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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

ロシアのブーグロー

2011-12-15 | 月影と星屑
 
 
 アレクセイ・ハラモフ(Alexei Harlamoff)という画家は、ロシアの甘美で可憐な少女たちを描いた。人呼んで、ロシアのブーグロー。……って、私が勝手に呼んでるだけなんだけれど。

 男性は女性に、聖母マリア的な母性と、イブ的な官能とを求める、と聞いたことがある。私はもう一つ、少女への憧憬があると思う。宮崎駿しかり、おおた慶文しかり。
 それぞれを切り離して、各々を別々の女性たちに求める男性が多いようだが、女性は一人で一つの人格なのだから、女性という存在は、母性と官能と純潔が三位一体となっている、多分。

 それはさておき、美を描く絵画においては当然、純粋で無垢な少女像は一つのテーマとなってくる。

 すべての国を見たわけじゃないけれど、ロシア諸国の若い女性たちはみんな本当に美しい。あまり美人な顔立ちでない人も十分に美しいし、太った人も十分に美しい。
 それがお婆さんにまで歳を取ってしまうと、肌は萎んで皺くちゃ、背は縮こまり、その分、身体全体が肉まんのように膨らんでしまって、美人の面影なんて影も形も消えてしまう。ただ、眼だけは独特の奥深さがあって、ああ、きっとこの人も若い頃は美しかったのだろう、と感じさせる。
 なので、少女たちの美というのは、ロシア諸国ではいっそう、花のような、はかなく短命なものなのかも知れない。

 ハラモフはそうした少女たちの美を描いた。彼女らを飾るのはただロシア的な衣装、ロシア的な顔立ちだけ。打ち解けた肖像は田園詩的で、とにかく美しい。

 経歴だけ見ると、つまらない画家。ロシア絵画史の面白い時期に、何をやっていたんだか。
 ヴォルガのほとり、サラトフ近郊の村で、農奴の家に生まれるが、やがて一家は解放され、自由民となる。
 14歳で早熟の才能を見せ、サンクトペテルブルクの美術アカデミーに入学。あとは一路、ただただ着々と、アカデミー画家としての名声の道を歩んでいく。
 金メダル、奨学金、パリ留学、と型どおりの出世街道。徐々に肖像画の才を現わすようになり、数々のタイトルを獲得、ツァーリの肖像画を描く栄誉にも浴し、欧米の富裕層から人気を得、……云々。
 
 パリでは貴族作家ツルゲーネフと親交を結び、のちにゾラが称賛したという彼の肖像画も手がけている。オペラ界のルイ&ポーリーヌ・ヴィアルド夫妻に頻繁に招待され、ポーリーヌの肖像画も描いているが、夫妻の住居の最上階には、ポーリーヌに一目惚れして以来彼女を追ってパリに移り住んだという、このツルゲーネフが居座っていた。
 終生、ヨーロッパとロシアを行き来して暮らしたツルゲーネフに倣って(?)、ハラモフもヨーロッパに居住、時々ロシアに帰国、という生活を送ったらしい。

 毎度毎度、帝国アカデミー官展に出品していたハラモフだが、やがて、ロシア帝国内のあらゆる人材が集まりつつあった移動派展にも参加した。このとき、かのクラムスコイに、「君のために勧めるんだがね、君は官展から我々移動派展へと移ってくるべきだよ」とかなんとか力説されたらしい。
 クラムスコイをそう言わしめたのは、やはりあの、ロマンチックでナチュラルでロシアンな少女像だったと思う。

 これがなければ、本当につまらないだけの画家だった。

 画像は、ハラモフ「夏季」。
  アレクセイ・ハラモフ(Alexei Harlamoff, ca.1840-ca.1925, Russian)
 他、左から、
  「赤いボンネット」
  「少女像」
  「少女像」
  「赤いショールの少女」
  「ロシア美人」
       
