なんて払えなかったが、才能ある画学生だもの、学校側が免除してくれた。
 サヴラソフから、技法のほかにも、自然に対する真摯な姿勢を大いに学んだレヴィタン。サヴラソフの教室には、ロシア最初の印象派画家と言われるコロヴィンもいたが、コロヴィンが、フランス印象派に接してその描法に傾倒していったのに対して、レヴィタンのほうは、同じく印象派に接しても、あくまで写実主義を貫いた。

 レヴィタンは40歳で死んでいる。結構早い。

 作家チェーホフとの親交は有名な話。チェーホフには、画学生の兄の伝で、画家の友人が多かったのだそう。
 レヴィタンは足繁くチェーホフの家を訪れ、チェーホフの妹に恋したという。そのためレヴィタンは生涯独身だったとか。が、手紙や日記の類は、レヴィタン自身が臨終の際に焼却してしまい、よく分からないらしい。
 チェーホフが画家と人妻の恋愛沙汰の話を書いて、レヴィタンが激怒し、チェーホフは、レヴィタンほか数名の画家友人としばらく絶縁した、というエピソードも聞く。
 
 チェーホフとレヴィタンの作風は似ているそうだが、ま、あっさりしているところは似てるかも知れない。
 私は、レヴィタンは好きで、チェーホフのほうはあまり好きではないんだけれど。

 画像は、レヴィタン「静かな住処」。
  イサーク・レヴィタン(Isaak Levitan, 1860-1900, Russian)
 他、左から、
  「悠久の場所」
  「晩鐘」
  「春、水嵩の増した川」
  「晴れた日」
  「黄昏のイストラ川」
       
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