とある本を読んだところ「学歴=資格」という表現を見つけた。
私自身、「学歴」とは「教育資格」であり、一般で言うところの「資格」は「職業資格」と思っているので、「学歴=(教育)資格」というのなら、それは当然と首肯するものである。
ただ、学歴は職業資格ではない。
教育資格と職業資格とどちらがいいか。難しい問題である。人それぞれというところだろうか。目標やニーズにも左右されるだろう。しかし、私の現在の取得状況からすると、軸足は「教育資格」へと移っている。
生涯学習への寄与の有無から考えれば、どのような資格でも一定の効果はあるだろう。ただし、学習しないと資格は取得できないという前提条件があっての話だ。学習しなくても誰でも取得できる資格を山のように取得しても「意味はない」と今なら断言できる。経済的負担や時間的負担を考えるとデメリットでしかない。ましてや、そんな資格を履歴書に書いてしまったとすると、よほどの会社でなければ、マイナス評価にしかならない。
その点、教育資格は取得にある程度の「教育期間」が必要なので学習が担保されている。無論、トコロテン方式で、入学=何もしなくても卒業というのなら、評価の対象にはならないだろう。でも、普通の大学や教育機関であれば、座っているだけでは卒業・修了出来ないのが一般的である。
(職業)資格がその価値を下げたのは、訳のわからぬ資格が「雨後の筍」のように、乱立し、玉石混交となったためである。「玉」の資格も、類似する名称の簡単に取得できる資格があると、「石」の資格に見えてくる。資格がそのステータスや学習の履歴を証明できなくなっているのだ。
無論、法律で名称や業務が独占されているような資格なら、まだ安心感があるが、その他の資格は、私でもよくわからなくなってきている。
それが、現在、私が学位にウエイトを置いている理由でもある。
私自身、「学歴」とは「教育資格」であり、一般で言うところの「資格」は「職業資格」と思っているので、「学歴=(教育)資格」というのなら、それは当然と首肯するものである。
ただ、学歴は職業資格ではない。
教育資格と職業資格とどちらがいいか。難しい問題である。人それぞれというところだろうか。目標やニーズにも左右されるだろう。しかし、私の現在の取得状況からすると、軸足は「教育資格」へと移っている。
生涯学習への寄与の有無から考えれば、どのような資格でも一定の効果はあるだろう。ただし、学習しないと資格は取得できないという前提条件があっての話だ。学習しなくても誰でも取得できる資格を山のように取得しても「意味はない」と今なら断言できる。経済的負担や時間的負担を考えるとデメリットでしかない。ましてや、そんな資格を履歴書に書いてしまったとすると、よほどの会社でなければ、マイナス評価にしかならない。
その点、教育資格は取得にある程度の「教育期間」が必要なので学習が担保されている。無論、トコロテン方式で、入学=何もしなくても卒業というのなら、評価の対象にはならないだろう。でも、普通の大学や教育機関であれば、座っているだけでは卒業・修了出来ないのが一般的である。
(職業)資格がその価値を下げたのは、訳のわからぬ資格が「雨後の筍」のように、乱立し、玉石混交となったためである。「玉」の資格も、類似する名称の簡単に取得できる資格があると、「石」の資格に見えてくる。資格がそのステータスや学習の履歴を証明できなくなっているのだ。
無論、法律で名称や業務が独占されているような資格なら、まだ安心感があるが、その他の資格は、私でもよくわからなくなってきている。
それが、現在、私が学位にウエイトを置いている理由でもある。