土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

天空都市(9) すわー洪水危機 !!!

2011-03-09 13:51:22 | ボリビア(2nd)
 
 ここの所、雨は日ごとにその強さやその長さを増しています。
 それに伴い日ごとに寒さも厳しくなってきています。
 3月が一番降雨量が多く、5月には止みます。
 一方、寒さの方は一段と厳しくなり6月の21 or22 日の冬至の日が
 最も寒くそれから徐々に暖かくなっていきます。

 サボテンの花はすべてしぼみ、多分に雨季中に水分を茎に蓄え
 雨季の前に開花すると考えています。それともその水量の加減で
 1年に1回咲くのか何年後に咲くかはわかりません。 
 8月からは穏やかな春の季節に入り爾後ジャカランダの花が咲き始めます。

 5,000級超の山々は冠雪しています。
 でも、雨季でありながらも、雲の間隙から
 日中はわずかな時間、お日様も見えます。
 
 不思議な自然の移ろいです。

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 ・ここは標高約 4,400mにあるダム湖で、
 ・1,450年代に(日本の戦国、室町時代)征服者により造られ、
 ・堤高(ダム高)約10m、堤頂長(ダム堤、頂上の長さ)約250m、
 ・堤長幅約6m、堤体(ダム)形式はアースダム(土で盛られた物=土堰堤)、
 ・アースダム堤体の両側法面は岩石で被覆
 ・用途は上水道用

 ・湛水面積(ダム湖面積)約6ha(w250m X b250m)あり、総貯水量は625,000m3
  (後楽園ドーム球場=約1,240,000m3=ドームを含めた容積の半分の量)
 ・約550年経った現在は、底に土砂が堆積
 ・取水口(150L=0.15m3/sec.=12,960m3/day)と
 ・余水吐(断面積=8m2 ? =水量調節の為の放流口)各1ケ所、
 ・土砂吐(堆積した土砂を掃流する放水口)は
  なく、余水吐が兼用している。

 ・ゆえに堆積土砂は余水吐とほぼ同じ高さで留まる、
 ・有効貯水量は取水量から推しても
 ・約半分位 乃至 それ以下と考えられる。

 ・極、原始的なダム(堰堤)形式である。

 ・・・・・・・・・・・・・・

 またまた、ここ標高4,400mで不思議な物に遭遇したのです。
 今度も白いものでした。  が、サボテンの花ではありません。
 美しさは一瞬しか見えず不明です。

 雲は約200m位真上にあり、降雨が目の前で白い雹(ひょう)
 に変わる現象を見たのです。出来立ての雹です。
 大きさは2-3mmでしょうか。体にあたっても痛くはありません。
 ここ天空都市では色んな森羅万象に遭遇します。
 気持ちが童心に戻らされたのでしょうか。見るものすべてが新鮮です。

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 閑話休題
 このところの強く、長い雨で、ダム堤の一部が決壊したのです。
 決壊箇所は即日修復され、水は標高約4,200mの高原に溜り、
 自然浸透し、地下に帯水して行きました。
 
 ただ、吐け口が余水吐1箇所であり、流速が増し放水路上に減勢工
 は数か所あるものの (と言っても大石で堰ったものですが、
 最高秒速はで歩測で何と約5.5m/sec.=19.8km/hour=マラソンで言うと2時間7分台でゴール,
 減勢された平均秒速は約2m/sec.=7.2km/hour=速足の速度)
 放水路から約100m先の放水口の崖が浸食され、天空都市寄りに新本流ができ、
 これ以上、新本流の川幅が広がると
 放流用河川には流れず、天空都市へと流れる危険な状況です。

 天空都市は「宝の山」と「この5,000m超の山々」から谷底に向かい、
 傾斜して街が形成されているため、新本流の川幅が広がると、
 洪水の危機に見舞われます。
 現にわずかな量が街に浸水している状態です。

 ダム湖の管理者である上下水道公社には市民の苦情が殺到し
 市と県に重機の早期発動を要請したが対応が遅々としており、
 一刻の猶予も辞さないこの時に、
 さる地元の大企業から バックホー(掘削機)の提供があったのです。
 しかもボランティアであるので、公表は控えてくれと謙虚な態度を取られました。
 何と、心を動かす美しい話なのでしょうか。

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、
 崖から約200m地点で新本流(街側=西側)ができ、(旧本流=東側、と、ここで分岐)
 この新本流は麓から約200mあり、傾斜角は約20度=斜面長100mで約34m上がり(=sin20°)
 斜面はすべて転石したきた岩石。

