柿の木に柿の実が結び柿の葉と一緒に写っている。
八百屋にいって「柿下さい」というと売ってくれるのは柿の実だ。
りんごでも梨でもブドウでも。
柿といえば、柿の実を指す。
どんぐりは、どんぐり。椎やぶなや楢の実。とはいわず、どんぐり。
椎やぶなや楢といえば、実ではなく木を指すののだ。
イチョウの実といえば、ぎんなん。イチョウのことをぎんなんの木とは普通言わない。
杉にも松にも実はなるけれども、「杉を下さい」といったら、実ではなく木を売ってくれるだろう。
喰えるか喰えないかで、一般的な名詞として指す象徴が決まるのだろうか?
そんなことを考えていたら、夜も眠れなくなった。
どうでもいいが、私にも固有名詞がある。しかしながら、一般的な形称でてきとうに呼ばれるときもある。
木を無視されているのか、実を無視されているのか。はたまた双方取るに足りずなのかもしれない。
実は知っているが木はしらない。木は知っているが実は区別がつかない。どっちゃでもええやん。なんていうことが、人にも多分にあるのかもしれない。
喰えるか喰えないか、役に立つかたたないか。だけでものを見ると、実を結ぶような木を育てることはできないだろうなぁ。
先のとがった渋柿でも、焼いたり干したりすれば、甘味が出て美味い喰いもんになるんだものなぁ。
もひとつ。甘柿でも時期を間違えると渋い。
そういやぁ。子供の頃、柿の木に上って柿の実を喰っているとよく言われたなぁ。
「柿の木から落ちると不遇になるから気つけなさいよ」
なんでやろ。
渋餓鬼やったんか。甘餓鬼やったんか。
ま。そんなこんなの。柿の実。