というのも、沖縄のユタね。
鳥の声が聞こえるらしい。
そりゃ、声というか、囀りだけなら、当方も聞こえるけれど、言葉として。
意味を持つものとして、いや、なんらかのメッセージとして、だな。
んなことになれば、毎朝、途方もないことになるけれどね。
何?なに?なーに、ってわけだ。
もっとも、聞こうとして聞くことができるのでもなく、なんだろうね。
ふと訪れる、とでもいうか。
ま、そんなだから、気楽に、って次第。
こちらのレストランにも、もう少ししたら、やってくる。
ユタに倣えば、ひょっとしたら、なんらかの、重要なるメッセージとともに、ね。
そういえば、ユーミンの歌に、カーテンの向こうからやってくるもの、だっけ。
すべてはメッセージ、なんての、あったよね。
とはいえ、あんまり、言葉のやってくるかも、ということに気を取られていると、今この時が疎かになり。
過去と未来のゆりかご、シーソー、ブランコ、ふらふら揺れて、ゆやーんゆよんゆやゆよーん、と中也だ。
さすがに、立春という集合意識に畏れをなしたか、今朝のフロントガラスは凍ってなかったな。
もっとも、そんな季語も、ご当地、駿河のなせる技でもあるんだろうね、東京方面は大雪注意報だ。
このところ、おどろおどろしい謳い文句が溢れ出てくる気配だよね。
なんて、メジャーなブログやツイッターだったら、噴飯物、いや、怒涛の炎上くらいな話かもな。
実は、昨日、あることであることが腑に落ちたんだけどね。
もちろん、以前から腑に落ちていた、とも言えるけれど、それが、さらに増幅されたとでも言えるか。
世界規模での、パンデミック由来の、だけど。
なんて書いていて、わが社でも、社員さんの界隈で、陽性者、濃厚接触者、そのまた濃厚接触者が確認されそうな。
そんな状況なんだけど、ね。
だからなに?ってなもんでもあるが。
この手法を続けたら、どこかで確実に、人手不足となり、なんて話でもあるな。
ま、それはともかく、立春の日曜日に出かけることにします。
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