気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

蟲のゐどころ 植松法子歌集 

2008-11-07 00:58:52 | つれづれ
つかみそこねし夢のしつぽが見えさうな 薄らあかりにまなこを閉ざす

昨夜の雨たつぷり吸ひて褐色の千の茸のたてる聞耳

形而下のことがたいせつ夕されば鯖の頭(づ)おとし菊花をむしる

ゆく夏の光あつめて蝶を曳く蟻に寄り処のある羨しさよ

わが家の苦虫いら虫エヘン虫ゐどころややによろしき日なり

青葉闇ぬつて聞えるほととぎす帰るといふことこんなにさみしい

(植松法子 蟲のゐどころ 角川書店)

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植松法子の第一歌集『蟲のゐどころ』を読む。この歌集は、60歳以上で第一歌集を出した人に与えられる筑紫歌壇賞を受賞している。今年は第五回目。前回の受賞者は、短歌人の先輩である木曽陽子さんの『モーパッサンの口髭』だった。
植松さんは、水瓶の同人。人生経験が豊富なだけあって、歌の中に表れる発想の柔軟さに心を動かされた。
一首目。目覚めのときのもやもやを「夢のしつぽ」と捉えたのが面白い。
二首目。茸という字には、耳がある。それが千もあって聞耳と立てているという発想が愉快。
三首目。理屈言ってないで、とにかくご飯ご飯。食べたら気分も変わる。
四首目。寺山修司の「夏蝶の屍をひきてるくる蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず」を思い出す。蝶には寄り処があって作者にはないのだろうか。その気持ち、よくわかる。
五首目。この歌集には虫がたくさん出てくる。エヘン虫まで出てくる。下句の言い回しにユーモアがある。
六首目。下句は作者の本音だろうか。歌集を通じて出てくるさみしさ、孤独を愉しむ心情に共感する。