チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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クリスマスローズが咲いた

2011年04月13日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

クリスマスローズが咲きました。
断水で1週間水をあげることができなかった。
もうダメかと思ったけれど、見事に復活し、花を咲かせてくれた。
こんなに はかなげなのに、君は、強いなあ。

私は、君に、どんな言葉で許しを請うたらいいのだろう。
自然界には存在しない放射能をまき散らしてしまった。
それなのに、君は花を咲かせて私を癒してくれる。




あの日から1か月

2011年04月11日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月11日14時46分三陸沖を震源とする大地震が発生したあの日から、一月が経った。
私は、3週間ほどかけて、やっと6日間のことを書きつづった。

被害の少なかった福島市の街は、一見震災前に戻ったように見える。
人々も、普通の生活に戻ったように見える。
しかし、やはりどこか違う。

市の施設には、いつもたくさんの車が停まっている。
避難者の方々の車だ。
夜10時閉店だったスーパーは、8時までの営業になった。
天井のあちこちには、穴が開いている。
照明もくらい。
街の中がひっそりとしている。
ヘリコプターが飛んでいる。
その振動に、また地震では?とおびえる。

そんな中、今日も17時16分、いわき市を震源とする大きな余震が起こった。
何度も余震が起きている。
ここ福島市では、大きな被害はなかったようだが、震源近くのいわき市では、また被害があったようだ。
大きな余震が起こるたび、原発は大丈夫だろうか?と不安になる。

30㎞圏外の飯館村は、放射線量が高いことから、村全体の避難指示がでた。
ここ福島市でも、放射線の数値によっては避難指示がでる可能性だって否定できない。

私は今夜、実家へ電話した。
もし万が一、避難指示が出たら、ウチも決して安全とはいえないけれど、こちらに避難するようにと。

大地震 その21

2011年04月11日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

3月16日(水) 震災6日目

相変わらず神経が高ぶり、夜の睡眠時間は4時間。
早朝に目覚めてしまう。
ガソリンが無くなってしまったのか、放射能を恐れるためなのか、通りを走る車が全くない。
辺りは、シーンとして不気味だ。
TVをつけてみる。

被ばくを避けるためには、
なるべく外出をしない。外出する時は、なるべく肌を露出しない。
濡れたタオルなどで鼻と口をふさぐ。
帰宅したら、衣服をポリ袋へ入れ、しっかり口を閉じる。
シャワーで全身を洗う。
窓を閉め、エアコンや換気扇は使用しない。

何バカなこと言ってやがる。
被災地は水が出ないんだ。
どうやって、身体を洗えと言うのだ。

放射能モニタリング数値がテロップで流れる。
人体に影響のない数値だという。
果たして、本当だろうか?
政府は情報を操作しているのではないか?
疑心暗鬼。

昨日、私は休暇届を出した。今日は1日家に閉じこもっていられる。

岩手県や宮城県の被災地の様子が映し出される。
被災者のインタビュー。ムカついた。
あんたたちは、まだいい。
どんなに悲惨な状況でも、これからは復興に向かうだけだ。未来がある。希望がある。
だけど、福島県はどうなる!
放射能に汚染される。破滅に向かって進んでゆくのだ。
(ごめんなさい。この時は、本当にそう思っていました。)

映画「ターミネーター」世界最後の日のワンシーンが思い浮かぶ。
閃光が走り、公園で遊んでいた人々の身体が熱で溶けていく。
こんな映画もあった。
放射能からひとりだけ逃れて、核シェルターにたどり着く。
あれは、何というタイトルだったろうか?
お金持ちでもない私は、核シェルターなど持っていない。
たとえ持っていたとしても、食料がない。
餓死なんて、そんな死に方は嫌だ。
死ぬなら、一瞬で死ぬ方がマシだ。

