南無煩悩大菩薩

今日是好日也

気品の所在

2020-02-14 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(photo/source)

梅花の感じは、気品の感じである。

それはまた、梅花の香である、薄すらと霧こめた未明の微光に、或は淋しい冬日の明るみに、或は佗びしい夕の靄に、或は冷々とした夜気に、仄かに織り込まれて、捉え難く触れ難く、ただ脈々と漂ってる、一種独特の梅花の香は、俗塵を絶した気品の香である。その香を感じてその花を求むるは、俗であり愚である。花の在処を求めずに、漂い来る芳香に心を澄す時、人は気品の本体を識るであろう。

気品はまた、一の凛乎たる気魄である。衆に媚びず、孤独を恐れず、自己の力によって自ら立ち、驕らず卑下せず、霜雪の寒にも自若として、己自身に微笑みかくる、揺ぎなき気魄である。肥大ならず、矮小ならず、膨張せず、萎縮せず、賑かからず、淋しからず、ただあるがままに満ち足って、空疎を知らず、漲溢を知らず、恐るることなく、蔑むことなき、清爽たる気魄である。

それはまた、梅花の気魄である。霜雪の寒さを凌ぎ、自らの力で花を開き、春に魁けして微笑み、而も驕ることなく、卑下することなく、爛漫たる賑かさもなく、荒凉たる淋しさもなく、ただ静に己の分を守って、寒空に芳香を漂わしてる姿は、まさに気品そのものの気魄である。しみじみと梅花に見入る時、恐怖や蔑視や悲哀や歓喜など、凡て心を乱すが如き情は静まって、ただ気高き気品の気魄に、人は自ら打たるるであろう。

ー豊島与志雄[梅花の気品」より

"Jej Portret" by Włodzimierz Nahorny and Krzysztof Woliński

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする