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アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

雪中走行の頼もしきゴハチ達~EF58

2021-03-21 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今シーズンは、雪中撮影も叶わずお彼岸を迎えてしまった。

毎年暮れから春先にかけて、雪景色を求めて出かけたものだが、近年ではその恒例行事も影を潜め、大人しくしていることが我ながら増えたように思う。全国的に暖冬化傾向にあることで、雪が少ないシーズンが続き、昔から比べたら首都圏の雪も降ること自体少なくなってしまった。この冬は、エルニーニョ現象で久々に寒い冬と予想していただけに残念だ。

ここでは、国鉄時代に毎年よく出向いた上越線から1枚掲載して当時を凌ぎたい。EF16という補機が走っていた時代の上越線は、旅客列車の主力はEF58、貨物列車はEF15がメインの電気機関車だった。最大のターゲットは、EF16を従えたEF58の客車列車だったが、編成が短く補機なしで上がってくる単機けん引のEF58の列車も魅力的に思ったもの。東海道を走るゴハチとのイメージの相違を見せつけられたものだ。この日は、14系座席車6両の団臨が、ラストナンバー175号機けん引で上ってきた。やはりゴハチのこの井出達は、雪を蹴って走る雪中走行が一番お似合いだ。

1980-02-10  9734ㇾ   EF58175       14系   上越線:越後中里付近


J.レヴァインの訃報を受けて

2021-03-20 19:00:00 | 日記

近年あまり名前を聞く機会がなかった、アメリカの指揮者ジェームス・レヴァイン氏が亡くなった(享年77歳)。

生前何度かの来日も果たしているが、オペラ中心のプログラムに活躍し、オーケストラコンサートの指揮はほとんど無かったためか、生演奏に触れる機会は逸してしまっている。オペラ上演の合間に、もしかしたら管弦楽曲の指揮や室内楽でピアノも披露している演奏会があったかもしれないが、詳細は忘れてしまった。

アントンKが、指揮者ジェームス・レヴァインの名前を知ったのは、1970年代まで遡る。この時代、ブルックナーとともに聴いていた楽曲にマーラーがあり、新譜でマーラーの第6交響曲が発売され、その指揮者がレヴァインだった。当時はむろんLP2枚組のレコードで、それを繰り返し聴いていた思い出が昨日のことのようだ。あの時代のマーラー指揮者は、神のような存在だったバーンスタインが君臨していて、ニューヨーク・フィルを振った全集から通して鑑賞していたが、レヴァインのメリハリの利いた解釈と、明るくハツラツとしたストレートなオケの音色に一度に釘付けになった。容赦ない打楽器群の主張は、それまでのバーンスタインには無かったし、とても新鮮だったのだ。第6は、その他にもショルティやテンシュテット、バルビローリなど合わせて聴いていたはずだが、一時的に集中してレヴァイン盤を聴き込んだ思い出がある。CD時代になっても、マーラーのレヴァイン盤は、LP盤から買い直して、第1・第3・第4・第5・第6・第7・第9は今でも持っている。今となっては、録音が古く不明瞭に聴こえる物もあるが、アントンKの大切なライブラリーになっているのだ。

こんな世の中になり、世界中で大オーケストラの演奏など自粛傾向だろう。マーラーを始め、ブルックナーやR.シュトラウスなどのプログラムが減る中、こうしたお気に入りの指揮者が他界してしまうことは大変悲しい。再びマーラーの演奏会に、気兼ねなく出向けられる日が来ることを願いたい。

 


全国各地を彩ったお座敷列車~DD51

2021-03-19 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

何かと気忙しい年度末となり、落ち着かない日々が続く。今後のことを多々思い巡らすとさらに不安が重なってやり切れない。まあ、いつものことだが・・・

気候が緩み、春を感じる今日この頃、どこかへ行きたくなるが、相変わらずのコロナ感染症がその気持ちをむしばんでくる。行きたいところはいくらでもあるのに、もう少し穏やかに過ごしたいものだ。