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赤い衣装の村娘

2011-12-14 | 月影と星屑
 

 移動派のメンバーに、アブラム・アルヒーポフ(Abram Arkhipov)という画家がいる。

 マイナーな画家なんだろうか、他の画家ほど、画像や解説がヒットしない。でも私には強烈に印象が残ってるんだ。鮮やかな赤い伝統衣装を着た村の娘さんたちが、日溜まりでキャイキャイお喋りしている絵を眼にしてからは。
 こういう絵に出くわすと、相棒が茶化す。
「何、チマルさんの作るクマって、これがクマになっただけじゃない」
 ……うう、私のテディベアって、ロシアの格好をしてるんだよね。

 移動派と言っても、若い世代に属するアルヒーポフ。彼らは、伝統的なリアリズムから恩恵を受けつつも、印象派やら象徴派やら、当時のモダニズムをどんどん取り入れて、表現の幅を広げていった世代。アルヒーポフもそうだった。

 リャザン地方の辺鄙な農村の、貧しいロシア正教徒の農民の生まれ。それでも両親は惜しみなく財産を掻き集め、彼を美術学校に送ってくれた。
 実り多きモスクワ時代。同窓はネステロフやリャブシキンたち。民衆生活の率直な描写を、敬愛するペロフから学び、陽光あふれる喜びに満ちた表現をポレーノフから学んで、やがて見聞と修行の旅に出る。
 ヴォルガ河畔の村々に滞在しながら村人たちの生活を描くなかで、アルヒーポフは、奔放で大胆な筆遣いで光のリズムをリリカルに描き出す、新しい表現スタイルを身に着けていった。移動派に参加する頃には、それはますます生き生きと闊達になる。

 アルヒーポフの描く主題は、農民たちの生活。ロシアの農村とそこに暮らす農民たちが、彼の霊感の豊かな源泉。

 そりゃあレーピンのような先達はいくらでもいた。が、そんなふうには描かなかった。
 19世紀末の絵は、一種の印象風景だった。労働や談笑、人々が何をしているのかは分かる。それは確かに重要な背景ではある。が、あらゆる枝葉は無視されている。関心はあくまで人々にあり、人々の織り成す情景にある。
 陽光のもと、開かれた大地で、人々は民話や民謡のように、自然に馴染み、溶け込んでいる。

 リャザンやニジニ・ノヴゴロド地方の農婦たちを描いた連作がある。彼女らは刺繍の施されたスカーフを頭に巻き、ビーズのロザリオを首に垂らして、鮮やかな伝統衣装で着飾っている。朗々とした赤やピンク、オレンジ、黄が眼を惹くが、色彩自体は抑えられている。
 描かれた情景に内在する微妙なニュアンスは、決して物語までを想起させず、ただ日々の単純な喜びだけを強調する。これが、アルヒーポフが到達した一つの絵画世界だった。

 画像は、アルヒーポフ「訪問」。
  アブラム・アルヒーポフ(Abram Arkhipov, 1862-1930, Russian)
 他、左から、
  「洗濯女」
  「オカ川のほとり」
  「農村の娘」
  「赤いショールの農婦」
  「日没の冬景色」 
       
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ロココへの追想、ヴェネツィア風

2011-12-13 | 月影と星屑
 

 コンスタンティン・ソモフ(Konstantin Somov)の絵は、男性のヌードがひときわ眼を惹く。しかも色っぽい。逞しい男もなよやかな男も、萎えたペニスをぺろんと垂らして、しどけなく横たわっている。
「ソモフって、ゲイかな」
「ゲイだよ、うん」
 で、確かめてみたら、やっぱり同性愛者だった。

 芸術世界派が耽溺、崇拝した美の世界を最もよく表わしているのは、ソモフの絵のように思う。

 18世紀のギャラント(=雅)なフランス・ロココへの回帰。白い鬘をつけた宮廷衣装の紳士淑女が、緑滴る庭園で演じる情事。謝肉祭や即興喜劇のヴェネツィアンな仮面をつけた貴婦人たちと、彼女らを口説くアルルカン(=道化師)、そして夜空には花火が光跡を引いて、星屑のように消えていく。
 有閑な貴族たちの瀟洒な愛と戯れの日常は、アンティミスム的な親しみと、ワトー的なはかなさ、物悲しさを感じさせる。

