おむろせんげん神社と読む。
富士吉田町の観光パンフの、小室浅間神社の参道をのんびり散歩してみるもよし、の言葉にほだされて、出かける。
富士吉田の街を一人で味わう。
なかなか、いい味だった。人は、あんまりいなかったけれど。
帰りに、馬刺しと牛刺しを買って帰る。
この、おむろ、もともとは、御室、と書いたそうで、南朝方の一の側近の、御室家に関係があるらしい。
戦いに敗れた南朝方は、たぶん、方々へ逃げ延びただろうけれど、いずれ、山深い、人里はなれたところにしか、住めなかっただろう。
塩の道、秋葉街道の、三倉の近くにも、一軒残っていた。
その付近の八幡神社を勧請したのは、御室家の何とか言う人だ、と言われている由。
世に、素人・自称歴史家ほど、幸せなものはいないだろうと、夢想しつつ、あっちこっちの、言い伝えやら何やらを、くっつけたり、はなしたり、している。
富士吉田町の観光パンフの、小室浅間神社の参道をのんびり散歩してみるもよし、の言葉にほだされて、出かける。
富士吉田の街を一人で味わう。
なかなか、いい味だった。人は、あんまりいなかったけれど。
帰りに、馬刺しと牛刺しを買って帰る。
この、おむろ、もともとは、御室、と書いたそうで、南朝方の一の側近の、御室家に関係があるらしい。
戦いに敗れた南朝方は、たぶん、方々へ逃げ延びただろうけれど、いずれ、山深い、人里はなれたところにしか、住めなかっただろう。
塩の道、秋葉街道の、三倉の近くにも、一軒残っていた。
その付近の八幡神社を勧請したのは、御室家の何とか言う人だ、と言われている由。
世に、素人・自称歴史家ほど、幸せなものはいないだろうと、夢想しつつ、あっちこっちの、言い伝えやら何やらを、くっつけたり、はなしたり、している。