ロシア写実風景画の道標

 

 サヴラソフも、相棒から教えてもらった。相棒のほうは、例によってCDジャケットから知った。
 
 アレクセイ・サヴラソフ(Alexey Savrasov)は「ロシア風景画の父」と言われる。彼の描いた「ミヤマガラスの飛来」という絵は、ロシア写実風景画の道標。この絵を知らないロシア人はいないという。
 
 西欧絵画の影響を色濃く受けてきたロシア画壇は、移動派の登場を待つまで、ロシア独自のモティーフを取り上げることがなかった。特に風景画がそうで、ロシアの風景はロシアではない、どこかもっと南の、おそらくイタリアあたりの、明るい陽射を想起させるものだった。
 サヴラソフの「ミヤマガラスの飛来」は、ミヤマガラスという、ロシアの春の訪れを告げる、ロシア独自のモティーフを初めて用いた、画期的な風景画として評価されている。春が近づくと小枝を運んで巣作りを始めるミヤマガラス。長い冬がようやく終わりを告げ、春が間近に来ていることを知らせる鳥。
 冷たさの残る稀薄な空、解けかけた雪でぬかるんだ土、そして、まだ芽吹かない、ぼうぼうとした樹の枝に群がるミヤマガラスたち。この、一見ぱっとしない風景に、ロシアに暮らす人々は初春を連想するのだという。

 サヴラソフは早くから絵を描き、幼くして絵画学校に入学、風景画に特化した。そして、当時のアカデミズムにはびこっていた、西欧偏重の伝統を乗り越え、これまでとは異なる新しいタイプの風景画を描き始めた。
 ロシアらしい茫漠とした、広大な大地。土臭いモティーフ。薄ぼやけた光。そうしたものを、庶民的で叙情的な、写実的ながらも感情を揺さぶる画風で描いたそれらの絵は、「ムード風景画(mood landscape)」というジャンルを生み出し、ロシア民衆から大きな人気を得た。先の「ミヤマガラスの飛来」があまりに有名になりすぎたため、同じく田園の早春に取材した、異なるバージョンの絵が多いけれど、彼の絵にはどれも、ロシアの自然に対する愛情が感じられる。
 若くして母校で教鞭を取り、レヴィタンやコロヴィンらを教えたサヴラソフ。彼の描法だけでなく、ロシアの自然を愛するという姿勢は、のちのレヴィタンら風景画家たちに引き継がれていく。

 詳しい事情は知らないが、晩年にはアルコール中毒に陥り、親戚や友人らの助力も虚しく、改善には向かわなかった。極貧のなか、貧民保護施設を転々とし、半ばのたれ死にのような、惨めな死に様だった。
 そして葬儀には、あれだけの著名な画家なのに、学校の門衛と、美術蒐集家トレチャコフだけしか参列しなかったという。

 日本じゃまだまだマイナーだけれど、ロシアは、絵画の宝庫だと思う。なのに現地に行かないと、なかなか観る機会がない。
 なら、現地まで行くしかない。視野いっぱいに広く開けた大地も、ついでに堪能しながら。

 画像は、サヴラソフ「ミヤマガラスの飛来」。
  アレクセイ・サヴラソフ(Alexey Savrasov, 1830-1897, Russian)
 他、左から、
  「ヤロスラヴリの雪解け」
  「冬」
  「早春、雪解け」
  「スハリョフの塔」
  「虹」 

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