どうせ働くなら。 ということについて。
ある職種に就けば、必然的にその職能なりの コアコンピタンス(中核能力)を要求される。
つまりそのスペシャリティ(専門性)は当然の如く違ってくるから、専門職となりえる。
ゼネラリスト性(総合的能力)とスペシャリスト性(専門的能力)のどちらにおいても スペシャリティ(特殊性)は 要求されるものであろう。
人と自分は同じではない。 この当たり前のことに気付いて初めて スペシャリティは成就するようにも思える。
ある専門性に秀でることによって得た成功体験は 応用力学的に他の分野においても その活動における能力として たぶん機能するようになるはずだ。
技術の問題なのか 相性の問題なのか 心の問題なのか 環境の問題なのか という着眼においての応用は ある種の成就 やり遂げるという体験が重要だろう。
つまるところ その職種。今自分が選択している職業なりの 求められるもの(スペシャリティ)を理解できない限り どのような職種に就こうが専門的優位性は 期待できなさそうだ。
同じ職種に携わるのであれば 経験はほぼ似通ったものになるだろう。
では何故 成功する人と 成功し得ない人が生まれるのだろうか。
この 違い を 生み出すのを 特殊経験 と呼んでみたい。
特殊な経験をするから ある種 特殊な存在となって 成功もしくは富の入手に近づくのではないか。
同じ経験値でも 自分に合った事象を 抽出し 特殊なものとして着眼・改善・実行に移す事によって得られる経験が 特殊経験だ。
人とは違う 自分に合った 人にはできない アプローチの有無が 職能上の 明暗を分けそうである。
不二の能力。不二の魅力。
現代の日本では その気にさえなれば 誰にでも見いだせられる時代であろう。
ただ 誰にでもそれを手に入れられるかどうかは別だけれども。
自らの存在のスペシャリティを増すもの。
どれほどの意志をもって。どれほどの選択的整合性を持って。 我々は経験しているのだろう。
どうせ働くなら 二つといない自分の価値を 高めよう。
不二の魅力。に挑戦。
職能資格要件書。