何回も書いてるかも、だけど、この瞬間がいいんだよね。
今朝は、雨模様なので、早めに骨ストレッチを、ということで屋上でやっていたら。
このところの常連さん、何トンボというのか、シオカラトンボか。
わが元へ訪れ、一緒に、朝の冷気を楽しんだのでした。
すると、ツバメのような動きの小鳥もやってきて、すぐ飛び去ったけど。
朝から、命との遭遇を味わったわけだ。
表題は、そんな汗の後の定位置での記述、ってことなんだけど。
目には見えねども、って具合に訪れる、微細な動き、ガイアの呼気なのかもしれず、ありがたく。
頂戴いたします、ってことだ。
こんな静かなお盆休みにも、働いている方々はいらっしゃるわけで。
昨日も、次男坊とトラックにて、わが家の不要物を積み込み、清水と静岡の焼却場へ運んだ。
それぞれの土地柄か、あるいは、運営方法の違いか、おもてなしの違いは感じたけれど、彼らだって。
世間の休みの中、暑い暑いと言いながらのお仕事だ。
お百姓さん、ありがとう、兵隊さん、ありがとう、なんて戦前の尋常小学校の教科書みたいなフレーズ。
浮かんでくるけど、時代は違えど、そんな心境は、変わらないだろうな、なんて感傷に浸っていると。
例の、ハラリ教授だ。
古来、帝国による、多種多様な民族の寄せ集め、なんてのが、えぐい暴力を伴い、そこかしこで行われ。
現代の、グローバルな、というような言葉につながる。
一つの帝国が滅びたとして、じゃ、元の個々の民族に戻れるかといえば、すでに、言語からして。
帝国由来のもの、その他、文化文物も、メイドイン帝国みたいなものなので、以前の。
民族、古来の習俗を纏った人、には戻れない。
というね、なんて書いてきても、読んだばかり、まだ、下巻が残ってます状態なんで。
中途半端だな。
なんてことはともかく、この間の札幌プチ避暑研修ね、だいたい、ここかな。
なんて自分の中での落とし所が見つかった模様で。
それで行こう、ってなもんですが。
to be continuedとしておきます。
さて、今日も、わが家のお片付けとなります。