南無煩悩大菩薩

今日是好日也

はげまし。

2009-09-08 | つれづれの風景。

おい。がんばれよ。


おまえもがんばれよ。



豚にはげまされたようだ。

似合う真珠を買ってやろうと思う。


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福達磨。

2009-09-07 | 有屋無屋の遍路。

自問自福。

おのれの自問おのれの寄る辺(よるべ)。

辛いも幸もおなじなりわい一文字。

への字にしめて福達磨。

有るか無いかは、うやむやながら、せめてみたさに座禅組む。

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福達磨。

2009-09-07 | 有屋無屋の遍路。

光陰醒酔。

深き洞にて外をば睨まん。

千載一隅、我が意をおもわん。
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福達磨。

2009-09-07 | 有屋無屋の遍路。

悲喜苦楽。

過ぐること滝の如し。

留まること岩の如し。

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福達磨。

2009-09-07 | 有屋無屋の遍路。

春秋冬夏。

過ぎたるを以って瞑す。

過ぎざるを以って歓す。

及ばざるを以って服す。

-無山人-
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それも見通し。

2009-09-05 | 有屋無屋の遍路。

私はいろいろと考えすぎるのかもしれない。

それはそれで、決して悪いことではなく、浅墓さを避け思慮深さを得、本質を見通すためのとても大事な行為だとは思えるのだが。



一つだけわかっていることがある。

私はいろいろ考えすぎる。

古代ギリシャやローマの哲学者ならよかったのだが。

そんな頭はわたしにはない。

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かんちがい。

2009-09-04 | 有屋無屋の遍路。

お。ほとけさまがおるやないか。


それは、仏陀(ブッダ)、これはバッタ。


そうか。わしはてっきり、バッタやとおもうたわ。



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薔薇をどうぞ。

2009-09-03 | つれづれの風景。

大輪ではないけれど。

額も葉にも瑞々しさは無いけれど。

蕾はこれから開くか開かぬかも知れませんけれど。


真っ赤ではあります。

茎は丈夫な生命力を湛えています。

よろしければ。

すっくと立った。

そんな薔薇をどうぞ。

コメント (2)
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夏茜。

2009-09-02 | つれづれの風景。


かれかやの ほそしかぼそし さをなれど

しばしやすめや なつあかね

-無山人-



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島の風景。

2009-09-01 | つれづれの風景。

800年以上も前、この島で戦った源氏と平氏。

ここで、瀬戸内の制海権を失った平氏は、壇ノ浦での断末魔へと追い込まれていく。

海上から見る屋島は、うつくしい。

うつくしいがために、忘れてしまいそうでもある。

源氏の鬨(とき)の声、平氏の落人(おちゅど)の後姿、みんな呑みこんでいる島だ。


800年と言う歳月が長いのか短いのかはわからないが。

たぶん800年後も、同じようにこの島をこのように眺めて、おなじような想いを抱く人もいるだろう。

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