 激しい雨の中、約半日で麓から高低差、約70mある約200m地点まで
 濁流の中、バックホーを上げ、その後1日かかり、新本流の切り替えが
 無事に終了したのです。

 更に今後の大降雨の用心の為、街側国道寄りに
 断面積3m2の排水溝も新設したのです。

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 天空都市は洪水から免れました。
 (でもまだ一時的です。お金がないから次に決壊するまでこのままと考えます。)
 
  一人の奇特な有志のボランティアが人口約20万人の半分10万人の
 家屋や命を救ったのです。

 人は「すわー」と言う時には、「助け合う」という、「純粋な気持ちが
 自然に出てくるんだ」 と思うと、心が温まり、ここの白い雲や青い空、同様に、
 晴れやかな気分にさせられました。

 翌日は朝から半日晴れ間が見られ、崖の上から見ると、
 濁流は街から離れた(旧)本流を流れていました。

 街は平穏を取り戻していました。
 
 リオのカーニバルには遠く及びませんが雨中にも拘らず
 カーニバルも開催され、8日に無事終わりました。(3月5,6,7 & 8日)

 ただここは雨にも拘らず水風船や水鉄砲で水を
 誰彼構わず投げてくるので用心が必要です。
 海のない国なので水遊びを本当に楽しんでいるように見えます。


 標高約4,200mから見る「天空都市」



 同上、標高4,800mの「宝の山」を見る。
 右側が上記「天空都市」です。



 ダム湖畔の標高約4,400mから見る「宝の山」



 上記写真を撮っている後ろ側には5,000m超の冠雪した山々があります。
 この写真の右方向にダム湖と「宝の山」があります。
 街はここを始点に傾斜しながら形成されています。
 街の中心が「大聖堂」です。



 標高約4,400mにある上水用のダム湖。



 ダム堤頂管理用道路。この一部が決壊しました。右後方は「宝の山」



 堤高は約10m強。



 決壊し流出した水は約4,200mの広大な平原に滞水し地下に浸透しています。
 水辺と左側部に何か動いている物が見えます。



 滞水した水をリャマ達が気持ちよさそうに飲んでいます。



 こちらはリャマの親子です。子供はあまり見受けられませんが、
 ここ標高4,200mは彼らにとって安全地帯なのでしょう。



 同上。



 放流口です。断崖になっており、滝のように水飛沫を上げ流下しています。



 崖は次第しだいに浸食されています。(翌々日の晴れた日に撮影しました)



 左側が旧本流で、右側が新しくできた新本流です。
 山の傾斜は新本流側(街側)に向いており、さらに広がる傾向にあります。
 この右側の「新本流」の流れを「旧本流」に、切り替え
 なければなりません。



 麓から斜面距離で約200mの地点で新旧本流が分岐しています。
 写真左側が「街」です。



 麓から新本流をみています。転石のあるこの山を約200m上り、
 新旧本流の切り替えを行わなければなりません。
 この新本流沿いに仮設道路を造りながら
 バックホー(掘削機)を登らせます。



 バックホーは自分の足元を確保し徐々に上っていきます。



 分岐点に到着しました。
 今からこの右側の新本流をここにある岩石にて止め、左側の旧本流へ切り回しします。



 濁流は次第に流速を強め、「宝の山」の麓の崖を浸食しています。



 特に左岸側(宝の山側)は浸食され、川幅は次第に大きくなっています。
 写真左側が「宝の山」です。写真中央の谷間に街が見えます。



 ここに本流が流れたら街は洪水に見舞われ、惨事は免れません。
 用心の為、この家の後方に断面積3m2の排水溝を新設していました。



 約1.5日で本流切り替え終了です。
 (旧)本流へと水は流れています。
 取り敢えずは一安心です。

 

 生々しい写真を掲載し恐縮しております。
 最後に美しい植物の写真を掲載します。
 道路の左側に何やら畑があります。
 ここは標高約3,900mあります。何の植物でしょうか。



 近づいてみましょう。
 紫色の花が咲いていました。
 そうです。南米原産でどんな荒地にも作れるものです。
 カレーライスには欠かせないものです。
 スライスしてフライにしても美味です。



 可憐な花です。全般的に紫色が多く、
 他に、青、白色もあります。
 「ジャガイモ」です。


 
 

