掛井酒店

純米酒(日本酒)の話題を中心に、ドイツビールやワインなどの入荷情報、日々の出来事を発信します。

夏本番

2010-07-21 13:56:24 | ご挨拶
書中お見舞い申し上げます。

先週は、各地でものすごい豪雨でした。広島県内では特に甚大な被害が出ました。私の地元では幸い大した事は無かったのですが、被害に遭われた方は本当にお気の毒な事でした。心より、お見舞い申し上げます。

そんな、大雨が嘘の様に7月18日は快晴夏の日差しが突き刺さるほどの陽気でした。
そんな中、お盆を約一ヵ月後に控えその前に徐々にお墓の掃除をと想い、早朝幾分か温度が低いうちにと墓掃除に行って参りました。
ご先祖様が竹原の出身という事も有り、我が家のお墓は車で40分余りの竹原市忠海町に有ります。山に登られる方はよくご存知でしょうが、瀬戸内海が一望できるスポット「黒滝山」という山が在りますが、その山道の入り口辺りにある墓地です。
「黒滝山」ほどでは有りませんが、小高い所なので海や正面に浮かぶ大久野島などなどの島々が見え、とても眺めのよいところです。この墓地に眠る今は亡き父が、生前地元西条に墓地を移そうと土地まで買っていたのに、いざ移そうという段に成った時、こちらの墓地の眺めのよさに改めて心が動き、「自分の都合で墓を移すんもの~・・・・墓守するするものが足を運べばええんじゃけ~このままにしとこうか・・・」と墓を移すのを断念した様です。その話を母からよく聞いていて、いつもここからの眺めを見るとその言葉を思い出します。
また生前、魚釣りの好きだった父でしたので、ここから見える眺めは彼にとって最高のロケーションですし、温暖でのどかな風景は、今にして思えばここにお墓が在ってよかったな~としみじみと思います。その後、汗だくに成り掃除を終え、やれやれと空を見上げると真っ青な空に夏特有のもくもくした雲が浮かんでいて、夏本番を感じさせるお天気でした。帰り道、海沿いの道で釣り船が舟が一艘。海の青・空の青とても夏らしい素敵な風景で、思わず車から降り写真を一枚まだまだ暑さはこれからが本番先は長いですが、皆様お身体ご自愛され夏を乗り切って下さい。




旬遊記事『開春』

2010-07-17 22:20:59 | 日本酒
創刊当初から、買っている雑誌『旬遊』(年4回発刊=3・6・9・12月)6月号に、当店でお付き合い頂いている島根県太田市温泉津の蔵元・若林酒造「銘柄=開春かいしゅん」の記事が載っておりましたこの雑誌は、中・四国地方の素敵なお店やスポットを紹介する情報雑誌ですが、創刊以来必ず日本酒の蔵元を紹介する記事が載せてありま。我が街・西条の蔵元でも「亀齢酒造」や「西条鶴酒造」なども紹介された事がございます。

こちらの蔵元さんは、温泉津温泉の入り口の方に位置し、現在の山口杜氏(39歳)に成られてから、さらに意欲的に色々な事にチャレンジされ個性的なお酒も数多く造られております。
当店では、「若林酒造」さんのお酒は「生もと」の商品をを中心に販売しておりますが、今回の記事は、主にその「生もと」造りに対する蔵元・杜氏の想いなども書かれており、とても楽しく拝見させて頂きました。

記事の中の一つに、「酒造りは生き物を扱う仕事、人間が考える通りに出来るわけではないことがよく分かりますね・・・・・・毎年どんなものが出来るか分からない酒が有っても面白いでしょう」というコメントがありました。 
まさにその通り・・・一般的には何か勘違いをされていて、毎年同じような酒が出来ていないと「味が違う・・・・」などと余りいい印象を持たない表現をします。
(ワインなどは毎年味が変わっても何故か納得されますが・・・・笑)
【下写真:山口竜馬杜氏】大事なのは、お酒の味が変わる・・・うんぬんより、その蔵元がどのようにお酒と向き合っているのか、どんな取り組みをしてどのような酒を造りたいのか、など方向性がちゃんと有るのか、それをどう実行しているか・・・という事の方がより大事だと思います。
その上で、毎年微妙に味わいが変わるのは当然で、寧ろ歓迎すべき事です。
日本酒を醸す事は、野菜や果物などの農作物を作る事に、かなり類似しているような気がします。米という自然の恵みを生かしてながら、酵母という微生物によって造り出される日本酒は、農作物同様人間がすべて操れるほどなま易しいものでは有りませんし、無論工業製品ではないので判で付いたような同じものは出来るわけが有りません。
(後から色んな物を入れ、強力な墨ろ過をすれば別ですが・・・笑)しかも、乳酸を人工的に添加する「速醸モト」ではなく、天然の乳酸を自らの力で造り出す「生モト」と成れば、なおさらです。
それよりも
(余り比べたくは有りませんが)ワインのビンテージのように「あの年のあの酒は、こうだったね~」とか「この年の酒が俺はすごく好みだな~」何て飲み方が出来るのは、とても楽しい事です。(そんな事をやって私達も結構楽しんでますが・・・・)まだまだ、こういった飲み方をしておられる方は、まだ少数派ですが、こういった飲み方が広まれば、もっともっと楽しい日本酒ワールドが広がるのではないでしょうか・・・。
若林酒造さんも、記事の中でビンテージについて触れておられますので、何年か先には「開春」の多年度のお酒を手軽に店頭で買え、飲み比べを楽しめる時が来る事でしょう。そんな日を思い浮かべながら、今日は「開春」を飲んでみようかな~。
これからも、まだまだ楽しみいっぱいの蔵元さんです。



退院祝い・・・・ん?

2010-07-12 22:11:35 | 出来事
先日嫁さんが、退院しましたというブログをUPしましたが、入院していた際お見舞いに来て頂いたり、過分にお気使いして下さったりと、いつもお世話に成っている勅使河原(仮名)様ご夫婦と山賊(仮名)様ご夫妻をお招きして、ささやかな内祝いの宴を致しました。
と言っても、嫁さんはまだ病み上がり・・・手の込んだお料理でおもてなしも出来ないので、近くのお店にお願いしてそちらの方で行いました。
お招きするに当たって、山賊様には「くれぐれもいらない気は使わないで、身一つでお出で下さい」と言っておいたのですが、勅使河原様とご相談の上、退院祝いの品をご用意されてお出でに成りました。もうすでに過分にお心使い頂いていたのに大変恐縮致しました。
しかし、頂く際に何か意味ありげなそぶり・・・・・「何かあるのですか」とお聞きすると、山賊殿は苦笑され勅使河原様は、恥ずかしそうに下を向いてしまわれました。

益々「え~ナニナニ」と嫁さん。しかしながら山賊殿は「ま~開けてみて下さい・・・・」とだけしか・・・・。嫁さんが意を決して包みを開けてみると、山賊様の地元日本一の筆所の立派な「書道筆」中筆と小筆のが・・・・・。嫁さんが書道を習っているのをご存知で、粋なプレゼントでご座いました。しかも筆には名前が書かれておりました。「わ~名前入りの筆」と思った瞬間「ン~・・・・・」何と嫁さんの名前が・・・・・・・そうです嫁さんの名前自体は合っているのですが、字が・・・・・・・家の嫁の名はいたってシンプルな「直美なおみそこに書かれていた文字は「直実なおみ「あ~そういう事だったのね・・・・」と嫁・私納得。
どうやら、勅使河原様の旦那さまが勘違いされたようで、私の家にこられる電車の中で間違えが発覚。
本当はとても根が真面目な勅使河原様。必要以上に責任を感じられ、こちらにいらっしゃる道々めり込んでおられたようです。ど~りで今考えれば最初お会いした時元気がなかったな~(笑)
でも、これはこれ・・・普通に名前が入っていても有り難いのですが、逆にこの筆に刻み込まれた「実」という字を見る度に、嫁も私も勅使河原様・山賊様ご夫婦の温かいお気持ちを、微笑み持ちながら思い出すことでしょう・・・・

本当に心より感謝しております。



失礼致しました。

2010-07-10 00:24:10 | 告知
前回のブログを制作中、保存する予定だったものを公開してしまい、ブログ未完成のまま公開をしておりました。

未完成のままのブログを見られ方、本当に申し訳御座いませんでした。

現在は、完成品をUPしておりますので、宜しかったら見てやって下さい・・・・。失礼致しいました。

取り急ぎ・・・・・。




嫁さん出所?

2010-07-09 13:22:40 | 出来事
骨折をし入院をしていた嫁さんが、今月の4日(日曜日)ようやく出所退院致しました。
実は、今年の4月18日(日曜日)の早朝、自宅階段で転倒し見事に骨折をしてしまいました。
その日は、20名位で貸切バスで出雲ワイナリーに行く予定になって、我々2人もそれに参加する為に正に家を出る矢先の出来事でした。
私はその時、バスの中での飲み物の支度をしておりましたところ、自宅の方からド~ンと大きな音が・・・・。あわてて行って見ると、すでに嫁は階段を自力で下りて、椅子に腰掛けておりました。傷めた左足首上を見る為、ズボンの裾を上げると「あちゃ~」普通は出っ張りのない所が出っ張っており、一目で骨折と解る状態でした。
しかしながら、初めて骨折した本人は信じられないのと、認めたくないのとで「ほんと・・・ほんと・・・本当に骨折しとるんかね~」とのたまうので、私も思わず「見たら解るじゃろう~・・・どう見ても折れとるよ・・・・」と言うと、やっと本人も観念したようで、しぶしぶ骨折を受け入れているようでした。
骨折した時間が、早朝6時前しかも日曜日ということもあり、すぐに救急病院を調べそちらの病院へ車で連れて行きました。幸い自宅から近い病院で程なく到着し、すぐに診察して頂きました。
やはりというか、やっぱりというか・・・骨折しかも足首上の太い骨と細い骨と二ヶ所・・・思いのほか重症。
当直の先生の「これは手術しないといけませんね~・・・」という言葉に本人もショックを隠し切れない表情でした
しかしながら、本日は日曜日ということもあり手術出来ないとの事で、応急処置的にギブスを巻きとりあえず帰宅・明日以降の処置という事に成り「改めて月曜日に来て下さい」という事に成りました。そんな訳で、救急病院には大変お世話に成りました。が・・・・しかし実は、やはり自宅から近くで、小学校の頃から懇意にしている同級生が院長を勤める整形外科病院があり、少し心は痛みましたが、こちらでお世話に成る事に致しました。
こちらの病院は同級生の院長を始め副院長は院長の実弟(次男)もう一人の実弟(三男)もこちらの病院で勤務と、三兄弟がすべてお医者さんになられ、初代院長(院長の父上=現・理事長先生)が開業された病院を次いでおられます。「まさに整形外科病院のサンフレッチェや~」とでも言うようなところでス。勿論昔から弟さん達もよく存じ上げておりました。
こちらの病院には他にも色々と深い縁があります。不肖・私も中学生の時、嫁と同じような所を骨折し現・院長のお父上様に大変お世話に成りました。
また、私の亡くなった義理の兄(私の姉の旦那)が当時広島大学病院に籍を置いていた時、当時の院長先生が体調を崩され、その際に外来・手術などピンチヒッターとしてこちらの病院でお世話になっておりました。
その後院長ご夫妻の取り持ちで、私の姉と結婚することに成ったという様な事もあり、縁深い病院なのです。

突然ですが、私、間違ってこの地点ブログ制作途中にもかかわらずメールを公開しておりました。途中までしかお読み頂けなかった皆様、誠に申し訳御座いませんでした。それでは、続きを・・・・・。

そういった病院なので、家族のものも少し気が楽で安心しておりました。
ベテラン看護婦さんの中には、義理の兄の事も覚えて頂いている方もいらっしゃり、こちらも逆に懐かしくお話を聞かせて頂いたりと何か不思議な気分でした。
そういった事もあり、看護婦さんは勿論、院長やご兄弟の先生にも大変良くして頂き、手術も無事終わり、順調に回復し大きな問題もなく、2ヶ月と2週間大変お世話に成り、どうにか模範囚かどうか分かりませんが、どうにか出所退院の日を迎えることが出来ました。
(まだ、少し長歩きをすると足が浮腫みます・・・少し安静にすると浮腫みも引きますが・・・)とは言え、骨にはまだ金具が付いており、ちゃんとスムースに歩行が出来るように成った暁には、また二週間入所入院し、残りの弁当食わされる金具摘出をしなければ成りませんが、それは抜糸すればすぐに退院し歩行もすぐに出来るようです。しかし、ま~一段落といったとこでしょうか・・・。
今回の件で多くの皆様にご心配、ご迷惑をお掛けしたにも関わらず、お気使い頂きました。皆様にこの場を借りまして、心より深く御礼申し上げます。何卒これからも宜しくお願い致します。