JR化間もない時代のDD51を掲載。アントンKが好きな路線の一つに磐越西線がある。別に蒸機が復活したから好きになったのではなく、初めてカメラを持って訪れた1980年、沿線の魅力的なロケーション、四季折々の季節感や色どりに心奪われてしまった。専用機だったED77も好みだったし、客車列車あり重連貨物ありも被写体も素晴らしく思っていた。時代が進み、線路が強化されED75が入線可能になった頃、レジャー人口も急増していったように思う。1984年に御召列車が走ってから、国道も良くなり、高速道(磐越道)も開通していく。こうなると、アクセスはかなり便利には感じたが、磐西らしさは半減してしまったように思える。そして1990年の「磐梯会津路」号の蒸機復活を契機に、現在のような観光路線へと様変わりしていったのだ。もちろん今だって磐西は十分魅力的な路線だから、現状に合わせた楽しみ方で、再訪を考えたい路線なのである。

磐越西線で最も有名な撮影地であろう、通称山都の鉄橋をいく新潟局の12系お座敷列車。中間に「サロン佐渡」を挟んだフル編成でこの日はやってきた。このカヌ座も、当初は12系と同じような配色の外観だったが、ある時からご覧のような派手な井出達となった。機関車は、当時のスター3つ目のDD51 745が牽いている。

1989-08-26 9224ㇾ  DD51 745 12系カヌ座 JR東日本:磐越西線:山都付近


DD51重連!最期の晴れ姿だった「北斗星」

2021-03-17 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

改正で定期運用を失ったDD51だが、その歴史の中でも一番の晴れ姿は、20年以上もの間北の大地を重連運転で驀進した「北斗星」ではなかったか。JR化され、ブルートレイン塗装に身を纏ったDD51は、一時的ではあるが3往復にもなった「北斗星」や、付随する「エルム」、そして「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」「カートレイン」などなど、その時代の代表列車たちをけん引し、我々ファンを虜にしたのであった。

国鉄時代の急行「ニセコ」重連や、数々の夜行急行列車、また山陰線でのブルトレ「出雲」けん引等、数えれば一番輝いていたと思われるDD51が脳裏に浮かぶが、やはり民営化され、塗装まで変えて新しい時代を予感させた北海道のDD51たちが、アントンKにとっても、最も印象的な列車だったし、一番輝いていたシーンではなかったかと思い返している。

ここでは、JR化後初めて渡道しブルートレイン「北斗星」と向き合った時の画像を出しておく。天気予報は大きく外れ、内浦湾に漂う霧にやられて戦意喪失状態だったことを思い出す。北の大地における気象の厳しさが、身に染みたのもこの時だったように思う。

1989-06-03  3ㇾ    DD511138 北斗星3号  JR北海道/室蘭本線:大岸付近


3月は「さよなら」の季節~165系急行「東海」

2021-03-16 19:00:00 | 鉄道写真(EC)

春のダイヤ改正による動向、関東ではやはり長年親しんできた185系電車の定期列車引退の話題が大きい。

自粛モードが継続するなか、鉄道の世界でも同様な措置が取られ、たとえ人気のあった列車が消滅しようとも、それに伴うイベント等は全て見送られ、普段通りの運行がされ、静かに消えていった。愛知機関区に所属するDD51の貨物機には、今回の引退を受けて特製マークが機関車に装着され、労をねぎらったようであるが、そんな話題を耳にすると、少し寂しい思いも湧いてしまう。これだけ危機管理の進んだ社会に生きている以上、もはや仕方がないことなのか・・・

今から25年前の春のダイヤ改正で、東海道線の急行「東海」が引退していった。当然153系電車ではなく、最後まで活躍していた165系電車だったが、改正までの何週間か、往年時を思わせるヘッドマークを掲げて走っていた。掲載写真は、そのラスト、改正日前日の上り最終列車の横浜駅停車中の画像。ホームはどこもごった返し、まともにカメラは構えられなかった。当時はまだフィルムカメラで撮影だったから、いくら駅の止まりでも暗くて難儀し、少しでも感度の高いネガカラーフィルムを使った思い出がある。涙雨に濡れた横浜を長いタイフォーンとともに発車していった最後の急行「東海」の後ろ姿は、未だに脳裏に焼き付いている。

1996-03-15     304M    急行「東海4号」 165系(K3編成)   横浜駅