AD際族

コロナ共存の広告表現の近未来観

8月13日(木)のつぶやき

2015-08-14 03:11:25 | 今そこにあるメディアのリスク

脳内パクリ千里を走る。

2015-08-14 00:34:28 | 今そこにあるメディアのリスク



私の大学時代の友人から相談がありました。関西のとある大学から「私どもの大学院の修士論文に先生と全く同じ論文が出ておりますが、、、?」調べましたら句読点まで一緒 要はコピペです。小保方さんの事件以来コピペへの罪悪感が全くない。そういう世代になってしまった。
オリンピックのエンブレムからはじまり、次から次へと出るは出るは、、、。
アートにしてもコピーにしても似る事はあります。ですので私の場合プレゼン前には競合他社含め10年分はチェックします。但し年鑑 TCC.ACC 広告電通賞などです。似たタグラインもなく、プレゼンを終えて帰宅の車内刷りで発見した事もあります。今はコピーだったら検索すれば似たようなのがヒットしますしネーミングも出てくるでしょう。似ていれば正直に営業を通じてクライアントにも伝えておりました。アートの世界では? 誰もがカンヌやADC One Show 等話題の作品は観てますから、「あの◯◯の表現をこう変えたらどうだろう?」要は質の良いものをいつも知識として持っていること。それが伝われなければ失格という事になるのですが、、、、。ですので知らなければ企画打ち合わせから振り落とされます。タグボートの岡さんは、オリエンをスタッフと聞いてきて、1時間後までに企画が出てこないのは落とした。と言っておりました。そのくらい厳しいんですね。
本当の事は解りませんが、やはり似ていたら提案しないのが常です。
然しながらこの機を逃さずにYouTubeにアップすることで、アクセスを増やし金儲けに繋げる連中もハイエナ集団だと思います。

クラシシックから演歌まで音符にしても7音階だけであれだけ多くの曲が生まれているのです。ベートーヴェンはモーツァルトと同時代だが真似はしていない。パクリもないのですね。この方は有名な方ですので、妬み 嫉みもあり滅茶苦茶な状況になってしまいました。ソーシャルメディアの恐ろしさは、検索すれば何処かでひっかかる事です。マルクハーンが著書で述べている通り「グローバルビレッジ化ー地球の村化ー」はどんどん進んでいます。ニューヨークの今をラジオで知る事も出来ます。逆に言いますと今の集団的自衛権等 米国では全く報じておりません。だから論文のコピペも直ぐに問題になりますし、今回の様なアイディアの錯誤も世界中を駆け巡るのです。言える事は「発想は真似からはじまるが、最後は独自性である。」これ以外にないのです。糸井さんだとこう書くだろう。仲畑さんだとこう書く。だから自分はこう書く。こういう独自性がなければ、単なるアートレイアウターと成り下がるのですから。コピーライターもコピーレイアウターとなるのです。