私はいろいろと考えすぎるのかもしれない。
それはそれで、決して悪いことではなく、浅墓さを避け思慮深さを得、本質を見通すためのとても大事な行為だとは思えるのだが。
一つだけわかっていることがある。
私はいろいろ考えすぎる。
古代ギリシャやローマの哲学者ならよかったのだが。
そんな頭はわたしにはない。
大輪ではないけれど。
額も葉にも瑞々しさは無いけれど。
蕾はこれから開くか開かぬかも知れませんけれど。
真っ赤ではあります。
茎は丈夫な生命力を湛えています。
よろしければ。
すっくと立った。
そんな薔薇をどうぞ。
800年以上も前、この島で戦った源氏と平氏。
ここで、瀬戸内の制海権を失った平氏は、壇ノ浦での断末魔へと追い込まれていく。
海上から見る屋島は、うつくしい。
うつくしいがために、忘れてしまいそうでもある。
源氏の鬨(とき)の声、平氏の落人(おちゅど)の後姿、みんな呑みこんでいる島だ。
800年と言う歳月が長いのか短いのかはわからないが。
たぶん800年後も、同じようにこの島をこのように眺めて、おなじような想いを抱く人もいるだろう。