ロシアより愛をこめて

 

 エストニア、タリンにあるカドリオルク美術館。宮殿がこじんまりとした美術館になっていて、特別絵に興味がない人でも楽しめると思う。
 ここは別名、海外美術館。エストニア以外の美術が展示されている。絵画は西欧とロシアのもの。ロシア絵画がここ海外ジャンルに収蔵されているところに、エストニアの誇りを感じなくもない。

 数年前に「国立ロシア美術館展」で、ロシア絵画を代表する移動派の絵がまとまって来日してくれたときには感激したものだが、以来、ロシア絵画への憧憬は醒めやらず、その鑑賞への渇望は募るばかり。
 で、カドリオルク美術館に来た私の主な目当ては、ロシア絵画だった。移動派の絵があるだろうと踏んで来たのだが、やっぱりあった。しかもクラムスコイまで! ……ほんの二部屋ほどなんだけど。

 「移動派(ピリドゥヴィージニキ、Peredvizhniki)」というのは、19世紀後半におけるロシアの絵画運動。

 主導者はもちろんクラムスコイ。卒業制作に歴史画を強要するペテルブルクのアカデミーの因襲に抗議して、決然と退学したクラムスコイほか14人の若き画学生たち。人呼んで「14の叛乱」の後、クラムスコイらが牽引し、1870年に結成したのが、「移動美術展協会」。「移動派」の名はこれに由来する。
 学術的にいろいろと細かく掘り下げるべきなのだろうが、専門家でない特権で、そうしたものをすっ飛ばして言ってしまえば、移動派というのは、ロシア最初の国民画派、そして、絵画におけるナロードニキ運動。

 絵画に限らず、それまでのロシア文化は西欧文化の輸入・模倣だった。が、移動派は、西欧化(=近代化)の担い手だった帝政とそのアカデミーへの対抗と相俟って、西欧的な画題を拒否し、ロシアそのものを取り上げようとした。
 官展への対抗として開かれたのが移動展で、文字通り、ペテルブルク以外の諸都市を展覧会が巡廻。これは民衆への啓蒙も意図したもので、事実、民衆社会に対して多大なる影響を及ぼした。

 ロシアを描くという移動派の理念は当然、当時のツァーリの圧政に虐げられた民衆に寄り添ったもの。ロシアの文学に感じるあの感覚的な印象、……広大無辺な大地、その懐に生きる貧しく無学な、けれども大らかで力強い民衆たち、大酒を飲み、一つところに集まって、わいわいと自説を述べ立てる民衆たち、思想もあればメルヘンもある生活。そういった感覚的な印象の内実であるはずの、ロシア民衆の生活や伝統、彼らが生きる自然風景、彼らが生きてきた信仰や歴史、そうしたものを移動派の画家たちは、理想と共感と愛着とをもって、生き生きとした豊かなリアリズムで描いている。
 もともとの派の批判精神に加え、国じゅうの才能ある画家らがこの流れにくみしたことで、その表現の幅は一気に広がり、アカデミーも認めるロシア画壇を席巻する一大勢力となった。

 私は移動派を抜きに、ロシア絵画を想像することができない。ロシア文学に感じるヒューマニズムを、移動派の絵にも感じる。
 理屈は間違うが感覚は間違わない、とすれば、移動派のヒューマニズムも、私にとっては正しいわけだ。

 画像は、クラムスコイ「年老いた農夫」。
  イワン・クラムスコイ(Ivan Kramskoy, 1837-1887, Russian)
 他、左から、
  レヴィツキー「森のなかの橋」
   ラファイル・レヴィツキー(Rafail Levitsky, 1847-1940, Russian)
  クズネツォフ「讃歌」
   ニコライ・クズネツォフ(Nikolai Kuznetsov, 1850-1930, Ukrainian)
  カサトキン「孤児たち」
   ニコライ・カサトキン(Nikolay Kasatkin, 1859-1930, Russian)
  ミャソイェドフ「ライ麦のなかの道」
   グリゴリイ・ミャソイェドフ(grigoriy Myasoyedov, 1847-1940, Russian)
  リトフチェンコ「アレクセイ皇帝の鷹をスケッチするイタリア人使節」
   アレクサンドル・リトフチェンコ
    (Alexander Litovchenko, 1835-1890, Russian)


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