山中に一人で暮らすと、時は自分と共にある。
まだこの歳であるとか、もうこの歳であるとか、遅れているとか、進んでいるとか、思い煩うことはない。
相対的に己を定義する必要がないのであります。
本来の面目、本来の自分の裁量そのモノで生きられるのであります。
山中(さんちゅう)とは、個人的本意を守るシェルターの暗喩でもありましょう。
暦日(れきじつ)とは、相対的な価値を刻むものの比喩とも見受けられます。
人に勝つことはなく、負けることも無い。
追い越されることも無く、追い抜くことはない。
叶うこともなく、叶わぬことは無い。
どうぞお先に。わたしにはわたしの暦日がある。
周りに翻弄されずに、己は己の寄る辺。
そんな気持ちで、社会に住んでみるのも悪くは無い。
そこに、どんな引換券が用意されているというのかはわからないが。
山中暦日なし。
そんな心境に遊ぶ。
自分の心の庵に一人座る。
たまにはそんな時も有ってしかるべき。
邪魔しないから、できれば邪魔しないで下さい。
わが迷いよ。わが惑いよ。わが友よ。
その日は、遠くも無ければ、近くも無い。
さくらのような者にも 多く心をかけてくださる方々の居ること
折にふれ 感ぜずにはいられません
そうであればこそ こちらでさくらの学ぶべきことを
考えます
さくらは 頑固者のようで
自身では素直にあれかしと 思っているのですけれど。
青き海渡る仏像に なにがしかの惹かれるものが ございました
今しみじみ思うのは 勝負にこだわるわが心でしょうか
人に勝れりとは おもいませんのに
さくらのような者にも 多く心をかけてくださる方々の居ること
折にふれ 感ぜずにはいられません
そうであればこそ こちらでさくらの学ぶべきことを
考えます
さくらは 頑固者のようで
自身では素直にあれかしと 思っているのですけれど。
青き海渡る仏像に なにがしかの惹かれるものが ございました
今しみじみ思うのは 勝負にこだわるわが心でしょうか
人に勝れりとは おもいませんのに
今まで、あまりに周りを意識して暮らしておりました。
◎山中暦日なし。
◎そんな心境に遊ぶ。
いつもながら、とてもお勉強になりました。
有難うございました
はい。
このウェブログの世界に限らず、インターネット技術の浸透は、「縁」の可能性を各段に引き上げたようです。
つながり。というものが恐ろしく進化しています。
のみならず。さくらさんと同様、学ぶことを私も考えております。
ありがとうございます。
はい。
小生、少々遊びすぎて、変態、変わり者、事故中、等と罵声を浴びる次第でございます。
珠に程々で、たまほどが、寛容かと存じます。
失礼しました。
ありがとうございます。