ご存知の方はご存知なのでしょうが・・・・「中国新聞」に9月22日・10月6日と立て続けに私が載りってしました。「やっぱり・へんたいだけに、とうととう・・・・」「コラ~ちゃうちゃう」内容は業界についてのコメント・もう一つは「酒まつり」についてのコメントでした。今に成って何でと思われる方もいらっしゃるでしょうが、実はこの度、業界とは全く関係ない事で、母が同じく「中国新聞・広島圏域版」 (←クリックしてね)に載りました。「あ~あお母さんまで・・・・」「コラまたそっちかい・・・」
今回、母が台湾旅行をすることに成りましたが、その旅行は広島市立第一女学校(現在の舟入高校)の同級生との喜寿(77歳)の、「お祝旅行」として企画された旅に取材が来たというものです。なぜ喜寿の旅行で取材が来たかというと、母の時代は女学校の時に、あの忌まわしい原子爆弾が広島に落ち、多くの同級生・家族・親戚・知人を一瞬の内に失い、生き地獄の広島を経験し苦労をして今日まで歯を食いしばって生きて来た人たちです。その彼女達が運良く一命をとりとめ、「今日まで生きさせてもらい喜寿を迎えた」という事をお互い喜びその記念に「台湾旅行」に行く事に成った為、それを知った新聞社が取材に来たという訳です。(写真向かって後列一番右が我が母で御座います。)
しかしながら、母達はたまたま元気で喜寿を迎える事が出来ましたが、もっともっとご苦労をされた被爆者の皆さん・未だに原爆症で寝たきりに成っておられる方・後遺症に悩まされ旅行どころでは無い方を思うと、本当に有り難い事だと思います。
残された時間はあまり長くはないのかもしれませんが、その日まで「平穏に楽しく過ごしてもらいたい。」素直にそう思う私で有ります。
今回、母が台湾旅行をすることに成りましたが、その旅行は広島市立第一女学校(現在の舟入高校)の同級生との喜寿(77歳)の、「お祝旅行」として企画された旅に取材が来たというものです。なぜ喜寿の旅行で取材が来たかというと、母の時代は女学校の時に、あの忌まわしい原子爆弾が広島に落ち、多くの同級生・家族・親戚・知人を一瞬の内に失い、生き地獄の広島を経験し苦労をして今日まで歯を食いしばって生きて来た人たちです。その彼女達が運良く一命をとりとめ、「今日まで生きさせてもらい喜寿を迎えた」という事をお互い喜びその記念に「台湾旅行」に行く事に成った為、それを知った新聞社が取材に来たという訳です。(写真向かって後列一番右が我が母で御座います。)
しかしながら、母達はたまたま元気で喜寿を迎える事が出来ましたが、もっともっとご苦労をされた被爆者の皆さん・未だに原爆症で寝たきりに成っておられる方・後遺症に悩まされ旅行どころでは無い方を思うと、本当に有り難い事だと思います。
残された時間はあまり長くはないのかもしれませんが、その日まで「平穏に楽しく過ごしてもらいたい。」素直にそう思う私で有ります。