森のツァーリ

 

 亡き友人が、「どこか、森と湖しかないところで、何かに没頭できたら最高だろうな」と言ったことがある。
 それ以来私は、森と湖しかない地を探し続けている。きっとそこが私の暮らすべき地なのだ、そんなふうに思い続けている。
 
 彼の母親が19歳で結婚したと聞いたとき、私は、あまり深く考えもせずに、彼のそばで19歳になれたら、と思った。そしてその瞬間、ビジョンを、枝を大きく張り広げた小暗い木立の下で、それまで背中を見せていた彼が、突然、19歳の私を振り返ったビジョンを見た。
 ……実際に、私が19歳のとき、小暗い木立の下で突然私を振り返った人物は、亡き友人ではなかったんだけれど。
 このことも小説に書かなくちゃいけない。

 イワン・シシキン(Ivan Shishkin)は相棒、一押しの画家。この画家は森の絵しか描かない。
 ロシア風景画家のなかでも絶大な人気を誇るシシキンの絵は、ロシア民族の心の故郷なのだという。

 大自然のなかで育ったシシキンは、長いあいだ煮え切らずにいた父親から、ようやくの支援を得て、アカデミーで絵を学び始める。絵の技量はメキメキ上達し、奨学生としてヨーロッパを歴訪。
 ちょうど、クラムスコイらがアカデミーの権威と偏重に強く反撥した時代。きっとシシキンは、自由への期待を胸に、異国へと旅立ったのだろう。が、次第に、ヨーロッパにおける風景画の権威主義に幻滅を感じ、望郷の思いにとらわれるようになる。
 
 ロシアに帰国後、クラムスコイらの組織する移動派に参加。シシキンの取り上げる主題は、ロシアそのものとも言える、森とその樹木たち。で、付いた綽名が「森のツァーリ」。

 シシキンはロシアの自然を愛し、優れたモデルとして称え、学術的にも研究して、陽光あふれる明快なその姿を、細部にわたって描き上げた。自然の持つ美しさ、優しさ、力強さを、自然そのものを、飾らずに描くことで表現したそれらの絵は、どれもが、ロシアの自然への崇高な讃歌となっている。
 孤独なオークの木さながらの、生きとし生ける世界に対する愛情と、人間に対する諦観とが感じられる、切ないくらいに懐かしい、森の風景。
 シシキンの、自然主義的な耽美主義とも言うべき、独自のスタイルは、その後の若い画家たちに多大な影響を与え、ロシア風景画の古典ともなった。

 シシキンは、二度恋に落ちて結婚し、二度とも妻に先立たれている。なのに、その絵には悲嘆も苦悩も感じられない。
 なぜ、そんなふうに描くことができるんだろう。私なら耐えられない。

 画像は、シシキン「森の傾斜の流れ」。
  イワン・シシキン(Ivan Shishkin, 1832-1898, Russian)
 他、左から、
  「雨のオークの森」
  「白樺林の小川」
  「秋」
  「森の外れ」
  「冬」

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