7:30 起き出してきたヒロシと朝食。
今日は、透析日だ。3クールだから、いつもより早く行くという。
長男も、今日から自宅待機となった。

私は、思いついたことを口に出した。
「ねえ、二男の所へ避難しない?あそこなら、100キロ以上離れてる!」
「俺は行かない。行っても、透析が受けられない。
 今、病院に来ている避難者と同じになる。
 行きたいなら、おまえと長男で行け。俺は何とかする。」
「・・・・・」
それは、できないと思った。ヒロシを一人で置いてゆくなんて。
透析が受けられる病院がないと、移動もできないのだ。
「ごめん。今度、私が変なこと言ったら、ぶん殴って!」
「もう、変なこと言ってるし・・・」


今、振り返ると、この時私は精神的に相当参っていたと思います。
放射線に対する知識がなかったために、最悪の想像をして、勝手に自分を追い込んでいたように思います。
かといって、今でも知識がないことに変わりはりませんが。


その3へ つづく



大地震 その20

2011年04月10日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

3月15日(火) 震災5日目

8:30 出勤。長男も仕事に行く。

この頃から、地面が揺れていないのに、時々揺れているような錯覚が襲う「地震酔い」の症状がひどくなる。
階段を上るときもふらつく。
貴重品を入れたショルダーバッグをいつも身に付けて仕事をする。

福島第一原発の事故も、日に日に深刻さを増している。
今朝も2号機で、爆発があったという。
これで、3つも爆発した。
福島市は60~70㎞圏内か? 完全に安全と言い切れる距離だろうか?
米国では、80~100㎞以上が安全圏内だとも言われている。

隣室の同僚が休憩にやって来た。
「実はね。私、昨日の夜中、子ども達を関西の姉の所へ避難させたの。
 K市に住んでる弟が避難するというので、送って行ったのよ。
 弟に仕事はどうするの?って聞いたら、『一応休暇は取ってあるけど、クビ覚悟かな』だって。
 さっき、メールが来て、新潟でガソリン満タンにできたって言ってた。
 私たちは、もうどうでもいいけど、これからの人たちはねえ。原発心配だから。」
私は、彼女の素早い対応に驚いた。
彼女は、昼休み銀行に行くとも言った。
私は、ハッ!とした。そういえば、彼女は昨日も(買い物へ行かず)銀行へ行ったと言っていた。
この先、避難指示が出たら、パニックになる。
そしたら、物をいうのは現ナマだ!
私も後で、銀行に行こう。

私は、今回の大地震・原発事故で感心したことが2つある。
そのひとつは、金融不安が起きなかったことだ。
人々が銀行へ殺到することも無かったし、金融機関も冷静に対応していた。
もうひとつは、品薄になっても商品の値段が変わらなかったことだ。
非常事態なんだから、便乗値上げがあってしかるべきなのに。
これも、日本のすごいところだと思った。

12:30 昼食もそこそこに、みんなで買い出しに行く。
昨日買った物で間に合うのだが、あと、いつ手に入るか分からないという不安が、私を買い出しに行かせた。
「まるで、戦時中の闇市だね」と誰かが言う。
私たちは、闇市なんか知らない世代なのに。

豚ロース肉1P、ベビーチーズ2個、ニンジン3本、玉ねぎ、カレ―ルー1箱、
玉こんにゃく、福神漬、紅茶ティーバッグ1箱、せんべいを買う。
もし餌が無くなった時のことを思い猫たちのために、煮干しと鰹節も買った。
今夜はカレーにしようと思った。

13:30 職場に戻ると、後片付けも一段落し、皆は休暇を取るという。
私も、もう仕事なんかやってる場合じゃないと思い始めていた。
放射能がいつ降ってくるかわからないのだ。
私は、今週いっぱい休暇届を出した。


その21へ つづく




福島第一原子力発電所事故の推移

2011年04月10日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月11日14時46分 三陸沖を震源とした地震により発生した高さ14~15mともいわれる津波が、15時15分頃福島原発を襲った。
ここで、新聞報道による原発事故の推移をみてみたいと思う。