天空都市(8) えー2・・・ サ○テ○群生林見つけた

2011-02-04 05:59:07 | ボリビア(2nd)
 
 今日、2月4日は、日本においては立春ですね。南米はさながら立秋でしょうか。
 が、天空都市は1年中寒暖の差はあるものの気温は同じのようです。
 ただ雨季と乾季はあるようです。

 ここん所、毎日冷たい雨が降っています。
 時には、それが1cm位の雹(ひょう)になります。
 雹は路傍に溜り雪と見間違う程です。

 ところで、春分の日と秋分の日は分かるのですが、他の22節気は昨今少し、
 暦上と現実に乖離があるように思えます。

 と、 どうでもいいことが最近気になります。

 還暦を過ぎたせいでしょうか? それとも、
 雄大で神秘的な自然の移ろいを見ているからでしょうか?
 なぜだか子供に帰ったように単純な疑問が出てきます。
 次第しだいに童心に戻らされているのでしょうか?
 ならば、この自然に感謝しなければなりません。


 また、ここの人々は、明日食べていける食べ物があれば、それで満足をしているように見えます。
 換言すれば、彼らにとっては一日一日が大事な日なのでしょう。
 もしくわ、一日一日を大事に生きているのでしょう。
 ゆえに今日が出発点であり、明日になれば明日が出発点であり、
 その繰り返しで、毎日毎日、懸命に生きているかのように見えます。
 ならば、それを教えてくれた、彼らにも感謝しなければなりません。

 ・・・・・・・・・・

 ・ここは標高約3,000m。
 ・先週、宝石を散りばめた街(ただし夜だけ)、首都ラパスに用事があり
 ・白い街(La Ciudad Blanca)から
 ・帝国の街(La Villa Imperial)=天空都市への道中にいます。
 ・本日は先回と違い、青く澄んだ空と白い雲を見ながらでしたので
 ・心は穏やかで「ウキウキ」しています。

 !!!!!!!!!! (←これビックリマークです。雨ではありませんよ。)

 そしたら、そしたら、・・・・、
 何と、何と、また出くわしたのです。

 !!!!!!!!!!

 今度は群生しておりました。
 今まで、何で出会わなかったのか不思議なくらいです。
 多分に、青い空と白い雲に心気を奪われ見逃していたのでしょう。
 またまた、佇み、呆然と見とれていました。

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 ここボリビアの生活は楽ではありませんが、
 それを補って余りある美しい自然があります。
 貧困だけど純朴な人々も多数います。
 天空都市に来て9ケ月過ぎましたが
 人間到所有青山、住めば都のようです。

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 今まで携わってきた中南米でのプロジェクトは人里離れた所での場所が多かった。 し、
 ここ同様に「宝の山」が沢山ある、九州の山紫水明の場所で、また
 質実で剛健な人々に恵まれた炭鉱の街で育ったせいか、
 こういう素朴な気質や雰囲気が合っているように感じています。

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 天空都市に戻ると空は薄曇り
 周囲の山頂は雪を抱いておりました。
 翌日は大きな白い雲はありましたが
 山頂の雪は溶けていました。
 こういう自然の不思議な移ろいを見ていると
 自分の心が洗われていくような気持ちになります。
 不思議です。余程腹黒かったのでしょうね?

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 今まで企業戦士として利益優先で突っ走り
 自然環境を多いに壊して来たことや、色々な人達に迷惑を掛けた事は
 否めませんので、次第にそのような気持ちになるのかもしれません。
 でも、自分に素直に生きてきたことだけは自負しています。

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 先週に投稿をいただいた「麗しき乙女達」様
 連絡が遅れて申し訳ありませんでした。
 「麗しき乙女」で、すぐに思い出したのが
 末尾の写真です。
 この建物の館内風景はお分かりでしょうか?
 「すみれ=春 が Key Word」です。
 ちょうどこの建物の前の並木道に
 桜花が満開の日に訪れました。
 乙女達と桜花、ともに「清く、美しく」 
 心安らぐ時間を享受させてもらいました。

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 是非ボリビアへ来られ、美しい自然を見て
 「心の充実」、「命の洗濯」をされてください。
 と同時に「再びの青春を謳歌」されん事を願っております。
 お会いするのを楽しみにしています。




 青く澄んだ空、白い雲。 写真の左側の山の上を見てください。
 何か突っ立っているものがかすかに見えます。



 見つけたんですよ。



 ♪白い花が咲いてた♪  とても清楚に美しく



 同上。上に横に好き勝手に咲くんですね。まだつぼみのものもあります。



 同上。山が傾斜し、水分の多少で花の咲く時期が違うと考えます。



 美しいですねー



 ひねくれたサボテンに純白な花。よーく頑張りましたねー



 美しい。横向きや上向きは性格の違いなのでしょう? 
 いいえそうではありません。自重でそうなったのでしょうか?
 それも違うようです。下記参照。



 美しい。他の形容詞はなんでしょう?



