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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

印象、桃頬

2011-12-10 | 月影と星屑
 

 ロシアの小説を読んでいた相棒が、そういう記述があると言って、訊いてきた。
「チマルさん、セロフって画家、知ってる?」

 知ってるよ、有名だよ、セロフ。特に、桃を持った女の子の絵がさ。
「そう、それそれ!」
 その箇所を読んでもらったけど、う~む、やっぱり小説家の眼というのは、対象をどこまでも深く掘り下げるもんだな。
 その絵、タイトルが桃で、女の子も実際桃を持ってるんだけど、この桃が全然、桃色じゃないんだよね。その代わりに女の子の服が桃色なんだよね。で、女の子の頬っぺたが、桃毛まで生えた熟れた桃みたいな頬っぺたなんだよねえ。……

 ヴァレンティン・セロフ(Valentin Serov)。両親はともに作曲家。が、父親は早くに死んでしまい、未亡人はちっちゃなセロフ坊やを連れてヨーロッパへ移る。
 で、パリでは同地に遊学中の、かの有名なロシア人画家レーピンと交流。レーピンはセロフ少年を大層可愛がったとか。

 まもなく母子は、鉄道王マモントフに招かれて、アブラムツェヴォの芸術家村に移る。そこで再びレーピンから、否、レーピンと言わず多くの最良の画家たちから、セロフは絵を学ぶ機会を得る。
 こんな幸運に恵まれたら、画才は伸び放題に伸びるしかない。セロフ少年は歳上画家らと競うなか、モデルの外観を素早く、確実に捉える早熟のデッサン力を身に着ける。ああ、のどかで楽しいアブラムツェヴォの生活よ!

 アカデミーに入学するが、パリへの旅行でフランス印象派を知ったセロフは、陽光が斑な光と影のハーモニーとなって画面に揺れる、色明るく鮮やかな、それでいてナチュラルな肖像画を描くようになる。
 上記の「桃と少女」の絵はその最初の作品で、ロシア印象派の始まりと言われる。マモントフの娘(多分)を描いたもの。
 フランス印象派など何のことやら、という当時のロシア画壇では、旧来からのリアリズム手法の画家たちが、あの斑点では画廊が梅毒に感染してしまう、とかなんとか、ブーブー文句を言ったとか。

 でもまあ、この感覚的な、新しいスタイルの人物画で、セロフは当時最も成功した肖像画家となった。著名な知識人、文化人たちを数多く描いている。

 画風の冒険はあまりなかったけれど、移動派や芸術世界派にも参加し、1905年、血の日曜日事件の際には、抗議の意味でアカデミーを脱退、民主的信条を表明した。立派、立派!

 画像は、セロフ「桃を持った少女」。
  ヴァレンティン・セロフ(Valentin Serov, 1865-1911, Russian)
 他、左から、
  「子供たち」
  「村」
  「十月、ドモトカノヴォ」
  「フィンランドの農場」
  「バレエ・シルフィールドを踊るアンナ・パブロワ」

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光と装飾の印象

2011-12-10 | 月影と星屑
 

 私がロシア印象派と聞いて最初に思い浮かぶのは、コンスタンティン・コロヴィン(Konstantin Korovin)。

 なんでかな。印象派周辺のアメリカ画家ジョン・シンガー・サージェントが、提灯を持った少女の絵を描いていて、コロヴィンにもそういう絵があるので、そのせいかな。私には何かの印象と共通する印象を結びつけて、自分本位にカテゴライズしてしまう癖がある。
 コロヴィン自身は、何らかの特定画派に括られることに抵抗したらしいが、彼の絵を観れば、素直に印象派を想起する。多分。

 コロヴィンは舞台装飾をしていた。なので彼の絵は、観者への効果を狙って描かれているのだと思う。主題は多様なのだが、そのいずれもに、表現力に富んだ豊かで伸びやかな色彩で、ロマンチックでデコラティブな趣が与えられている。

 モスクワの、独力立身の祖父が叩き上げた商家の生まれ。が、芸術にしか関心がない父は家業を継ぐも、祖父の死後まもなく破産。
 でもまあ、こんな父親のほうがコロヴィンにとってはよかった。彼は子供の頃から絵のレッスンを受け、美術学校へと進んでいる。弟セルゲイも、後に生まれる息子アレクセイも画家なので、そういう血筋なのだろう。ちなみに親戚には、イラリオン・プリャニシニコフ(Illarion Pryanishnikov)という同時代の巨匠までいる。

