ロシアの耽美

 
 
 ロシア絵画と聞いて、私が移動派の次に思い出すのが、いわゆる「芸術世界派」。「芸術世界(ミール・イスクーストヴァ、Mir Iskusstva)」という文芸雑誌の刊行と、雑誌主宰で開催された展覧会とによって、ロシア画壇をリードした。

 19世紀末のペテルブルク。かつてアカデミーに叛逆した移動派は、今や画壇の主流を占め、アカデミーにも復帰。が、もはや往年の輝きは失せていた。
 そこへ颯爽と「芸術世界」が創刊される。主宰者セルゲイ・ディアギレフ(Sergei Diaghilev)は、学生だったアレクサンドル・ブノワ(Alexandre Benois)、レオン・バクスト(Leon Bakst)とともに、その昔移動派がそうしたようにアカデミーに叛旗を翻し、凋落しつつある移動派を批判、芸術至上主義と芸術家の個人主義とを宣言する。

 ディアギレフというのは、裕福で芸術的な環境に育ち、その芸術の教養はずば抜けていたらしい(実際、頭もでかかった)。師リムスキー=コルサコフに「作曲の才能がない」と宣告されるまでは音楽を志し、かのチャイコフスキーとは遠縁でもあったという。
 同性愛者だった彼は、相手を一流の芸術環境に置くことでその資質を伸ばそうとしたのだとか。

 で、移動派の理念が、絵画を介してロシア民衆を啓蒙するという、ロシアに根差した運動だったのに対して、芸術世界派の理念は、ずばり“美の崇拝と祝祭”。
 移動派が西欧偏重の傾向を拒絶したのとは反対に、芸術世界派は西欧と直結している。彼らは西欧とロシアとの異文化交流の架け橋。一方で、西欧の新しい芸術運動だった印象主義や象徴主義をロシアに紹介し、他方で、ロシアの新進芸術家を西欧に紹介した。

 俄然、ロシア画壇には耽美な象徴主義の新風が吹き荒れる。後に「ロシア美術家連盟」に改まった芸術世界派は、すでに移動派によって十分培われたロシアの豊かな土壌で、あらゆる才能ある新ロマン派画家を発掘、糾合する流れとなる。

 ディアギレフが有名なのは、「バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)」のプロデューサーとしてだろう。私はバレエについてはよく分からないのだが、斬新な演出で当時のパリの度肝を抜いたという。
 彼にとって総合芸術だったバレエに、芸術世界派の画家たちも舞台美術において貢献した。

 質実で律儀なところに叙情を感じさせる移動派の絵に比べると、芸術世界派の絵は概ね、戯れるような、おどけるような、けれどもどこか滑稽な、刹那的な、そしてメルヘンチックな、ノスタルジックな絵。……あちらの絵もいいけど、こちらの絵もいい。観る側って浮気者だな。
 ロシア絵画の黄金時代が移動派だけで終わらなかったところに、ロシアの土壌の深さ、豊かさ、本物さを感じる。

 画像は、バクスト「ナルシス、バッカスの巫女のためのデザイン」。
  レオン・バクスト(Leon Bakst, 1866-1924, Russian)
 他、左から、
  ブノワ「中国の阿舎」
   アレクサンドル・ブノワ((Alexandre Benois, 1870-1960, Russian)
  ブノワ「イタリア喜劇、下品な道化師」
  ブノワ「“ペトルーシュカ”のための舞台装置」
  バクスト「土砂降り」
  バクスト「イスカンダル、パレエ“ペリ”のための衣装」

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