気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2012-12-09 20:47:33 | 朝日歌壇
ウイングをかもめの形に撥ね上げて移動図書館快晴の朝
(横浜市 桑原由吏子)

終(つひ)の日も主婦のまんまに在らしめよこずゑに仰ぐ木守りの柿
(大分市 岩永知子)

雁擬(がんもどき)つつきておもふ銀杏坂古書肆銅鑼屋の店主の渋面
(ひたちなか市 篠原克彦)

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一首目。私の住む町には移動図書館は来ないが、作者のところには来るのだろう。両側のウィングを撥ね上げて、まるで飛ぼうとするかもめのようだ。快晴の朝の爽やかさと、読書への期待がいきいきと表現されている。
二首目。人生の終わりの日まで主婦というのは、なかなかむつかしいことかもしれない。家で死ぬこと、その日まで主婦としての役割を果たす体力や気力があることが必要だ。作者にとって理想の死に方なのだろう。こずえにぽつんと残った木守りの柿が目に沁みるようだ。私の母は急死だったので、終の日も主婦をして、冷蔵庫に次の日のおかずまで用意していた。もう、遠い日のことだけれど、あれでよかったのだと思えてくる。
三首目。漢字の多い歌。少ないひらがなが目立って見える。こういう作り方もおもしろい。漢字もそれぞれ画数の多い厄介な字ばかり。店主の渋面が目に浮かぶ。


海の額と夜の頬  山下泉 

2012-12-07 18:47:03 | つれづれ
サンダルをはいて出ずれば夜は優し夜の大きな頬に入りゆく

中庭に置かれしままの一瞥を拾えば若き父と出会えり

父の遺品にピンセット欲る人ありぬ入り日を受けて光るであろう

仏壇にあいさつをして弟はケーララへ行く蛇を調べに

うしろむきに耳殻はひらき遠くから運ばれてくる足音(あおと)を待てり

湯葉鍋をよろこび掬う初春の族(うから)の集い死者もひらめく

言葉にはうぶ毛がありて光りつつ夜の枕にひとひらは落つ

先生の机上は昼も点りおり 露草いろのインクの香り

黄葉の散りて小暗し帽子ぬぐ兵士のように暮れゆく窓は

帽子が重いと鏡を出ずる母ありて帽子の影は過去に落ちたり

(山下泉 海の額と夜の頬 砂子屋書房)

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塔短歌会所属の山下泉の第二歌集『海の額と夜の頬』を読む。
この作者独特のものの把握の仕方、感性の繊細さと感じさせる歌が並ぶ。
三首目から想像するに、お父様は歯科医で、最近亡くなられたようだ。作者の感情は歌に出ていないが、そのお人柄がわかる。それでいて、ピンセットというものに託して、距離を置いた詠い方をしているのが魅力。
七首目の言葉の把握も独特で面白い。
九首目、十首目は帽子のうた。昔は多くの人が、その職業や立場に応じた帽子をかぶって暮らしていたと聞く。「帽子ぬぐ兵士」が、一日の終わりを巧みに象徴している。
十首目の母は、老齢のためか病気なのか、通常の生活から「降りた」ことを帽子に託して詠っている。全体に静かで透明感がある。



今日の朝日歌壇

2012-12-03 20:06:56 | 朝日歌壇
数多なる閲覧者と居て図書館の静寂(しじま)を独り親しみ過ごす
(春日井市 小川洋栄)

軍艦の名の付く通り多くしてこの町なぜか時雨が似合う
(舞鶴市 吉富憲治)

ケイタイの灯りに顔の明るめる女は冬の闇を背に負ふ
(小松島市 関政明)

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一首目。すんなりとよくわかる歌。私も図書館の静寂が好きだ。公共の場所で、よくしゃべる人は苦手。歌としては、わかりすぎる感じもあるが、よくまとまっていると思う。
二首目。舞鶴市は同じ京都府なのに、行ったことがない。むかし軍港だった名残なのだろう。一度行ってみたいと思わせる歌のちから。
三首目。ケイタイは懐中電灯の役目も果たしている。ケイタイでだれかと繋がっていても、そんなに幸せそうには見えない女性。明と暗の対比が面白い。下句、漢字とひらがなが一字ずつ交互に出るのが気になるのだが、ここはどうしようもない感じ。