 同上。美しいー。



 開花寸前にこのようにお辞儀をするのでしょうか? そうではありません。
 もともと横向きにつぼみが出てきたのです。



 長さを測ってみました。ボールペンは約15cmの長さがあります。



 先回見た約3,500m地点のサボテンはしぼんでいました。
 約3週間経過しています。またいつか花を咲かすのでしょうね。
 右上に大きな奇妙なものが見えます。



 アロエのお化けです。優に2mは超えています。
 ここ山岳地帯の人々にとってアロエは万能薬です。
 私も表皮を剥き、ぬるぬるした面を傷口に塗りこんでいます。
 絞ったものは糖尿病の薬です。



 さあー、天空都市へ向かいます。


 
 この街道には家はまだまだアドベ(日干しレンガ)造りです。



 人面岩に見えませんか?(後日コメントあり7人いるそうです)



 宇宙人たち?



 天空都市に着きました。珍しく冠雪しておりました。



 同上。この山すべて宝が採れます。もったいない話と思うのは私の都合だと考えます。
 上述しましたように、いつも今日を大切に生きれば良いという積年培われた感覚や習性だから、
 身の丈以上のことはしないのです。
 There will be an answer. Let it be.



 「宝の山」にもうっすらと白いものが見えます。





 ♪春スミレ咲き、春を告げる♪   麗しき乙女の園です。




えー・・・Mobile P.C.が消えた

2011-01-20 02:24:10 | ボリビア(2nd)
 
 ・ここはボリビア国の首都ラパス市のエルアルト国際空港。
  (世界一高所の空港=標高4,070m=天空都市とほぼ同じ高さ)
 ・日時は12月22日の午前4:30頃。
 ・クリスマス休暇を利用し旅行に出発の為、寝ぼけ眼と多少気が緩んで、
  一番乗り、と思いきや
 ・既に7~8人のインディヘナの女性と3~4人のメスティーソの男性が
  当該航空会社のカウンターの前の待合室のベンチを占有
 ・当該航空会社のカウンターはまだ開いてなく
 ・居るのは私たちだけ。
 ・私の座る位置は右端の公衆電話の横のみ。

 ・通常、国際線の搭乗手続きは概ね3時間前の4:30と
  前日市内の支店でリコンファームしたときに言われ、
 ・またこの国では飛行機の遅れや取り消しは常で
  (また、乗客名簿と搭乗人数が合うと早く出発する場合もある)
 ・未だ夜も明けきれぬ時刻に空港に到着。
 ・以前はW. BookingやT.Bookingはあったが今は改善されて無くなってきたし、
  空港ビルも以前よりは改善された。 が、中身のサービスはセキュリティも含め以前同様。
 ・私は大・中・小のカバンを前に置きカウンター前の指定席?に座る。
 
 ここまでの設定でお分かりだと思います。

 上記の10~12人の芝居に引っかかったのでした。
 仕掛け人達は上手くそれぞれに与えられた演技をこなし、
 3つのサイズの内、中のカバンだけが数10秒間で消えていたのです。
 中には重要な書類、M.PC、デジカメ、腕時計、電子辞書等々貴重品のみを入れていました。
 腕時計やデジカメは通常身に着けるものですが、わざわざ用心して中に入れておいたのです。

 過去にデジカメは数台、上手い手口で盗まれそれなりに用心をしていたのですが、
 久しぶりの休暇で気が緩んでいたのでしょう。海外生活30数年の実績も見事に覆されたのです。
 情けなやー。ああ情けなや 「浜の真砂は尽きるとも世に・・・・・・・・・・」。
 幸いにもパスポートとクレディット・カードは上着の内ポケットに入れていたため無事で、
 憂鬱な気持ちを引きずり旅行に出かけたのでした。

 道中、自分の不注意にただただ自問し、「馬鹿だった」と自答し、
 眩いばかりの朝日が上がった窓外の景色に目が移り
 「モミジの錦神のまにまに」でも、幣も手向ける元気もなく
 重苦しいく落ち込んでの「たび」でした。

 ・・・・・中間割愛・・・・・

 そして数日後、頭が空回りし思考が宙に浮いた心地で天空都市への帰路に着いたのです。
 標高約3,500mの地点、普段は清々しい気持ちで青い空や白い雲を見ながらの道程ですが
 うつむき加減で窓の下方をずっと虚ろに見たままの状況でした。

 !!!・・・!!!

