男は言った。
「水鳥は、空に在れば空を飛び、水に在れば水を泳ぐ。これ水鳥の楽しみなり」
もう一人の男が言った。
「あなたは、水鳥ではないのに、あなたに水鳥の楽しみはわからないのではありませんか」
男は答えた。
「君は、私ではないのに、私に水鳥の楽しみがわかることをわからないとなぜいえるのですか」と。
水鳥は、水鳥であり、事実は変わらないが、人は認識によって事実の意味を変えられる。
つまるところ、天上天下の万象は、各々個人を映し出す鏡のようなもので、私たちは万有の中に自分の姿を見るに過ぎないのかも知れない。