レンズ豆のスープの鍋を火にかけて火にあたりをり火のこゑを聴く
をりかさなりさかのぼりゆく魚(うを)の腹は婚姻色にはためきながら
雲井通六丁目にてまがりたる緑のバスに乗りたかつたのだ
しどけなく白木蓮の咲いてゐる春のゆふぐれはくるしくてならぬ
夜になれば鉢をはなれて歩きだすサボテンの水は三週に一度
子のあれば豊かなる生とひとは言へど比べることのかなはねば思はず
居酒屋の床の間にありし蛸壺を耳にあてて聴くみなそこの音
迷宮を名づければこころやすらかに迷ひつづけてゐられるといふか
雨の日のヤマモモは雨の味がすると夜の雨より戻り来て言ふ
遠からず白髪の婆になりますと言ひて月夜の窓に寄りたり
(真中朋久 重力 青磁社)
*******************************
読み応えのある歌集なので、また気に入った歌を引いてみた。
レンズ豆の歌のように「火」という言葉を三回も出すのは、良くないという説もあるようだが、違和感はなく、重ねて言うことで火の存在感が伝わってくる。
婚姻色、雲井通という言葉の選択が魅力的。
今日いいと思った歌と、明日いいと思う歌は変わるかもしれないが、今の季節に合う歌などを楽しんだ。歌集を読むのは、そういう楽しみ方でいいと思う。
をりかさなりさかのぼりゆく魚(うを)の腹は婚姻色にはためきながら
雲井通六丁目にてまがりたる緑のバスに乗りたかつたのだ
しどけなく白木蓮の咲いてゐる春のゆふぐれはくるしくてならぬ
夜になれば鉢をはなれて歩きだすサボテンの水は三週に一度
子のあれば豊かなる生とひとは言へど比べることのかなはねば思はず
居酒屋の床の間にありし蛸壺を耳にあてて聴くみなそこの音
迷宮を名づければこころやすらかに迷ひつづけてゐられるといふか
雨の日のヤマモモは雨の味がすると夜の雨より戻り来て言ふ
遠からず白髪の婆になりますと言ひて月夜の窓に寄りたり
(真中朋久 重力 青磁社)
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読み応えのある歌集なので、また気に入った歌を引いてみた。
レンズ豆の歌のように「火」という言葉を三回も出すのは、良くないという説もあるようだが、違和感はなく、重ねて言うことで火の存在感が伝わってくる。
婚姻色、雲井通という言葉の選択が魅力的。
今日いいと思った歌と、明日いいと思う歌は変わるかもしれないが、今の季節に合う歌などを楽しんだ。歌集を読むのは、そういう楽しみ方でいいと思う。
「レンズ豆のスープを鍋の火にかけて」の部分なのですが、どうも、その様子が頭に入りづらいのです。。。レンズ豆のスープの鍋を火にかけて」と同じ意味合いなのでしょうか?
レンズ豆の歌、間違って引用していました。訂正しました。すみません。
私が言いたかったのは「火にかけて」「火にあたり」の繰り返しをあえてやっているところに作者の個性を感じたということです。
些細な、字面上の妙なこだわりをつい気安く申し上げてお手数をおかけ致しました。表現に対するご感想についてのご説明にも感謝致します。(そちらにつきましては、なるほどのご理解!と存じておりました。言葉足らずの失礼をお許し下さいませ。)