 父はエルミタージュ美術館の学芸員も務める美術史家、母は音楽家、家には膨大な絵画コレクションと蔵書、芸術家たちが客人として頻繁に出入りする、という家庭の生まれ。ソモフ自身、早くから絵とピアノと歌を習って育つ。
 少年時代からの友人、アレクサンドル・ブノワとは、アカデミー在学中にも盛んに交流した仲。彼を通じてディアギレフやバクストを知ったソモフは、のちに彼らが結成した「芸術世界」にも加わった。

 アカデミーではレーピンに師事したが、彼の嗜好はリアリズムの理念からはかけ離れていた。彼を魅了したのはロココのモード。ワトーやフラゴナールの優美な絵画、ラモーやグルックの流麗な音楽。
 ソモフの描く、白樺林で愛し合うロシア衣装の男女は、やがて庭園で愛し合う宮廷衣装の男女へと変わっていく。自分のテーマとスタイルを自覚してアカデミーを去り、ブノワらがすでに発っていたパリへと向かった。

 「芸術世界」での活動のなかで、ソモフの描く愛し合う男女は、ヴェネツィアのカーニバルの仮面を着けた貴婦人とアルルカンへと姿を変える。その軽妙な主題に合わせて、ソモフが好んだ質感は、水彩やグワッシュ。
 こうして現われたのは、舞台的な、ちょっぴりおどけた、夢見るようなメランコリー。はしたないラブシーンがあっても、それは人形劇のようで、肉感さがない。

 十月革命後はアメリカに移住したが、たった1年でパリへと舞い戻る。僕の芸術はここじゃまったく余所者だ、と言って。……そりゃそうだ。

 画像は、ソモフ「恋するアルルカン」。
  コンスタンティン・ソモフ(Konstantin Somov, 1869-1939, Russian)
 他、左から、
  「仮面舞踏会」
  「貴婦人とピエロ」
  「青い鳥」
  「公爵夫人の挿画本」
  「うたた寝」
       
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陽光のロシア風景

2011-12-12 | 月影と星屑
 

 ロシアの移動派のうち、ワシーリイ・ポレーノフ(Vasily Polenov)の絵は、古典的伝統的な写実スタイルを堅持しつつも、その色彩はひときわ明るく照り輝いている。彼は、戸外制作というスタイルを初めてロシアに持ち込んだ画家。

 外光派(プレネリスム pleinairisme)というのは、戸外(plein-air)制作によって、陽光のもとでの自然の色彩を率直に描出することを重んじる傾向全般なのだが、特に、印象派の影響から、そうした姿勢と効果を追求した印象派以外(概ねアカデミズム)の傾向を指して使う場合が多い。描写は従来からの堅実なリアリズムなのに、色彩は印象派並みに明澄で新鮮、という折衷が、概ね外光派。
 で、ポレーノフの絵にそうした特徴があるのは、フランスに滞在中、バルビゾン派から洗礼を受けたから。帰国後、ロシアで最初に戸外制作を実践した画家となった。

 文化・芸術を重んじる知的な家系で育ったポレーノフ。ヒューマニストでジェントルマン、温和で謙虚で敬虔で、けれども絵画への愛情は紛いない。
 アカデミーの同僚で友人のラファイル・レヴィツキー(Rafail Levitsky)と、屋根裏部屋に共に住まい、共に制作した独身時代。この下宿の娘さんは、のちに友レヴィツキーの妻となった。ああ、青春!

 アカデミー給付生としてヨーロッパに渡り、アカデミズムの精神であらゆる画題をこなすが、一番愛したのは風景画。フランスでバルビゾン派と邂逅して以降は、絵に光の色彩が闊達な筆致で与えられるようになる。
 画家として従軍した露土戦争からの帰還後に、移動派に参加。ロシアの自然と文化には独特のリリシズムがあり、移動派のリアリズムはそれをよく描き出しているのだが、そうしたロシアの詩的な叙情性を、ポレーノフは日常の穏やかな陽射しのなかに表現した。
 後年はパレスチナまで中東を旅行し、キリスト・シリーズを描いているが、白眉なのはやっぱり静かなるロシアの風景。

