先週、喜び勇んでの、真鯛の炭火焼。
の結果がそう言うことらしく。
アラやら何やらは、ビニール袋煮詰めてゴミ箱へ、と言う良い子の振る舞い。
だったんだけど。
そのビニール袋から漏れ出した臭いが、とかね。
今日も炭をおこすかな、と言う一言への返しが、妻からのそんな顛末で。
これ、面白くて。
たぶん、どうでもいいことだったら、こんなこと言われちゃったからやめとこう。
と展開し、どうせ俺は的な、になりがちでもあるんだけど。
そこはそれ、こちらは人生かけてやってるんで、誰もいない荒野で。
例えば、雨が降ってきた時に、傘がなければ濡れるか、あれば。
なんであるあいである、なんて言って、傘をさす。
くらいの話、って、これ、落語の、なんだったか。
春風亭柳橋の、野ざらし、でもなく、そうだ、「天災」の噺を下敷きにしてるんだけど。
ところで、今、悲しかったのは、りゅうきょう、と入力して、柳橋、と変換されなかったこと。
このMacBook Proの向こう側にいるのは、たぶん、中国か、インドの文化を背負った方々なのか、とね。
こんなところで、悲しんでいたら、このグローバルの時代を、耐え忍び打ち克ち、なんてことできないから。
ゲームのルールを、ちょっと変えないとね。
と言うのも、昨夜、たまたま、BSをひねったら、と言うか、リモコンのボタンを押したら。
例の、ハラリ教授の番組で。
神になった人間、神を目指した人間、とでも言うか、「ホモ・デウス」の解説番組で。
AIに席巻された世界は、かくかくしかじかで、みたいな未来予想図をね、やっていたんだ。
全知全能を手にしたAIが権力と富を手にする、なんて感じかね。
すでに始まっている、手首かなんかにチップを入れ、とか、頭のどこかに埋め込む、とか。
もっとも、当方だって、Apple Watchを寝ながら腕に巻きつけ、睡眠の深さ、なんての。
計測しているんだから、似たようなものだけど。
は、ともかく、浮かんできたのは、例の、オーム真理教の、なんて言うのか、末端の信徒たちが。
ヘッドギアつけたりの、姿ね。
意識、と言うのか、認識の仕方を、ヘッドギアでコントロールする、っての。
ヘッドギアは、即物的で、わかりやすいけど、そうでない、例えば。
洗脳なんてのね、なんだっけ、テレビの画像に仕掛けられた、なんとかって言うイメージを。
なんどもなんども映し出し、なんてのね。
すると、知らぬ間に、脳が騙され、と言うのか、当たり前化されたものとして、あるイメージが定着し。
と。
もっとも、そんなこと言えば、いわゆる、社会通念なんてのも、似たようなもんだけど。
オーム真理教に限らず、ヘッドギアの向こう側なるもの、それへの憧れ、なんてのは。
早い話が、青い鳥探し、でもあり。
ないものねだり、の帰結。
生きてるだけで丸儲け、イマルの思想が大切になるのかも、って感じだな。
今朝は、長くなった、風邪ひきだからか、と言うわけで。
ここらでよかろか、って。