古き貴族の美を求め

 
 
 ロシア文化史には「銀の時代」と呼ばれる時期がある。絵画史でもそうで、写実主義が全盛だった19世紀の「黄金時代」に続いて、19世紀末から20世紀初頭、象徴主義が席巻したこの時期を、「白銀時代」と呼ぶらしい。

 で、ロシア象徴主義絵画の創始者として、ミハイル・ヴルーベリと並ぶ画家としてしばしば指摘されるのが、ヴィクトル・ボリーソフ=ムサートフ(Victor Borisov-Musatov)だ、と解説にある。その後の象徴主義の流れに与する若い画家たちに、決定的な影響を及ぼしたらしい。
 が、日本ではボリーソフ=ムサートフの名はあまり眼にしないように思う。生没年を見ると35歳で死んでいる。

 ボリーソフ=ムサートフの絵は白が眼につく。花だったり、女性の衣装だったり、屋敷だったり、空だったりするのだが、とにかくその白色が心象として残る。彼の用いる中間色と合わさると、白というよりは銀に見える白。白昼夢的で、描かれた光景ののどかさ、上品さに心を緩めて観ていると、ふとぞっとなるような、そういう類の白。

 彼が描くのは、実際にはおそらく晴朗な、けれども画家を通して描かれてみると独特の希薄な陽光に照らされた、ロシア旧来の田園の情景。一人あるいは少数人のノーブルな女性たちが夢想、逍遥、談笑している。
 そのイメージはブルジョアジーではなく貴族なのだという。が、彼の父親は農奴出身の下級鉄道員、彼自身も借金と鬱症状を抱えた病弱画家なのだから、案の定、これは半分現実、もう半分は彼の想像によるらしい。
 消え行く古い貴族世界の美、彼はそれを一途に追い求め、平坦なフォルムと壁画チックなレトロの色調で、微妙なきらびやかさのなかに、存在し得ぬ幸福への憂愁とともに、描き出した。
 
 パリにて同時代のフランス絵画、特にフランス象徴派の父と称されるピュヴィ・ド・シャヴァンヌの、暗喩的で夢幻的な装飾と調和の情景に、大いに感化されたというが、ボリーソフ=ムサートフの内的心象世界は、シャヴァンヌ以前からのものであるように感じる。 

 ゆったりとした服装と姿勢の自画像がある。顔はゴッホあるいは中田英寿に似ている。
 この余裕のある服装と姿勢は、彼の肉体的欠損をカバーするためかも知れない。彼の背中は傴僂のように、瘤を持って曲がっていたという。子供の頃、下手に落ちるか転ぶかして、脊髄を損傷してそうなった。
 気の廻る両親は、彼が抱いていた絵画への愛情を育ませることで彼の人生を励ました。絵のレッスンを受けるようになった彼は、数年後には美術学校に入学する。

 パリに発つ前の「5月の花」という作品は、アカデミー当局から不興を買い、デカダンの烙印を押された問題作。この初期の頃からすでに、ボリーソフ=ムサートフは装飾本位の描写を追求していたのだが、頭が固くセンスも古い当局からは、その装飾性が邪魔して対象を描き分けるのに失敗している、とかなんとか、けちょんけちょんにけなされた。
 が、同時代のロシアの同僚画家たちからは絶賛され、こうしてボリーソフ=ムサートフは、ロシア絵画の新しい時代のリーダーと目されるようになった。

 パリから帰国後まもなく、当時多くの芸術家たちを襲った黙示録的感覚、“世紀末ノスタルジア(fin de siecle nostalgia)”と呼ばれる鬱状態に陥った彼は、自分を取り巻く汚辱と倦怠のプチブル生活を嫌忌し、これまで追い求め、作り出してきた絵画世界のなかへと逃避していく。
 ようやく評価されそうになったとき、心臓発作で呆っ気なく死んでしまった。

 画像は、ボリーソフ=ムサートフ「春」。
  ヴィクトル・ボリーソフ=ムサートフ
   (Victor Borisov-Musatov, 1870-1905, Russian)

 他、左から、
  「五月の花」
  「二人の婦人」
  「青衣の貴婦人」
  「妹といる自画像」
  「レクイエム」

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