生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

普遍の原理

2011年05月22日 06時49分08秒 | 生涯学習
「生涯学習」を標榜しているブログの管理人として認識している「普遍の原理」。

それは、「学習」しない限り「成長」はありえないということである。追加的な学習を行うことで、それが成長へと繋がるという原理である。すなわち、何もしない限り成長はありえない。

この場合の「成長」とは身体的な成長ではなく、精神的(あるいは知識的、経験的)な成長である。何もしないのに、メキメキ知識が増えたり、経験値が高まっていくことなどありえない。自明の理でもある。

だから、何かしら成長したいと願うのであれば、それに見合うだけの学習をしなければならない。それが私の信念である。大体、何の努力もせずに人間が成長するなら苦労はいらない。寝ているだけで人間的に一回りも二回りも成長するグッズがあるなら、私も購入したいものである。

「学問に王道無し」とのことわざの通り、やるべきことをやらなければそれなりの成果は現れるはずがない。平々凡々としているうちに、人生の砂時計は、確実にその時を刻んでいる。だからこそ、自分の人生に意味づけをするためにも、何かしら取り組むべきものを見出したいものである。

仕事を自己実現のツールとしてもよい。しかし、給与としてお金をいただいている以上、仕事と自己実現との関係は、得てして、相反することが多い。また、仕事の選り好みも当然できない。それが宮仕えの厳しいところである。

自分の身銭を切ってでもやりたいこと。そういうものがあるなら、その人はほっておいてでも成長していくだろう。自分もそうだが、お金を払った以上、最後まで取り組まないと勿体無く感じるから。お金が潤沢にある人ならフトコロは痛まないかもしれないが、平凡なサラリーマンとしては、コストのかかる「最履修」とか「留年」は避けねばとプレッシャーになる。

学費自体、数十万円と高額なのだが、逆に、学費が1万円程度だったら、「別に落としてもいいかー」って気になってしまうだろう。何とか工面すれば払えるくらいの金額でなければプレッシャーにはならないだろう。(無論、払う立場としては、学費が安ければ安いほどいいのだが・・・)

とはいえ、多くの私立大学のMBAコースなら、初年度の学費は軽~く100万円を突破する。今の私では手が出ない金額である。経済的手当は学ぶ者共通の課題ということであろうか。

学んでこそ、それが将来の糧となる。転職等直接的な効果となることもあれば、仕事の上で役立つという副次的な効果もあるだろう。あるいは、金銭的なものでなく、自我を構成する精神的な影響という効果なのかもしれない。形はどうであれ、学んだだけ、何かしらの効果は、自分の生き方に派生してくるのだ。

しかし、インプットしたエネルギーがゼロなら、アウトプットされる成果のゼロである。それは「普遍の原理」であると私は思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする