モンテーニュは、「どうして」あなたは、あの方と友達なんですか?と聞かれた。
彼は決まってこう答えたという。
「彼が彼で私が私だから」
どうして? に明確な答えなどを求めてはいけない。
よろしいか、「どうして?僕は、痔になったんだろう」などと悩んではいけない。
長男ではないし、「痔なんだから」としか答えようが無い。
私たちはいつも曖昧な状況に直面しています。
だからいつも、危険と隣り合わせです。
常に何事にもリスクは潜んでいます。
回避できるものもあるでしょうが、引き受けざるを得ないリスクもあります。
そんなとき私はいつもこう考えるようにしています。
リスク対応は逆張りに限る。そうするとクスリになる。
晴れ渡る空、流れる小川、色彩々の木々、澄んだ空気。
初冬の一幅の借景の中を散策するわたし。
小川には、橋がかかっていてわたしはそれを渡る。
誰かがそれを見る。
そして言う。
みてみて、晴れ渡っている下を禿げ渡っている。
くっきりと引かれた境界線のこちら側で、雀が羽を広げて涼をとる。
ここには僕がいるから、ぎりぎりのラインで留まっている。
雀君よ。そこはまだ暑いし、もうじきそこも熱にやられるぞ。
おい、遠慮は無用、もっとこっちにきて、すずめ。
かかし しかし かかし。
ワタシとタワシは違う。
女王、エカテリーナ2世に、エテカテシタリーナ、といっても通じないだろう。
アカルイハダカと、アルカイハカハでは、死に際も全く違う。
オジヤは食えても、オヤジは食えんのである。
しかし、このかかし、なかなか愛嬌がある。
このなす。
ご神体とは気付かずベンチ代わりに座ってしまったわたしは、おたんこなす。
なすのよいちがやきなすでもてなす、なすかしい味わい。
これはいかなすと、なすりなすりして、ぼけなす封じを願う。
なせばなす、なさねばなすはなさぬの、おたのみなす。
頼みっぱなしではなす、頼んで為すのがおたのみなす。