と言っても、こちらは、自らの選択で、だけどね。
それにしても、鵜飼、なんてのは神武天皇の頃から、というんだから。
カワウくんたちも、人間に使われてきたんだな、酷使、は言い過ぎか、そうでもないか。
わが駿河の地、海沿いを焼津へ抜ける道沿い、用宗の先なのか。
そこで、カワウを捕獲して、調教する、なんて部族?氏族?がいたとどこかで読んだな。
見晴らしのいい、小高い場所で掘立て小屋を建て、中から手だけ出るようにして、カワウくんが。
やってくるのを待ち受け、脚をむんずと捕まえ、ってことらしい。
見ようによっては、見事、片方からすれば、無惨な瞬間、奴隷化への、なんてわけだ。
海上ではいわし漁の大漁旗が振られ、海中ではいわしの葬送の儀が執り行われ、って金子みすずだ。
何事も二面性が、ってことで。
北陸は、富山、風の盆の祭りでは、風よ吹かないでくれ、という祈り、かたや。
鈴鹿だったか、伊吹おろしの、彼の地では、精錬の民たちは、火を熾さなきゃ、だから。
風よ吹いてくれ、の祈り。
土地土地で違うのは、当たり前と言えば、当たり前で。
出どこが一緒の宗教、キリスト教でも、イスラムでは、偶像崇拝はするな、だしね。
もっとも、どうやら、宗教なるものも、姿形を変えてゆくのかも、なんて言説もあるしね。
時代時代で、ゆく川の流れは元の水ではない、でも、絶えません、って仕儀だ。
昨日は、午後いっぱいかけての臨時取締役会で、わが社の弱み、をたくさん出した。
まるで、膿を出し切る、みたいなものか、いや、ちょっと、違うか。
それにしても、弱さを認められる強さ、なんて言い方、ありかな。
強い、弱いも、ある意味、似たようなものでもあり、はともかく。
そんな仕儀を経て、5月からの新事業年度に向かう、という算段だ。
さて、今日へ出かけるとするか。