 学生時代は、サヴラソフやペロフら、公正で親切な教授たちに学び、同僚であるセロフやレヴィタンらと交流したというから、画力以上のものを会得した。が、新教授ワシーリイ・ポレーノフの影響力はさらに大だった。
 ポレーノフは、戸外制作という西洋(と言うかフランス)の外光派スタイルをロシアで最初に実践した移動派の画家。しかも芸術への愛情と造詣が深い、紛いなき知的インテリゲンチャ。

 彼はコロヴィンに、鉄道王マモントフの後援するアブラムツェヴォ派を紹介する。彼らはロシア伝統芸術の復興に努め、ロシアで初めてオペラを上演したりもした、ナショナリズム(=民族派)のグループ。
 コロヴィンがハマッたのは、この舞台美術という分野。すでにパリ旅行の際、印象派から衝撃を受けていたコロヴィンは、舞台に初めて印象派スタイルを取り入れたという。

 パリを旅すれば、オオッ! 南欧を旅すれば、オオッ! ロシア国内をコーカサスのほうまで旅すれば、オオッ! 北欧を旅すれば、オオッ! ……と、あれやこれやに感銘しまくって、その情景に憑かれたコロヴィン。移動派に参加、芸術世界派に参加、第一次大戦には軍司令部のカムフラージュ顧問として前線にも参加して、あれやこれやをこなしたコロヴィン。
 気の多かった彼だけれども、舞台美術への関心は一貫していて、アブラムツェヴォでもパリでも、十月革命以降はサンクトペテルブルクでも、生涯劇場を活動の場とし、演技の情感・情調を伝える装飾を手がけ続けた。

 後年は、心臓療養のためというが、パリに移り、二度とロシアには戻らなかった。
 一緒に連れて行った画家の息子、彼は幼少時の事故で両脚を切断した身障者なのだが、その彼が自殺してしまったり、個展を開いたものの作品がほとんど盗まれて一文無しとなったり、と、パリでの余生では結構悲惨だったらしい。

 画像は、コロヴィン「紙提灯」。
  コンスタンティン・コロヴィン(Konstantin Korovin, 1861-1939, Russian)
 他、左から、
  「ペレスラヴリの通り」
  「冬」
  「パリ、カフェ・ド・ラペ」
  「バルコニーの前」
  「バラとスミレ」
       
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青薔薇は散らず

2011-12-09 | 月影と星屑
 
 
 ロシア文化史では、19世紀末から20世紀初頭を「銀の時代」なんて呼ぶが、さらに革命前後までスパンを延ばすと「ロシア・ルネサンス」なんてタームも登場して、私みたいな中途半端な知識では、もう何が何やら。世紀末デカダンの象徴主義から、ロシア・アバンギャルドへと、連綿と続いていくらしい。
 で、そうした流れのなかで、20世紀初頭に活動した画家グループに、「青薔薇(Golubaya Roza)」というのがある。

 この青薔薇派は若い世代が集まったロシア象徴主義第2世代の画派で、彼らの実質上の主導者は、印象派もどきの象徴派始祖、ヴィクトル・ボリーソフ=ムサートフ。

 備忘のために記しておくと、パーヴェル・クズネツォフ(Pavel Kuznetsov)が、1904年、サラトフにて、ヴルーベリとボリーソフ=ムサートフを引っ張り込んで、「クリムゾン・ローズ(Alaya Roza)」という展覧会を開いたのが、その前身。花というシンボルを好む画家たちは、この展覧会をユリやヒヤシンスの花々で飾ったという。ちなみに、サラトフはボリーソフ=ムサートフの故郷。
 その後、ボリーソフ=ムサートフの死を挟んで、同じ信条を持つ若い画家たちが集まって、モスクワにて「青薔薇」として結成された。

 薔薇の色が深紅から青へと変わったのは、私が眼にした解説によれば、青はスピリチュアルなものを想起させるので象徴派チックだからだとか、ノヴァリスの詩が「青い花」だからだとか、いろいろ。

 主なメンバーは、リーダーのクズネツォフのほか、ピョートル・ウトキン(Pyotr Utkin)、ニコライ・クルィモフ(Nikolay Krymov)、ニコライ・サプノフ(Nikolai Sapunov)、マルティロス・サリャン(Martiros Saryan)、セルゲイ・スデイキン(Sergey Sudeikin)や、彫刻家のアレクサンドル・マトヴェーエフ(Alexander Matveyev)、銀行家のニコライ・リャブシンスキー(Nikolay Ryabushinsky)など。
 特に、リャブシンスキーの後援の強みで、雑誌「金羊毛(Zolotoye Runo)」まで刊行、結構精力的に活動した。

