気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

微笑の空 伊藤一彦歌集

2008-11-01 00:20:22 | つれづれ
寂し寂しかなしかなしと弱さ見せ詠みし男のしたたかさ思ふ

あまりにも「いい子」の君は手首切る過剰期待はすでに虐待

梅の林過ぎてあふげば新生児微笑のごとき春の空あり

よき長男よき委員長のこの生徒よく磨かれし嵌め殺しの窓

もう一人自分がゐると語る子ら増えつつあるは「進化」ならむか

深秋はいたく納得すたましひは胸ならず皮膚にあるといふ説

すかすかのまたふかぶかの過疎の里夜は炎えあがる月光の満つ

三人の娘出てゆきし家の雛ゆきそびれたるむすめのごとし

顔しかめ時には翁のかほをするこれのいのちはどこより来たる

似よる人いくたりもゐるみどりごのかほ 亡き人もひつそりとをり

(伊藤一彦 微笑の空 角川書店)

**************************

心の花のベテラン、伊藤一彦の第十歌集を読む。この歌集は第42回迢空賞を受賞している。
伊藤一彦は、宮崎県の大学でカウンセリングの講義と演習を行い、またスクールカウンセラーとして宮崎市内の小中学校に出向いている。若山牧水の研究でも知られる。

一首目は、若山牧水のことだろう。二首目、四首目、五首目は、カウンセラーとしての仕事から得た思いを歌にしている。子供に期待して、愛情をたっぷり注いで育てたいを思うのは、当然のことと思っていたが、行きすぎは子供を壊してしまうこともある。何が正しいのかわからず不安な気持ちにもなる。我が家は一応子供たちもそれぞれの道を選んで、出て行ったがこれでよかったのか、いつもまだ足りなかったような気持ちになる。完璧とは行かなかったけれど、その場その場で一生懸命に子育てをしてきた事は、これでよかったと思うしかない。子供を持つということは、それだけで責任が重く、不安でしんどいことであった。こんなことを書くと、子供たちに申し訳ないけれど…。

六首目は、今夜のような秋深い夜にはぴったりと心に添う歌。人の皮膚のぬくもりを感じたら、それだけでこころが安らぐだろう。そうは行かない人のなんと多い現代であることか。
九首目、十首目。いのちの輪廻のようなものを感じさせる歌。
読後、全体に作者の人柄の温かさを感じることができた。