 何と、素晴らしい光景に出くわしたのです。

 群生した(10本位ですが・・)サボテンに約15~20cm位の白い花が清楚に咲いていたのです。
 !!! 何と美しい光景なんでしょうか !!!
 暫し時間をわすれ思わず見とれていました。
 その内に、今まで引きずっていた心のしこりを払拭してくれたのです。

 更に天空都市へ戻ってきたら民族衣装を着た子供達が民族舞踊を披露し迎えてくれました。
 心が癒され休まる空間がここにはありました。

 「世の中は常にもがもな なぎさこぐ ・・・・}

 人間はすべて心優しい純朴な心根を持っています。
 ただ生まれて来た環境が貧困であるがゆえ、
 「生きていく」ために悪へ走らずを得ない状況は致し方ないのです。

 ・・・・文章割愛・・・・

 当地だけに限らず、特にアフリカ等、世界の貧困民を少しでも減らすために、
 国際社会の支援がなされるように改めて実感させられた数日間でした。
 そしてその支援の一員として、微力ながらお役に立てればと、改めて思う次第です。
















 


 

天空都市(7) Paro Civico(1/2) 中央政府に反旗 全市民蜂起のストライキ

2010-12-20 07:11:34 | ボリビア(2nd)
 天空都市は6項目の要求を中央政府に要請したが、中央政府のあまりにも遅々とした対応に、全市民一丸となり無期限ストライキに突入しました。天空都市は当国一の鉱物資源を有し、政府の対応如何では独立国家をもじさない断固とした決意を全市民の代表会議(Comite Civico)で議決しました。Comite Civicoとは市・町・村自治体、公共企業及び私企業のシンジケート(組合)の代表による委員会で、ここでの議決には全市民は服従しなければならない事になっています。
 当日の大デモ行進の様子は、当県最大の日刊紙に「ストライキの行進は歴史を変える」と掲載され数十万の市民が参加しました。
 道路は次から次に押し寄せる市民で動きが取れない状態になっています。



 12:00の集会にどこからともなく集まってくる市民グループ。
 前記したように中央政府に対する市民の要求は6項目あり、その中には坑道が5,000以上もあり崩壊寸前の「宝の山」の保全も含まれています。その他は鉱物資源の有効活用と国際空港の建設で、いずれも大半の貧困層の雇用促進対策です。



 教職員組合の行進。さすがに先生たちは整然と行進してました。でも10日間ストライキを実行しても中央政府の回答は有りません。このままで行くと全市民の食料の貯えが欠乏します。だが、天空都市の人々は、この後、さらに一致団結しハンガーストライキに入っていきます。長い長い戦いになりそうです。(続きは次回掲載予定の2/2をご覧下さい。) 



 同上。高学年の教職員組合。当日は学校も休校です。



 こちらは小学校の教職員組合。イエスキリストもとんだ災難です。標高4,000mで十字架はさすがに背負って歩けません。子供達も応援しています。
 一部の子供達は、車両が通行止めとなった公道でサッカーに興じております。(次回掲載予定)