 青薔薇派の特徴としては、青、緑、灰などの寒色を中心とした狭い色域を好み、その色彩でリズミカルなトーンを作り出す。また、シンボル的な様式と形象を重んじ、輪郭を持ったフォルムを退ける。こうして漠とした、青い靄のかかったような、メランコリックでミステリアスな雰囲気が強調される。
 ……と、大抵の解説にはそうある。

 私の感想としては、上記の特徴は、青薔薇時代のクズネツォフに典型的に当てはまりはするが、まあそれだけ。けれども彼らの色彩は、概ねハーモニックかつリズミカルであり続け、興味深いものが多い。

 画像は、クズネツォフ「青い噴水」。
  パーヴェル・クズネツォフ(Pavel Kuznetsov, 1878-1968, Russian)
 他、左から、
  ウトキン「夜の積み藁」
   ピョートル・ウトキン(Pyotr Utkin,1877-1934, Russian)
  クルィモフ「春の雨あがり」
   ニコライ・クルィモフ(Nikolay Krymov, 1884-1958, Russian)
  サプノフ「青い紫陽花」
   ニコライ・サプノフ(Nikolai Sapunov, 1880-1912, Russian)
  サリャン「おとぎ話、愛」
   マルティロス・サリャン(Martiros Saryan, 1880-1972, Armenian)
  スデイキン「白鳥の湖」
   セルゲイ・スデイキン(Sergey Sudeikin, 1882-1946, Russian)

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光の詩人

2011-12-07 | 月影と星屑
 
 
 旧ロシア諸国を旅行して以来、TVロシア語講座なんかを観ている相棒、講師の恭子先生が、極東美術館にあるクインジの絵を紹介しているのを知って、
「チマルさん、クインジって画家、知ってる?」と訊いてきた。

 知ってるよ、結構有名だよ。
 アルヒープ・クインジ(Arkhip Kuindzhi)。移動派の風景画家なんだけれど、ちょっと変わってるんだよね。光の描写が独特で、光を帯びた風景が両腕を広げてこちらを抱きすくめようと迫ってくるような、幻惑的にロマンチックな情感があるんだよねえ。移動派の幅を広げた画家の一人だと思うな。

 生まれは黒海北方の内湾アゾフ海のほとりの町。貧しい靴屋の家に生まれ、おまけに両親とも幼少時に亡くしたクインジは、子供の頃から転々として働いた。
 なので正規の美術教育は受けず、もっぱら独学で絵を学んだというのだが、それでもアカデミーの授業に出入りし、海景画家アイワゾフスキーの教室で修行している。海はクインジの故郷であり、原風景(多分)。
 この間、アカデミー内で結成された移動派にも参加。アカデミーを離れるとフリーの画家となり、ヨーロッパを周遊して各国美術館の巨匠に学ぶ。

 そんなふうにして培われたクインジの絵だけれど、その画風は移動派のものとも、古典的巨匠らのものとも随分と異なる。
 基本、写実なのだが、濃密な色彩と鮮鋭な明暗が独特の光の印象を醸している。絵が光を放っているようで、奇妙と言えば奇妙なのだが、そこは画家の処理が巧みなのだろう、その奇妙さは却って幻想的で、ロマン派チックな静謐と神秘の叙情へと高められている。簡素な風景に、画家が与えた永遠のイリュージョン。

 この光と大気の独特の効果を駆使した画風は画壇の評判となり、彼のギリシャ系の名前の響きのエキゾチックさも加わって、驚嘆の的となって大衆の人気を得たという。誰によるのか、クインジの呼称は「光の詩人」。
 私の感想としては、クインジは「光の詩人」というよりは「光の魔法使い」だな。それも、錬金術師のような類の魔法使い。

 が、同僚画家たちだけは、クインジの錯覚を催す色彩に騙された気になったらしい。最も欲しい側からは評価を得られず、クインジはオープンに作品展示する場をすべて放り出してしまう。あるいは、将来才能が衰えてゆくのを見せたくない、とその最高潮で引っ込んだともいう。以後は、ごく親しい友人にしか絵を観せなかった。

 後年アカデミーで教鞭を取り、ニコライ・レーリヒ(Nicholas Roerich)、コンスタンティン・ボガエフスキー(Konstantin Bogaevsky)、アルカージイ・ルィロフ(Arkady Rylov)、ウィリヘルムス・プルヴィティス(Vilhelms Purvitis)ら、優秀な弟子たちの才能を育んだが、アカデミーに抗議した生徒たちを支持して首になった。
 が、その後も個人的に弟子たちを教え続け、彼らのヨーロッパ周遊費まで拠出。当のアカデミーにも、その利子を若い画家たちのために、と多額の贈与をし、死の前年にはクインジ美術協会を設立、絵と財産を寄贈した。
 光の詩人は、ちゃんと金の使い方も知っていた。立派、立派!

