今期は修士論文相当の「特定課題研究演習」以外に、レポートを多数書くことが必須となっている。
その数18通。スクーリング無しの科目が5通(3科目)、スクーリング有りの科目が3通(1科目)となっている。ちなみに、すべてスクーリングの科目(2科目)は最終試験のみである。
そもそも、修士2年目に一般科目を22単位分も履修していることがおかしいのだ。普通、1年目に単位をほとんどそろえ、2年目は論文に注力するものだ。しかし、本学では、制度的にそれができない体制となっている。
現状、提出済のレポートは0通。達成率0%ということだ。
前年度の失敗を繰り返してはならないのだが、やはり、レポートを書く前には、参考文献を読まねばならない。その過程を飛ばしてしまっては、何のために院生をやっているのかわからない。無論、学ぶためである。既に修士を2つ取得済なので、形だけの学位はいらない。だが、2年間の学習の証としての学位は、やはり取得しておきたいものである。博士じゃないんだから、普通に学んでいれば学位は取れるはずなのだ。ましてや、社会人学生なのだから、一般学生ほどハードルが高いわけじゃない。自分で白旗を揚げなければ、必ず修士レベルの学位なら取得できるのだ!
と・・・自分に言い聞かせている。自己暗示である。
正直、仕事を抱えた状況で、過酷な通勤に加え、通学までのしかかると身動きが取れなくなってしまうこともある。特に、ムリして遠隔地から大学院に通学し、挫折するケースもよく聞く話である。だから、大学院は可能な限り近場にすることを推奨しているのだ。
遠隔地から大学院に通う計画を立てた場合、仕事上のトラブルによる残業や転勤、出張等のサプライズが適切に織り込まれないケースが多い。通学制の場合、遅刻・欠席がマイナスポイントとなることがある。大学院は遊びじゃないのだから当然である。ケーススタディ等、学生参加型の授業では遅刻すること致命的である。逆に、途中参加でもなんとかなるような大学院なら行く価値はないだろう。学生同士で討議するのに、前半部分に出席しなかったとしたら、まともな受け答えができるはずがないのだから。
通信制の大学院ではスクーリングの割合が少ないのであるが、必ず出席できるとは確約できない。私は仕事より学校を選んだ瞬間から、「仕事のプロ」とは言えないと思っている。あくまでも仕事が主で、学校が従である。仕事で得たお金を学費にしているのなら、なおさら仕事をおざなりにはできないはずだ。
そんな環境でも、ギリギリの線で踏ん張れる人でないと学位は取れない。だから、見方を変えれば修士どころが、学士、あるいは短期大学士等でも、非常に困難な道のりを経て初めて取得できるものであり、その努力には大きな価値があると思っている。
とはいえ、通っただけで単位が取れるほど甘くないのもまた事実。ましてや、通信制の場合、書いたレポートがすべてなのである。だからこそ、書く前に一所懸命参考文献を読んでみたい。また、読むことで、初めて知ることもたくさんあるのだから。
その数18通。スクーリング無しの科目が5通(3科目)、スクーリング有りの科目が3通(1科目)となっている。ちなみに、すべてスクーリングの科目(2科目)は最終試験のみである。
そもそも、修士2年目に一般科目を22単位分も履修していることがおかしいのだ。普通、1年目に単位をほとんどそろえ、2年目は論文に注力するものだ。しかし、本学では、制度的にそれができない体制となっている。
現状、提出済のレポートは0通。達成率0%ということだ。
前年度の失敗を繰り返してはならないのだが、やはり、レポートを書く前には、参考文献を読まねばならない。その過程を飛ばしてしまっては、何のために院生をやっているのかわからない。無論、学ぶためである。既に修士を2つ取得済なので、形だけの学位はいらない。だが、2年間の学習の証としての学位は、やはり取得しておきたいものである。博士じゃないんだから、普通に学んでいれば学位は取れるはずなのだ。ましてや、社会人学生なのだから、一般学生ほどハードルが高いわけじゃない。自分で白旗を揚げなければ、必ず修士レベルの学位なら取得できるのだ!
と・・・自分に言い聞かせている。自己暗示である。
正直、仕事を抱えた状況で、過酷な通勤に加え、通学までのしかかると身動きが取れなくなってしまうこともある。特に、ムリして遠隔地から大学院に通学し、挫折するケースもよく聞く話である。だから、大学院は可能な限り近場にすることを推奨しているのだ。
遠隔地から大学院に通う計画を立てた場合、仕事上のトラブルによる残業や転勤、出張等のサプライズが適切に織り込まれないケースが多い。通学制の場合、遅刻・欠席がマイナスポイントとなることがある。大学院は遊びじゃないのだから当然である。ケーススタディ等、学生参加型の授業では遅刻すること致命的である。逆に、途中参加でもなんとかなるような大学院なら行く価値はないだろう。学生同士で討議するのに、前半部分に出席しなかったとしたら、まともな受け答えができるはずがないのだから。
通信制の大学院ではスクーリングの割合が少ないのであるが、必ず出席できるとは確約できない。私は仕事より学校を選んだ瞬間から、「仕事のプロ」とは言えないと思っている。あくまでも仕事が主で、学校が従である。仕事で得たお金を学費にしているのなら、なおさら仕事をおざなりにはできないはずだ。
そんな環境でも、ギリギリの線で踏ん張れる人でないと学位は取れない。だから、見方を変えれば修士どころが、学士、あるいは短期大学士等でも、非常に困難な道のりを経て初めて取得できるものであり、その努力には大きな価値があると思っている。
とはいえ、通っただけで単位が取れるほど甘くないのもまた事実。ましてや、通信制の場合、書いたレポートがすべてなのである。だからこそ、書く前に一所懸命参考文献を読んでみたい。また、読むことで、初めて知ることもたくさんあるのだから。