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南無煩悩大菩薩

今日是好日也

of the nations by the nations for the nations?

2017-02-11 | 古今北東西南の切抜
(photo/source)

憲法は天皇を国民統合の象徴とも意義付けている。

その具体的な内容を知るために英文を参照すると、国民統合は“unity of the people”(人びとの単一性)に対応する。しかしピープルと国民、ユニティと統合とは合致しない。

およそ国民(国家の民)とピープルは、拠点も意義も正反対だから、おそらく、ピープルの集団を日本に住む人間の到達点と考え、その状態をユニティと見たのだろう。

理解を求めるための日本語文脈と、理想とする英語文脈を用意したのではないか。

そう考えると、見事な手腕だと、舌を巻く。

それほどに未来の国民に期待をかけたのである。

そのことは、この英文憲法のピープルが「日本国憲法前文」における国政上の「国民」への熱っぽい注目に他ならないことをもっても、明らかだろう。

「前文」はいう。主権は国民に存し、国政は国民の信託によるもので、国政の権威は国民に由来し、権力は国民の代表が行使し、その福利は国民が享受する、と。

そしてこの宣言が、有名なリンカーンによるゲティスバーク演説の末尾をもり込んだということも、広く知られている。

すなわち「人民の、人民による、人民のための政府」として語られる部分である(もちろんこの人民はピープル)。

しかし両者をよみ比べてみると、リンカーンが二分間の演説の最後にあわただしく加えたそれに、何倍もの内容を与えたものが「前文」であることがわかる。

ここに揚げたものを比べただけでも明瞭だろう。

みごとな具体化ではないか。

天皇は、このように肉付けされたリンカーン精神の「国民統合」の、象徴と位置づけられたのである。

世界的に著名な魚類学者であられる陛下はこれにすぐ気づかれるだろう。その時の負担感は、どれほど大きかったことか。

(切抜/中西進「国民統合の象徴」より)
コメント (2)
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