3月11日(金)
16:36 1号機・2号機外部電力供給失う
    2号機原子炉内水位低下
19:03 政府 原子力災害対策特別措法に基づく「原子力緊急事態宣言」
21:23 半径3㎞以内(大熊・双葉町)住民避難要請
    10㎞以内(富岡町)住民屋内退避指示

3月12日(土)
5:44 1号機中央制御室で放射線量上昇 
    住民退避指示10㎞に拡大
7:40 1・2・4号機で冷却機能が失われ、東電が政府に緊急事態を通報したことが判明
9:00 1・2号機格納容器内の水蒸気放出開始
11:20 1号機炉心水位低下 燃料棒90㎝露出
14:00 1号機周辺で放射性物質 セシウムとヨウ素検出
15:36 1号機水素爆発 白煙上がる 原子炉建屋損壊
19:04 1号機消防ポンプによる海水注入
    避難指示の対象範囲20㎞圏内に拡大

3月13日(日)
朝   3号機(プルサーマル)冷却機能失い、水位低下 燃料棒3m露出
    水素爆発の恐れ
12:00 20㎞圏内退避指示住民8万人を含む周辺住民12万人避難

3月14日(月)
11:01 3号機水素爆発 建屋損傷
16:24 東電2号機原子炉内に海水注入開始
18:22 2号機原子炉の水位低下 燃料棒全露出2時間半続く
    海水を注入するポンプの燃料切れ
21:34 燃料棒の半分まで水位回復
23:00 2号機再び水位低下 燃料棒全露出

3月15日(火)
6:10 2号機圧力抑制プール付近で爆発音
8:31 原発正門前の放射線量8217マイクロシーベルト
9:40 4号機建屋より出火
10:22 3号機付近400ミリシーベルト
11:00 半径20~30㎞圏内の住民14万人に屋内退避指示


     

つのる政治不信

2011年04月07日 | 大地震
谷垣総裁、大連立拒否「政策すり合わせもない」(読売新聞) - goo ニュース

福島県福島市在住@チエちゃんです


国会議員たちは、なにやってるんだ!

この国家の一大危機に、大連立もへったくれもない!

この期に及んで、まだ自分たちの都合しか考えていないのか!

一丸となって、事態の収拾に向けて、やるっきゃないだろうが!

国民の声を聴け!




20㎞圏内にとどまる人々

2011年04月05日 | 大地震
「介護が」「仏様守る」原発20キロ圏内、とどまる人々(朝日新聞) - goo ニュース


避難指示が出ている福島原発20㎞圏内にとどまる人が100人を超えてるという。
その多くは、お年寄りの世帯であると思われる。
動かせない寝たきり老人を介護していたり、先祖代々の土地を離れたくないなど、その思いは一途なものがある。
年齢を重ねると、新しい環境に適応できなくなる。
危険であるとは解っていても、避難所へ行くよりも住み慣れた所で暮らしたいという思いも強い。
神を崇め、仏に手を合せ、平々凡々な暮らしをしてきた彼らに、なんの罪があるというのだろう。
これほどまでに過酷な試練をどうして与えるのだろう・・・




チエちゃんの似顔絵

2011年04月03日 | チエの玉手箱
こんな時になんですが・・・

同僚のKさんが、年度末で退職となりました。
大地震がなければ、盛大な送別会をする予定だったのに。
最後の日はお寿司を取って、ささやかな送別昼食会でした。
最後に、彼女が手紙をくれました。
恥ずかしいから、帰ってから読んでねと。

そこには、私の似顔絵と褒め言葉が並んでいました。
Kさん、ありがとう。

彼女に断ってはいないのだけれど、ここに掲載します。
それにしても、若すぎるし、可愛すぎ!
この似顔絵、ちっとも似てないよ。


こちらは、ちらし寿司


大地震 その19

2011年04月03日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月14日(月) 震災4日目

13時30分 職場に戻る。
すると、女子社員達がスーパーで買い物してきたと、商品でいっぱいに膨れたレジ袋を下げて帰ってきた所だった。
「チエさんも、行って来なよ。たくさんあったよ。お刺身も、お肉もあったから。」
ええ~、しまった! もう、休憩時間は終わりだ。
そこへ、女性の上司がやって来て、
「いいから、これからいっしょに買い出しに行こう」
感謝した。

