チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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第44話 あさま山荘事件

2007年02月28日 | チエちゃん
 昭和47年2月28日、昭和史上に残る重大事件の犯人が警察との攻防の末、逮捕されました。

 あさま山荘事件です。
 群馬県山岳地帯に武装潜伏していた連合赤軍は、警察に追われ逃げ込んだ先、軽井沢町の河合楽器保養所「あさま山荘」に人質を取り、10日間も立てこもります。
 その犯人逮捕の一部始終は、テレビで生中継され、銃弾が発砲される音や大きな鉄球が山荘を破壊するシーンを今でも覚えているチエちゃんです。
 記録によれば、その視聴率は民放・NHK合わせて90%弱であったということです。それもそのはず、NHK教育テレビ以外は、一日中「あさま山荘事件」の報道番組を流していたのでした。

 チエちゃんは、おばあちゃんと朝から晩までその放送を見ていた記憶があるのですが、そんなはずはありません。なぜなら、昭和47年2月28日は月曜日、学校のあった日です。おそらく、前日の27日、日曜日にそうしていた事と、その後のニュースで鉄球の破壊シーンや突入シーンを何度も見たせいで、思い込んでいる部分があるのではないかと思われます。

 そして、犯人逮捕後の供述から、更に日本中が驚愕する事件が判明したのでした。
 連合赤軍による集団リンチ殺人事件です。

 あさま山荘事件を起こす以前に、彼らは仲間を集団で暴行、14人もの人を死に至らしめたのです。
その中心となっていた女性が、連合赤軍最高幹部 永田洋子でした。
当時のワイドショーや週刊誌は競って彼女の行状を放送、書き立てたものでした。

 まだ、中学生のチエちゃんには彼らの行動は理解できるはずもありませんでした。

 昭和40年代はとにかく、学生運動が盛んで、東大安田講堂攻防戦や日米安保闘争デモなどが報道されていました。考え方や行動はさておき、日本の将来を真剣に考える若者が多かったような気がします。現在、団塊の世代といわれる方々でしょうか。

 チエちゃんは「あさま山荘事件」を思い出すとき、学生運動の連想と共に妙子ちゃんのことを思い出します。

 妙子ちゃんは物静かで、大人びた少女でした。
そう、「名探偵コナン」に出てくる灰原 哀のような女の子です。
彼女はいつも、詩集や本を読んでいました。吉田拓郎を教えてくれたもの彼女です。彼女は中学生なのにチエちゃんがその存在すら知らなかった深夜放送を聴いていました。音楽を愛し、クラリネットを演奏していました。
 そんな彼女の訃報を聞いたのは、20代も終わろうとする頃の秋のことでした。
自宅アパートの洋服ダンスの中で自殺したということです。
学生運動の果てに、活動家との同棲。そんな彼女に何があったのか。
妙子ちゃんと永田洋子死刑囚がどうにもダブって思い出されるチエちゃんなのでした。