 画像は、クインジ「冬の森の月光の斑点」。
  アルヒープ・クインジ(Arkhip Kuindzhi, 1842-1910, Russian)
 他、左から、
  「夜」
  「北部」
  「ステップ」
  「破波と雲」
  「エルブルス山」

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古き貴族の美を求め

2011-12-05 | 月影と星屑
 
 
 ロシア文化史には「銀の時代」と呼ばれる時期がある。絵画史でもそうで、写実主義が全盛だった19世紀の「黄金時代」に続いて、19世紀末から20世紀初頭、象徴主義が席巻したこの時期を、「白銀時代」と呼ぶらしい。

 で、ロシア象徴主義絵画の創始者として、ミハイル・ヴルーベリと並ぶ画家としてしばしば指摘されるのが、ヴィクトル・ボリーソフ=ムサートフ(Victor Borisov-Musatov)だ、と解説にある。その後の象徴主義の流れに与する若い画家たちに、決定的な影響を及ぼしたらしい。
 が、日本ではボリーソフ=ムサートフの名はあまり眼にしないように思う。生没年を見ると35歳で死んでいる。

 ボリーソフ=ムサートフの絵は白が眼につく。花だったり、女性の衣装だったり、屋敷だったり、空だったりするのだが、とにかくその白色が心象として残る。彼の用いる中間色と合わさると、白というよりは銀に見える白。白昼夢的で、描かれた光景ののどかさ、上品さに心を緩めて観ていると、ふとぞっとなるような、そういう類の白。

 彼が描くのは、実際にはおそらく晴朗な、けれども画家を通して描かれてみると独特の希薄な陽光に照らされた、ロシア旧来の田園の情景。一人あるいは少数人のノーブルな女性たちが夢想、逍遥、談笑している。
 そのイメージはブルジョアジーではなく貴族なのだという。が、彼の父親は農奴出身の下級鉄道員、彼自身も借金と鬱症状を抱えた病弱画家なのだから、案の定、これは半分現実、もう半分は彼の想像によるらしい。
 消え行く古い貴族世界の美、彼はそれを一途に追い求め、平坦なフォルムと壁画チックなレトロの色調で、微妙なきらびやかさのなかに、存在し得ぬ幸福への憂愁とともに、描き出した。
 
 パリにて同時代のフランス絵画、特にフランス象徴派の父と称されるピュヴィ・ド・シャヴァンヌの、暗喩的で夢幻的な装飾と調和の情景に、大いに感化されたというが、ボリーソフ=ムサートフの内的心象世界は、シャヴァンヌ以前からのものであるように感じる。 

 ゆったりとした服装と姿勢の自画像がある。顔はゴッホあるいは中田英寿に似ている。
 この余裕のある服装と姿勢は、彼の肉体的欠損をカバーするためかも知れない。彼の背中は傴僂のように、瘤を持って曲がっていたという。子供の頃、下手に落ちるか転ぶかして、脊髄を損傷してそうなった。
 気の廻る両親は、彼が抱いていた絵画への愛情を育ませることで彼の人生を励ました。絵のレッスンを受けるようになった彼は、数年後には美術学校に入学する。

 パリに発つ前の「5月の花」という作品は、アカデミー当局から不興を買い、デカダンの烙印を押された問題作。この初期の頃からすでに、ボリーソフ=ムサートフは装飾本位の描写を追求していたのだが、頭が固くセンスも古い当局からは、その装飾性が邪魔して対象を描き分けるのに失敗している、とかなんとか、けちょんけちょんにけなされた。
 が、同時代のロシアの同僚画家たちからは絶賛され、こうしてボリーソフ=ムサートフは、ロシア絵画の新しい時代のリーダーと目されるようになった。

 パリから帰国後まもなく、当時多くの芸術家たちを襲った黙示録的感覚、“世紀末ノスタルジア(fin de siecle nostalgia)”と呼ばれる鬱状態に陥った彼は、自分を取り巻く汚辱と倦怠のプチブル生活を嫌忌し、これまで追い求め、作り出してきた絵画世界のなかへと逃避していく。
 ようやく評価されそうになったとき、心臓発作で呆っ気なく死んでしまった。

 画像は、ボリーソフ=ムサートフ「春」。
  ヴィクトル・ボリーソフ=ムサートフ
   (Victor Borisov-Musatov, 1870-1905, Russian)

 他、左から、
  「五月の花」
  「二人の婦人」
  「青衣の貴婦人」
  「妹といる自画像」
  「レクイエム」

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