まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

目の前の床を両手でトントントンと叩く

2021年04月12日 | Weblog

たぶん、これが、昨日も少しふれたけれど、二番目の孫娘からのメッセージだな。

とふと、今、浮かんできた。

目線を合わせて、それに応じれば、一つのコミュニケーションが成立、ってことか。

言葉はとても便利なものなので、多くの場合、それに依拠し、そこでの齟齬に傷つき、とかね。

あるある、ってなもんだな。

1年以上続いている、いわゆるコロナ禍、ってやつで、家族での会話が増えたんだけど。

そこで、自分と子どもたちの関係を、わが父親との関係に置き換えてみたりすることが多くなっていて。

密を避けろ!の社会からの要請により、逆に、亡き父親であったり、施設に入所中の母親であったり、との。

密が濃厚になっているとも言えるか。

だから、コロナ=567で弥勒菩薩なんて説も、満更でもないわけだ。

解釈一つで、幸せにも不幸せにもなる、って格言?だな。

グローバリズムという面の拡がり、もっともっと遠くへ、というスタイルが、国境で、それこそ齟齬をきたし。

人の行き来がままならない状態に陥っている現時点、ナショナルな思いが、さまざまな形で目につくようになる。

のかもしれず。

自分というものの確認作業のとっかかりは、どうしても、他人は自分と違う、ってところから入らざるを得ない。

んだろうしね。

ユニクロの柳井さんが、ウイグルへの圧政に、ノーコメント、ということで批判されていたけれど。

ウイグル綿を使った製品化、って次第だけど、僕も使わせてもらっているし、なんて言い始めたら。

今朝のコスタリカのアキアレス、という珈琲だって、フェアトレード、なんて言葉が存在することが。

アンフェアの存在証明でもあってさ。

「風の盆」のお祭りは、風よ吹かないでくれ、だし、鈴鹿の精錬の民のお祭りは、風よ吹いてくれ、だし。

なんて書き出すと、終わらなくなりそうなので、このあたりにしときます。

 

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