千恵子@詠む...................

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獄中と結ぶ訴訟を牽引す 筒井修よ宇賀神しゃこと

2020年03月30日 | 詠む

あの本人訴訟シンフォニーの指揮者だったんよ。

しゃこ原告の追悼文。

死刑廃止「フォーラム90」からの転載。  -----

追悼 筒井修 そこに筒井さんがいた

宇賀神寿一

東アジア反日武装戦線の獄中者の救援も支えてくれた筒井修さんが一月一八日に亡くなられた。

斎場で私が所在なげに待っていると・・・。

『父は、どんな人でした?』と筒井さんの娘さんからふいに聞かれたのだった。常日頃のシャイな私なら、口をモゴモゴさせながら、しどろもどろな受け答えをしていただろうが、その時の私は即座に応答していた。『あなたのお父さんに私たちはどれだけ支えられたか分かりません。』

そうなのだ。私たちがどれほど筒井さんに助けられたか計り知れないのだ。

知る人ぞ知る〝Tシャツ訴訟〟は筒井さんの法律知識に支えられていなければ早期に終わっていただろう。この訴訟は、東アジア反日武装戦線のメンバーだった死刑囚二名と彼らと物心両面にわたり支え合っていた獄外の人たちとのあまりにも細い絆でもあった。

〝地獄の沙汰も金次第〟は監獄にもあった。お金がなければ手紙を出す事もできなくなり、新聞、書籍を購読できないから世の中の動きすら分からなくなってしまう。〝無知〟のままにしておくことで管理支配を強化していく。死刑囚に対するそうした抑圧が死刑制度という非人間的なシステムを人民支配の道具として維持していくことができるのだ。

この〝Tシャツ訴訟〟は、単にTシャツ、お金を死刑囚へ差し入れすることが不許可にされたことへの抗議というだけではなく、さらに積極的(攻勢的)な意味をも持って闘われたと思う。獄外の人たちとの絆を感じることも希望なき生活を強いられている死刑囚への支えとなる。関係性と希望を失わせることが国家権力の意思だから、それに抗する〝Tシャツ訴訟〟は人との関係性と希望を確信できるものだ。

〝Tシャツ訴訟〟は、一九九九年一二月控訴審判決で確定した。その後の第二次訴訟にも勝訴している。

そうした訴訟も筒井さんを含めた原告団全員が裁判を楽しみながら闘ってきた。法廷はさながら舞台のようでもあった。今は亡き、松下竜一さん、伊藤ルイさん、水田ふうさんが縦横無尽に動き、話し、笑い、怒り、傍聴席の人たちとの一体感をつくりだし、訴訟にあらずや?の状態にして裁判官をも巻き込んで裁判長の強硬な訴訟指揮を出させることなく進行させていった。

そうした状況を朗らかな和みの中で生み出していったのは、原告団に結集したそれぞれがユニークな面々をさながらシンフォニーの指揮者の如くに被告国への追及へと向けていった筒井さんの高度なテクニックがあったからではないのかと私は思っているのだが。ぬいぐるみ人形のマサシとトシアキの原告出廷実現にも功があったんではなかろうか。

そんなことを聞いたところで、筒井さんはただ笑っているだけだろう。

この二人の死刑囚だけの処遇改善の為だけではなく、全国の死刑囚処遇の改善にも拡がっていくものだった。

自ら癌で闘病中なのに関わらず、いろいろな集会や闘争現場に出て来ていたっけ。あれ、なんで東京のこんなところに筒井さんがいるのだろう、と思ったことがしばしばあった。不思議だった。

筒井さんの盟友の佐々木通武さん(東京・中部地域労働者組合)が『救援』に書いてくれていた追悼文を読んで、どうしてなんだか合点がいった。「命がけで現場を担い、生涯現役を貫いた。」ということなんだ。

筒井修さんがいた。にこやかに、また会っちゃったなぁ、という感じでのそこにはなんの気負いもなく、風がさわやかに流れていくだけだった。

 

狼の思ふは月の荒野かな 筒井修は星になりけり

 

 

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