つかみそこねし夢のしつぽが見えさうな 薄らあかりにまなこを閉ざす
昨夜の雨たつぷり吸ひて褐色の千の茸のたてる聞耳
形而下のことがたいせつ夕されば鯖の頭(づ)おとし菊花をむしる
ゆく夏の光あつめて蝶を曳く蟻に寄り処のある羨しさよ
わが家の苦虫いら虫エヘン虫ゐどころややによろしき日なり
青葉闇ぬつて聞えるほととぎす帰るといふことこんなにさみしい
(植松法子 蟲のゐどころ 角川書店)
*******************************
植松法子の第一歌集『蟲のゐどころ』を読む。この歌集は、60歳以上で第一歌集を出した人に与えられる筑紫歌壇賞を受賞している。今年は第五回目。前回の受賞者は、短歌人の先輩である木曽陽子さんの『モーパッサンの口髭』だった。
植松さんは、水瓶の同人。人生経験が豊富なだけあって、歌の中に表れる発想の柔軟さに心を動かされた。
一首目。目覚めのときのもやもやを「夢のしつぽ」と捉えたのが面白い。
二首目。茸という字には、耳がある。それが千もあって聞耳と立てているという発想が愉快。
三首目。理屈言ってないで、とにかくご飯ご飯。食べたら気分も変わる。
四首目。寺山修司の「夏蝶の屍をひきてるくる蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず」を思い出す。蝶には寄り処があって作者にはないのだろうか。その気持ち、よくわかる。
五首目。この歌集には虫がたくさん出てくる。エヘン虫まで出てくる。下句の言い回しにユーモアがある。
六首目。下句は作者の本音だろうか。歌集を通じて出てくるさみしさ、孤独を愉しむ心情に共感する。
昨夜の雨たつぷり吸ひて褐色の千の茸のたてる聞耳
形而下のことがたいせつ夕されば鯖の頭(づ)おとし菊花をむしる
ゆく夏の光あつめて蝶を曳く蟻に寄り処のある羨しさよ
わが家の苦虫いら虫エヘン虫ゐどころややによろしき日なり
青葉闇ぬつて聞えるほととぎす帰るといふことこんなにさみしい
(植松法子 蟲のゐどころ 角川書店)
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植松法子の第一歌集『蟲のゐどころ』を読む。この歌集は、60歳以上で第一歌集を出した人に与えられる筑紫歌壇賞を受賞している。今年は第五回目。前回の受賞者は、短歌人の先輩である木曽陽子さんの『モーパッサンの口髭』だった。
植松さんは、水瓶の同人。人生経験が豊富なだけあって、歌の中に表れる発想の柔軟さに心を動かされた。
一首目。目覚めのときのもやもやを「夢のしつぽ」と捉えたのが面白い。
二首目。茸という字には、耳がある。それが千もあって聞耳と立てているという発想が愉快。
三首目。理屈言ってないで、とにかくご飯ご飯。食べたら気分も変わる。
四首目。寺山修司の「夏蝶の屍をひきてるくる蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず」を思い出す。蝶には寄り処があって作者にはないのだろうか。その気持ち、よくわかる。
五首目。この歌集には虫がたくさん出てくる。エヘン虫まで出てくる。下句の言い回しにユーモアがある。
六首目。下句は作者の本音だろうか。歌集を通じて出てくるさみしさ、孤独を愉しむ心情に共感する。
若い方に読んでいただいて幸せです。
年齢もバレたことだし、こうなったら歳を武器に歌っていこうかなとひらき直っております。
「歌壇」十二月号に新作二十首発表する機会をいただきました。ご高覧いただければ嬉しいです。
書き込みありがとうございます。こういうときブログをやってて良かったと思います。
『蟲のゐどころ』を読みたくて、京都府立図書館にリクエストしたところ、静岡の図書館に植松さんが寄贈されたらしき本が回ってきました。歌集は高いので、なかなか買えません。
入手する方法をいろいろ模索しています。
植松さんの歌集に興味を持ったのは、友達に借りた歌壇からでした。借りた歌集はまず読んで付箋をはって、それをはがしながらノートに写します。そうしているうちに歌が浮かんだりするのです。わたしにとって大事な時間です。
どこかに歌集図書館のような施設があれば嬉しいのですが、だれか作ってくれないかな。
歌集出版の折、角川の編集長から「歌集を読みたい方には近くの図書館へリクエストして貰ってください。」と言われました。京都府立図書館ダメでしたか?大阪の図書館から注文があり、増刷を待ってもらって送ったばかりです。
蔵書としておいて欲しいというリクエストもあると思うのですが。
かすみさんのように何度も読みたいとおっしゃてくださる方にはこちらから差し上げたいくらいです。
京都府立図書館は親切でした。リクエストに応じて買うことは出来ないけれど、探してみます・・・ということで静岡から借りてくださったようです。どこの図書館も予算の範囲内での購入ですから、仕方ないでしょう。
うちは歩いて20分ほどのところにブッ○オフがあり、そこは歌集がけっこうたくさん出ています。買って部屋に積んであるままのもあるのです。植松さんの場合は、歌壇で紹介されていたので、これは!と思いました。
「水甕」の編集のお手伝いをしているので、役得といいますか。結社への贈呈本を読むことができ、読みたい歌集は大抵読むことができます。その代わり「歌集紹介」を書かされます。
でも自分の好きな歌集を読むことができ、その紹介を書くことができるのは恵まれているのですね。心にもないことは書けないので、好きな歌集なら気を入れて書くことができます。かすみさんもそうでしょ?「つづき」の方の評は鋭いと思いました。
「題詠マラソン」も初めの頃参加したのですが、息切れがしてリタイア、でも思いがけない歌にコメントを頂いたりして、発表することは大事だと思いました。
植松さんも題詠マラソンに参加してられたのですね。わたしは都合六年続けています。来年もあれば、夏くらいからやると思います。