 同上大写し。疲れか高山病か上りの坂道の為か分かりませんが十字架にしっかりと、しがみついているように見えます。



 次々と絶え間なく集会場に向かう市民グループ。遠い所から日の出とともに全市民が集会場(市中心の広場)へ黙々と行進しています。



 市・町・村 自治体の行進。前記教職員組合と違い三々五々の行進です。 



 同上。



 手に手に当国の国旗ではなく天空都市の県旗を持って行進。横断陸橋に吊るされた人形は当国国大統領で、この人形は後日、燃やされました。



 こちらの颯爽としたグループの行進行列の長さは約500mあり、ひときわ目に付きます。天空都市の大半が従事する鉱山労働者の組合です。



 横断陸橋は横断幕と自転車等で道路を閉鎖しています。



 こちらは水道公社組合のストです。幹部と一部のメンテナンス用技術者はこのストに参加していない為、生活用水の供給は平常通りで助かりました。 でも我々外国人にとっては直に飲める水ではありません。ので、一旦、煮沸し飲んでいます。P市の人たちにとってはおいしいし、貴重な水です。筆者も同様に感じています。
 正面右側の白い建物は以前掲載した貨幣博物館です。銀行・店・中央市場(写真左側)・教会等すべてシャッターにて閉鎖されています。ゆえにストライキ期間中はお金もおろせず、食料品も買えず、ミサにも参加できず、外出自粛の軟禁状態です。それよりも困る事は、当地は調理用及び暖房用のエネルギーはLPGです。道路は至る所、ブロックされており20kg/ボンベのLPGが購入できなくなり、いかにつないで行くかが課題です。



 横断幕にて通行止め。



 同上。横断幕にて通行止め。公道はつかの間、歩行者天国に様変わりしました。



 通常は古タイヤや石で道路封鎖をするのですが、天空都市の人々はおとなしく大型バスにて道路封鎖していました。首都ラパスではバスは投石され、その後、燃やされます。



 こちらはダンプトラックにて道路封鎖です。写真左側が鉄道駅で、この通りが週末には約1.5kmの露店街になります。



 こちらは大型バスで道路封鎖です。



 こちらは左右に大型バスです。



 大型バスです。間道は石にてブロックしています。



 大通りから一筋入った3車線道路は乗用車とワゴン社で道路封鎖されています。



 遠くに乗用車で道路封鎖しています。



 もう一筋入るとピックアップとマイクロバスで道路封鎖されています。



 幹線道路は石にて道路封鎖です。



 上記続きの道路です。幾重(列)にも石でブロックされています。首都ラパス近辺ではタイヤを燃やしたり、投石したり無秩序ですが、天空都市の人々はそこまで熱くはなりません。
 但し天空都市に入り込む東西南北の幹線道路(国道)はもっとバリケードが大掛かりで、待機させられている貨物トラックの列は約100kmにもなっていると報道されています。と言うのは幹線上の途中の村々でも石にてブロックされているのでUターンして引き返す事も不可能なのです。ゆえに食料品の到着がなく、特に緑葉野菜が入ってこなくなりビタミン不足の状況です。






天空都市(6)  不思議な自然、3大教会遠望と危機に紛する宝の山

2010-10-26 13:43:09 | ボリビア(2nd)
 ここ4,000m強の平原に2本だけサボテンが立っていました。通常サボテンは立っているとは言わず鉢に入っていると言う表現だと思いますが、これは幹?直径が約25cmで真っ直ぐに立っていました。周りは岩石山です。このサボテンは岩石の裂け目から力強くはいだしていました。岩石の周りには一切水は有りません。当地も地球温暖化の影響で乾季と雨季の季節の境目がズレて来ています。こんな空がきれいな場所も地球全体からみるとほんの一握りにしか当たりませんので影響を受けるのでしょう。
 10月に入り降雨が見られるようになりました。先月9月には頂上の白い花は咲いていませんでした。雨季の初めでそんなに雨量は無いのですが急に咲いた感じです。4,000m強の岩に咲くとても美しいサボテンの花は不思議で初めて見ました。



 上記の場所から約200m位離れてもう一本、高さ約2mのサボテンが上記同様に岩石の裂け目から力強く立っていました。こちらの花はピンク色です。どうして色が異なるのか不思議です。きっと女性と男性に分けてくれたのではと思っています。
 花同士も片方に負けないように華を競っています。白い羽毛に見えるのが棘です。
 こんな弱弱しく見える棘でもチクリときます。標高4,000m強の自然界で戦っていくために、羽毛状の棘になったのです。上記同様このピンクの美しいサボテンの花も初めて見ました。



 上記白い花の大写しです。無数の花弁に覆われ何と潔白で美しい花なのでしょう。来週行く機会が有れば他の蕾も見てきます。



 こちらはピンク色の花の方です。白に負けず美しく咲いていました。



 花弁の中の胞子を覗きました。花のパーツの名前は分かりませんが、無数の胞子が円形状に並んでいました。下記参照下さい。



 上記を上から撮りました。見事です。



 雨季に入ると標高4,000m強の道路上にはとてつもない大きな雨雲が平原を覆うのですね。
 この雲の向こうは晴の様です。こういう自然現象はもきっと高地だから見れるのでしょう。  今後、雨季も本格化すればもっとこれ以上大きな雨雲も見る事ができると思います。



