端麗甘口への逃避行

 

 根強い人気のラファエル前派。そのなかで、ラファエル前派の典型的画風を示すのが、エドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Burne-Jones)なのだという。
 
 神話や、イギリスの詩や文学を主題とした絵。現実味もなければ説教臭さもなく、あまりに甘くてセンチ、幼稚でさえある。概ね、端麗で穏健な画風で、悪く言えば面白味に欠ける。
 画面は平面的で、奥行きがない。その画面全体に、平明な光が、まんべんなく照らされている。意味あるモティーフが細部にまでちりばめられ、それらが平等に細密に描かれている。つまり、メリハリがない。色彩は華麗で透明。線はリズミカル。装飾的な要素が多用され、より審美的な仕上がりとなっている。
 ……つまり、バーン=ジョーンズの絵には、絵画自体の形式美が表現されているわけ。

 が、好みの問題だけれど、私はこの手の絵は苦手。ロセッティほど露骨じゃないにしても、やっぱり苦手。

 バーン=ジョーンズは貧しい小商人の子で、母親は彼を出産後まもなく死んだ。デザイン校の夜学に通うが、聖職を志してオックスフォードに入学。そこで、のちにアート・アンド・クラフト(美術工芸)運動を創始する、ウィリアム・モリスと親交を結ぶ。
 その後、ああ、ロセッティと知己を得て、彼の影響下、画家になるために神学を捨てることを決意、オックスフォードを去る。

 が、ラファエル前派の魅力が失せるなか、折りしもイタリアを来訪し、初期ルネサンス美術から暗示を受けたバーン=ジョーンズは、徐々にロセッティの影響から外れてゆく。その画風は、より審美主義的、象徴主義的となる。
 かつて聖職者を志した彼の美意識は、現実からの回避、過去への追想へと向かう。黄金時代的な、良俗的で模範的な絵。

 写実派や印象派が興こった、その同じ時期に、こうした流れが現われたのは、よく分かる。物質主義を嫌忌し、精神主義への回帰を求めた彼は、名声を追求せず、ひたすらに理想を求めて描き続けた。が、意に反して、国際的な名声を得てしまった。

 彼の絵を美の骨頂と評する人々もいるけれど、私にはやはり、教科書的な、無難すぎる絵に思える。

 画像は、バーン=ジョーンズ「薔薇の心」。
  エドワード・バーン=ジョーンズ(Edward Burne-Jones, 1833-1898, British)
 他、左から、
  「竜のもとへと連れられる王女サブラ」
  「ヴィーナス讃歌」
  「廃墟の恋」
  「パンとプシュケ」
  「黄金の階段」

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