奄美の農と暮らし

ようこそ、ファーム・しきへ!
ここでは熟年Uターン者の島での奮闘の日々を綴ります。

台風7号

2010年08月31日 | 奄美の話題

 台風7号が沖縄を直撃、今、奄美大島本島の南部をかすり(強風域)ながら北上中です。昨年同様に台風の発生時期が遅く、カボチャ農家には試練の季節になっています。Dscn4770

 本日は、露地に置いてある農機やビニールハウスの台風対策を行いました。ビニールハウスのビニールは、以前にこの日に備えてすべて外しましたので、予定作業は午前で終わりました。午後は買出し(台風がくるとなぜか買出し?)に行き、帰路、「なご海」でコーヒーを御馳走になり写真を撮りました。荒狂う海を撮りたいなと思いましたが、動画のシャッターチャンスはなかなか難しいですね。 Dscn4777

 時折の風雨の中、製造元に依頼したトラクターの取扱説明書が届いたので、一通りの操作や保守整備の勉強をしました。農機は車と違って、高価な割には取扱説明書が不備なのが当り前のようです。

 明日から堆肥散布を計画していますが、台風の余波で作業の遅れは必然、毎日が臨機応変の日課になりそうです。


零細農家の社(家)長

2010年08月26日 | 晴耕雨読

 農家泣かせの気まぐれな天候が続いています。昨日は、スパッと晴れない天候に、半乾きのほ場を強引に耕転して、一部が田んぼのような状態になってしまったような・・・後始末が大変です。

 本日午前は、地元カボチャ部会の総会と抑制(秋)カボチャの講習会に参加し、活発な意見が交わされました。午後は雨模様になってきたので灌水資材の購入やネットによる注文を行い、その後は、補助事業等の資料作りをしました。一人十役ぐらいをこなしますので、零細農家の社(家)長はボケる暇がないかも知れませんね。Dscn4760

 抑制カボチャ栽培の準備は粛々と進行していますが、倉庫建設やトラクター購入の契約がいつから始まるのか少し焦燥しています。でも、なるようにしかならないでしょうね。

 画像は、研修生同期のKさんから頂いたレンブです。東南アジアを原産とする亜熱帯果実で、いつも通う農業研究センターの裏庭に茂っています。3センチぐらいの果実で香りは甘く、食感はスポンジ、わずかな甘みであっさりとしています。奄美ではこのような果実も繁茂します。


奄美のお盆

2010年08月22日 | 奄美の文化

 本日からお盆。昨日は早朝から集落の墓地清掃に駆り出され、本日は陽が上って暑くなる前に両親と義兄の先祖の墓の清掃を行いました。墓清掃から帰宅すると仏壇の清掃を始め、見よう見まねで位牌を取出して並べ、お盆初日の迎えの準備をしました。 奄美の祭事はほとんどが旧暦で行われ、七夕、お盆、十五夜祭と続きます。

 本日午後は、農研センターでほ場の耕転作業を行いましたが雨でトラクターがぬかるみ、中断して帰宅しました。帰路、和瀬トンネルを抜けると地元側はまったくの快晴、自然に翻ろうされているような・・・・お盆に仕事は御法度なのかな~とそんな事をふと考えました。Dscn4754

 毎日、いろんな農機具を思考錯誤しながら使って農作業をします。防除用に動力散布機(大型と背負式の2種類)と動力散粉機、耕転用に耕運機、管理機、トラクター、栽培用に播種機、ブロードキャスタ(肥料散布機)、マルチャーetc・・・・農機具ひとつ取っても農業はオールランドプレーだな~とつくづく思います。

トラクタ一つとっても、農研センターでは外国産が2社、国産が2社あります。

 画像は実家の海辺の夕暮れです。


暗中模索の中で

2010年08月18日 | 晴耕雨読

 奄美の気候中で、台風以外の悩みの種は予期せぬスコールです。2時間かけた農薬散布が一瞬にして徒労に終わる時があります。最近は何となく感が働いて、スコールの察知力が向上してきました。

 地元の畑の初期準備は終わり、農研センターのハウスや露地の準備に取り掛かりたいところですが、耕転の途中でスコールになり作業計画が遅れ気味です。自然相手の職業ですから、なるようにしかならないと開き直りながらも臨機な対応に頭をフル回転しています。Dscn4745

 炎天下で巻尺を駆使してほ場設計を行い、その後に畝幅に沿って「種まきごんべえ」の初操作で種を播き、暗中模索の中で作業を行っています。

 画像は、4日目に発芽した防風対策用のソルゴー(品種:つちたろう)です。適度なスコールで水分を得てあっさりと発芽し、思いのほか感動をしました。


三太郎祭

2010年08月16日 | 奄美の話題

 本日は寝不足の中、サポートを受ける農業研究センターのハウスとほ場のトラクターによる耕転作業を行いました。農業機械士と大型特殊の免許を持っていますが、狭いハウス内のトラクター作業は久しぶりに緊張しました。免許はあって経験が希少ですので、これもまた毎日が勉強です。

 昨日は、農作業を完全休養にして郷里の三太郎祭を楽しみました。この祭は、峠にトンネルが開通したことを記念して、村の活性化の一助として始まり、大正年間に峠で茶屋を営んでいた三太郎氏の名称にあやかったとのことです。三太郎氏は鹿児島本土の出身者で、晩年は鹿児島本土に帰郷したと何かの書物で知りました。Dscn4731

 昨年は、花火のほかに観るものもありませんでしたが、今年は、六調(沖縄ではカチャーシ)フェスタが会場を盛上げました。六調やカチャーシは、宴のフィナーレに乗りのいいリズムと個性豊かな踊りでその場を最高潮に盛上げます。祭の企画者もいい所に目を付けたなと感心しました。

 奄美で生活をする上で、亡き父のような名人にはなれなくとも、島うたやサンシン、六調の踊りや歌の一つもできないようでは、 本物の島ん人にはなれないなと反省しきりでした。

 画像は、トップバッターでサン奄美の元モーラベエ(奄美方言:若い女性)一行です。