チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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あの日から1か月

2011年04月11日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月11日14時46分三陸沖を震源とする大地震が発生したあの日から、一月が経った。
私は、3週間ほどかけて、やっと6日間のことを書きつづった。

被害の少なかった福島市の街は、一見震災前に戻ったように見える。
人々も、普通の生活に戻ったように見える。
しかし、やはりどこか違う。

市の施設には、いつもたくさんの車が停まっている。
避難者の方々の車だ。
夜10時閉店だったスーパーは、8時までの営業になった。
天井のあちこちには、穴が開いている。
照明もくらい。
街の中がひっそりとしている。
ヘリコプターが飛んでいる。
その振動に、また地震では?とおびえる。

そんな中、今日も17時16分、いわき市を震源とする大きな余震が起こった。
何度も余震が起きている。
ここ福島市では、大きな被害はなかったようだが、震源近くのいわき市では、また被害があったようだ。
大きな余震が起こるたび、原発は大丈夫だろうか?と不安になる。

30㎞圏外の飯館村は、放射線量が高いことから、村全体の避難指示がでた。
ここ福島市でも、放射線の数値によっては避難指示がでる可能性だって否定できない。

私は今夜、実家へ電話した。
もし万が一、避難指示が出たら、ウチも決して安全とはいえないけれど、こちらに避難するようにと。

大地震 その21

2011年04月11日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

3月16日(水) 震災6日目

相変わらず神経が高ぶり、夜の睡眠時間は4時間。
早朝に目覚めてしまう。
ガソリンが無くなってしまったのか、放射能を恐れるためなのか、通りを走る車が全くない。
辺りは、シーンとして不気味だ。
TVをつけてみる。

被ばくを避けるためには、
なるべく外出をしない。外出する時は、なるべく肌を露出しない。
濡れたタオルなどで鼻と口をふさぐ。
帰宅したら、衣服をポリ袋へ入れ、しっかり口を閉じる。
シャワーで全身を洗う。
窓を閉め、エアコンや換気扇は使用しない。

何バカなこと言ってやがる。
被災地は水が出ないんだ。
どうやって、身体を洗えと言うのだ。

放射能モニタリング数値がテロップで流れる。
人体に影響のない数値だという。
果たして、本当だろうか?
政府は情報を操作しているのではないか?
疑心暗鬼。

昨日、私は休暇届を出した。今日は1日家に閉じこもっていられる。

岩手県や宮城県の被災地の様子が映し出される。
被災者のインタビュー。ムカついた。
あんたたちは、まだいい。
どんなに悲惨な状況でも、これからは復興に向かうだけだ。未来がある。希望がある。
だけど、福島県はどうなる!
放射能に汚染される。破滅に向かって進んでゆくのだ。
(ごめんなさい。この時は、本当にそう思っていました。)

映画「ターミネーター」世界最後の日のワンシーンが思い浮かぶ。
閃光が走り、公園で遊んでいた人々の身体が熱で溶けていく。
こんな映画もあった。
放射能からひとりだけ逃れて、核シェルターにたどり着く。
あれは、何というタイトルだったろうか?
お金持ちでもない私は、核シェルターなど持っていない。
たとえ持っていたとしても、食料がない。
餓死なんて、そんな死に方は嫌だ。
死ぬなら、一瞬で死ぬ方がマシだ。

7:30 起き出してきたヒロシと朝食。
今日は、透析日だ。3クールだから、いつもより早く行くという。
長男も、今日から自宅待機となった。

私は、思いついたことを口に出した。
「ねえ、二男の所へ避難しない?あそこなら、100キロ以上離れてる!」
「俺は行かない。行っても、透析が受けられない。
 今、病院に来ている避難者と同じになる。
 行きたいなら、おまえと長男で行け。俺は何とかする。」
「・・・・・」
それは、できないと思った。ヒロシを一人で置いてゆくなんて。
透析が受けられる病院がないと、移動もできないのだ。
「ごめん。今度、私が変なこと言ったら、ぶん殴って!」
「もう、変なこと言ってるし・・・」


今、振り返ると、この時私は精神的に相当参っていたと思います。
放射線に対する知識がなかったために、最悪の想像をして、勝手に自分を追い込んでいたように思います。
かといって、今でも知識がないことに変わりはりませんが。


その3へ つづく