昨日13日に並んだ所とは、また別の小さなスーパーマーケットだった。
他より品質が落ちるので、普段、私はまったく利用することがなかった。
行ってみると、それほど行列ができていない。
5分ほどで入店することができた。
驚いた。たくさんの商品が並んでいたからだ。
大手スーパーが店を閉めている中で、営業を続けてくれることが有難い。
すべての在庫を放出しているのだと思った。

もち1㎏、アンパン1個、ホッケの開き1枚、豚バラ肉、大根1本、かぼちゃ半分、プチトマト、梅干し、ツナ缶2個を買う。
お刺身を買おうか迷った。もう二度と食べられないかもしない。
でも・・・、贅沢だと思ったので、止めた。
せめてもの贅沢として、カクテル缶を買った。お酒の勢いで、眠りたいと思ったからだ。

帰宅後、私は、大根と豚バラ肉で煮物を作った。
他の食材は、もったいなくて、今夜の食卓に出すことが出来なかった。
夕食後、食器を片付けながら、14日に水道が復旧するかもしれないという情報を思い出した。

蛇口をひねってみる。
ジャーと勢いよく、水が出る!
よかった。
私は急いで、お風呂を洗い、お湯を張る準備をした。
洗濯機も回した。
そうこうしているうちに、全家庭で一斉に使い出したのだろう。
水道の勢いは、チョロチョロになっていた。




私の住んでいる地区は、市内で最も早く上水道が復旧しました。
その他の地区では、20日あたりまで復旧しない所もありました。
幸運でした。
家族3人が入浴した後のお湯は、たった3日間お風呂に入れなかっただけなのに、真っ黒でした。
人工透析をした日は、本当はお風呂に入ってはいけないのですが、堪えきれずヒロシは湯船に浸かりました。


その20へ つづく





大地震 その18

2011年04月03日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月14日(月) 震災4日目

 3月12日朝 ガス使用可確認
 3月12日19時過ぎ 電気復旧
 水道まだ出ない

7時 私は出勤するため、おにぎりの弁当を作った。
長男は、大事を取って休むことにした。

が、待てよ。
ヒロシの通院する病院は給水所のすぐ隣で、昨日は給水を受ける人々の車でいっぱいだったという。
今日も駐車スペースがなかったら・・・
ヒロシを病院に送ってから、出勤することにする。
しかし、私の予想は杞憂に終わった。
今日は月曜日。仕事に行く人が増え、給水所の行列は減っていた。

9時出勤 遅刻だ~とあわてて入っていくと、マバラ。
なあんだ、みんなも遅刻か。誰もが疲れていた。
今日も、復旧作業。
その前に、とうとう水が出なくなったので、バケツを持ち、トイレ用の水を近くのため池まで、みんなで汲みに行く。
余震が続くので、帽子をかぶり、貴重品はショルダーバッグに詰め、肩から斜め掛け。
作業がやりづらい。

12時30分 お昼休み、ヒロシを迎えに病院に行く。
13時 ヒロシは予定の時間より早く出てきた。
いつもは午前と午後の2クールで行っている人工透析を避難患者のために3クール行うので、透析時間が短縮されたとのこと。
「でも、俺たちはよい方なんだ。10分短縮だけだから。
 他所から来た人は、たいへんだぜ。
 4~5時間のところ、2時間だけなんだ。」
それじゃあ、十分な透析は受けられない。まだ、身体に毒素が残っている。
それに、強制的な圧力をかけたら、心臓の負担になる。
気の毒だ。


その19へ つづく