南無煩悩大菩薩

今日是好日也

古都での舞い方

2020-10-04 | 野暮と粋

(photo/source)

テンポの艶誉れあり、調べは淡々、然れど其の内裏、雛と鄙がと会い極まれるワルツが如し、哉。

ちなみにオダサクは京ことばについては次のように述べていたが、今でもいいよう変わらぬからにしてこそが京都の古都たるゆえんなのであろう。

《私はいつかあるお茶屋で、お内儀が芸者と次のような言葉をやりとりしているのを、耳にした時は、さすがに魅力を感じた。
「桃子はん、あんた、おいやすか、おいにやすか。オーさん、おいやすお言いやすのどっせ。あんたはん、どないおしやすか」「お母ちゃん、あて、かなわんのどっせ。かんにんどっせ」その会話は、オーさんという客が桃子という芸者と泊りたいとお内儀にたのんだので、お内儀が桃子を口説いている会話であって、あんたはここに泊るか、それとも帰るかというのを、「おいやすか、おいにやすか」といい、オーさんは泊りたいと言っているというのを、「オーさん、おいやすお言いやすのどっせ」という。その「アイ」の音の積み重ねと、露骨な表現を避けたいいまわしに、私は感心した、そして桃子という芸者がそれを断るのを、自分は泊ることは困る、勘弁してくれという意味で「あて、かなわんのどっせ。かんにんどっせ」と含みを持たせた簡単な表現で、しかも婉曲に片づけているのにも感心した。


それともう一つ私が感心したのは、祇園や先斗等の柳の巷の芸者や妓たちが、客から、おいどうだ、何か買ってやろうかとか、芝居へ連れて行てやろうかとか、こんどまた来るよ、などと言われた時に使う「どうぞ……」という言葉の言い方である。ちょっと肩を前へ動かせて、頭は下げたか下げないか判らぬぐらいに肩と一緒に前へ動かせ、そして「どうぞ……」という。「どう」という音を、肩や頭が動いている間ひっぱって、「ぞ」を軽く押える。この一種異色ある「どうぞ……」は「どう」の音のひっぱり方一つで、本当に連れて行ってほしいという気持やお愛想で言っている気持や、本当に連れて行ってくれると信じている気持や、客が嘘を言っているのが判っているという気持や、その他さまざまなニュアンスが出せるのである。ちょうど、彼女たちが客と道で別れる時に使う「さいなアら」という言葉の「な」の音のひっぱり方一つで、彼女たちが客に持っている好感の程度もしくは嫌悪の程度のニュアンスが出せるのと同様である。》 -切抜/織田作之助

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