 モスクワ近郊のトゥーラには、彼の名にちなんでポレーノヴォと呼ばれるようになった村に、彼の美術館がある。
 う、う、ロシア絵画、浅く済ましても幅が広すぎてきりがない。

 画像は、ポレーノフ「モスクワの庭」。
  ワシーリイ・ポレーノフ(Vasily Polenov, 1844-1927, Russian)
 他、左から、
  「白樺林の小道」
  「古い水車場」
  「雑草の茂った池」
  「早雪」
  「祖母の庭」
       
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アール・ヌーヴォーなロシア民族ロマン

2011-12-11 | 月影と星屑
 
 
 ロシアには訪れたいところがいくつかあって、モスクワ近郊のアブラムツェヴォもその一つ。ここは鉄道業で財を成したサヴァ・マモントフの地所で、19世紀後半には、ロシアの伝統芸術・文化の復興を目指して、数々の画家、音楽家等々が集まった芸術家村だった。
 ん~、ロシアじゃ旅行ビザと事前の宿泊手配が要るんだよね。アバウトな旅程の自由旅行をしつけているので、そんな旅行はしづらいよ。旅行ビザ以外のビザを取る? 政情が変わるまで待つ? ……考え中。

 もともとは作家アクサーコフの領地で、ゴーゴリやツルゲーネフらがたむろしていた作家村。アクサーコフの死後、鉄道王マモントフが結婚を機に別荘地として買い取り、工房や舞台を作って、広く芸術家たちを呼び集めた。

 マモントフ自身が触発されたのは、イギリスのウィリアム・モリスが提唱したアーツ・アンド・クラフツ(美術工芸)運動。生活と芸術との統一を求め、中世からの手工芸を見直そうというのが、モリスの主張。よし、ここアブラムツェヴォをロシア民芸運動の地に!
 一方、19世紀半ばの西欧周辺、特にスラブやスカンジナビアでは、民族的アイデンティティの喚起と相俟って、独自の伝統文化を復興する、民族派ロマン主義(National Romanticism)の動きが広まっていた。こうしたスラヴ民族主義の流れのなか、中世にまで遡ってロシアの民俗モティーフが見直され、その作品にふんだんに取り入れられることになる。

 で、西欧では、アーツ・アンド・クラフツ運動はアール・ヌーヴォーへと発展していったのだが、こちらアブラムツェヴォでは、アール・ヌーヴォーの香り漂うロシア民俗芸術の再興となる。つまり、ロシアン・アール・ヌーヴォー。

 絵画では、レーピン、レヴィタン、ポレーノフ、ヴルーベリ、ヴァスネツォフ兄弟、セロフ、コロヴィン、ネステロフら。また、ロシア初の歌劇団が結成され、オペラを上演。作曲家のチャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、ボロディンらが参加した。

 あと、マトリョーシカ。マモントフの妻エリザベータが近隣の村々の子供たちに工芸を教えるための学校を設立。彼女は日本のコケシだかダルマだかの入れ子人形からアイディアを頂戴して、マトリョーシカを考案したのだという。
 マトリョーシカって、ロシアの伝統工芸かと思いきや、たった百年ぽっちの歴史しかなかったんだねえ。

 画像は、ポレーノフ「アブラムツェヴォの池」。
  ワシーリー・ポレーノフ(Vasily Polenov, 1844-1927, Russian)
 他、左から、
  レーピン「アブラムツェヴォの橋」
   イリヤ・レーピン(Ilya Repin, 1844-1930, Russian )
  ヴァスネツォフ「アブラムツェヴォの樫林」
   ヴィクトル・ヴァスネツォフ(Viktor Vasnetsov, 1848-1926, Russian)
  コロヴィン「アブラムツェヴォのせせらぎ」
   コンスタンティン・コロヴィン(Konstantin Korovin, 1861-1939, Russian)
  セロフ「アブラムツェヴォの冬」
   ヴァレンティン・セロフ(Valentin Serov, 1865-1911, Russian)
  グラバーリ「アブラムツェヴォの垣根」
   イーゴリ・グラバーリ(Igor Grabar, 1871-1960, Russian)
       
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