南無煩悩大菩薩

今日是好日也

柿の実。

2006-09-28 | つれづれの風景。

柿の木に柿の実が結び柿の葉と一緒に写っている。

八百屋にいって「柿下さい」というと売ってくれるのは柿の実だ。

りんごでも梨でもブドウでも。

柿といえば、柿の実を指す。

どんぐりは、どんぐり。椎やぶなや楢の実。とはいわず、どんぐり。

椎やぶなや楢といえば、実ではなく木を指すののだ。

イチョウの実といえば、ぎんなん。イチョウのことをぎんなんの木とは普通言わない。

杉にも松にも実はなるけれども、「杉を下さい」といったら、実ではなく木を売ってくれるだろう。

喰えるか喰えないかで、一般的な名詞として指す象徴が決まるのだろうか?

そんなことを考えていたら、夜も眠れなくなった。


どうでもいいが、私にも固有名詞がある。しかしながら、一般的な形称でてきとうに呼ばれるときもある。

木を無視されているのか、実を無視されているのか。はたまた双方取るに足りずなのかもしれない。

実は知っているが木はしらない。木は知っているが実は区別がつかない。どっちゃでもええやん。なんていうことが、人にも多分にあるのかもしれない。


喰えるか喰えないか、役に立つかたたないか。だけでものを見ると、実を結ぶような木を育てることはできないだろうなぁ。

先のとがった渋柿でも、焼いたり干したりすれば、甘味が出て美味い喰いもんになるんだものなぁ。

もひとつ。甘柿でも時期を間違えると渋い。

そういやぁ。子供の頃、柿の木に上って柿の実を喰っているとよく言われたなぁ。
「柿の木から落ちると不遇になるから気つけなさいよ」

なんでやろ。

渋餓鬼やったんか。甘餓鬼やったんか。

ま。そんなこんなの。柿の実。
コメント (2)
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