 上記雨雲を通り過ぎると道路を覆うように大きな雲の連なりになっていました。山の天気の移ろいには圧倒される感じです。この写真では雲の大きさは見当つきませんが下記の写真を見てください。



 上記の雲の左側部です。何と大きな雲の大きさなのでしょう。


 
 大きな白い雲と青い空。でも刻々と山の天気は変化します。





 大平原にポッカリ浮かぶ雲。撮影場所の標高が富士山と約同じ標高3,800mです。
 以前にも掲載しましたが当国の北側ペルー国境チチカカ湖からここ南側チリの国境までアルチプラーノ(Alti Plano)と呼ばれ大平原が続いております。



 標高約4,000mの大平原Alti Planoに浮かぶ雲。



 この夕日に写し出された大きな雲の中央にある雲の形はどこかの大陸に似ていませんか?



 そうですアフリカ大陸です。九州にも似ています。今後も色んな形の雲をお見せできればと思っています。



 これは「きのこ雲」と言うのでしょうか。



 標高5,000m級の懐に静かに眠る緑色の湖。



 標高約3,500mに生育するシダ科の植物。道路沿いにあり鋭い棘があります。



 上記と同じ位置で道路から奥まった所に生育している上記と同じ種類の木ですが、棘がありません。自然界の不思議な現象です。



 標高約3,000mの植生限界に咲くアジサイとバラ。天空都市では見られません。



 これはスープです。が、スープの表面に噴火口見たいのがあります。



 スープを飲み干しました。中から黒い塊が現れました。何でしょうね。



 石です。鉱山の街だからわざわざスープにも石を入れたのでしょうか。
 石は焼けていて、上記写真の噴火口は煮えたぎって沸騰してい状態だったのです。
 これも初めての体験です。名前はKALAPURKA(カラプルカ)と言います。
 ここの鉱山街独特のスープです。ちょっと辛い味でした。
 4,000m以上の鉱山で働く鉱夫にとっては仕事の間に暖をとる手段だったかも知れません。
 営業時間は何故だか9:00~12:00迄の午前中だけです。訳は後日お知らせいたします。



 さー、今から世界遺産の空中都市の建造物を紹介します。取り敢えず今回は遠望で、なるほど世界遺産とお分かり下さればと願います。詳細写真は後日掲載いたします。
 この教会の名前はラ・カンパーニャ・デ・ヘスス(La Campañia de Jesús) n の上には^がつきニャと発音します。Jesús のuの上には´が付き強く発音します。1728年建設で鐘楼からは街が一望できます。この建物の裏は観光案内所になっております。ここの長が筆者が関わっている仕事も兼務しているので、赴任の挨拶時はタダで鐘楼まで案内してくれました。その時はまだ日本人でしたが今は日焼けしてボリビア人になっております。(関係ない話で申し訳ありません)
 その後ろに見える白い建物が征服者が自国へ銀貨をもって帰る為に造った造幣局(Casa de Moneda)跡で、現在は博物館(Museo)になっており、造幣機械や当時の銀貨が無数に陳列されたおります。
 こちらの詳細も後日掲載します。



 こちらは中央広場前に立つ大聖堂(Catedral)です。1572年建造で現在修復中で中には入れません。中央広場を囲み県庁舎や市役所があります。スペイン風のCafé店もあります。後日紹介いたします。



 上記カンパニャデヘスス教会、貨幣博物館とカテドラルは同じ通りにほぼ隣接しております。



 教会と修道院が隣接して建つサンフランシスコ教会・修道院(Iglesia y Convento de Sa Francisco)です。1574年建造です。
 花崗岩で造られた勇壮な建造物です。こちらも詳細は後日掲載します。
 以上3教会は空中都市では特に目立っております。
 その他教会は市中心部に約30近くありますので後日掲載いたします。



 ここ4,000mに国際試合が可能なサッカー場があります。天空都市にもクラブチームはあります。心肺能力が高いので強いと思いきや、運動量の豊富なサッカー選手となれば何処の場所でもその機能は同じ様です。



 やはりこの「宝の山」は目立ちます。
 灰色部分の上下左右にいくつもの坑口があります。約5,000以上と言われています。
 掘りすぎて陥没の危機に面しております。
 標高は約4,800mです。








天空都市(5) ジャカランダ百景&他

2010-10-10 06:52:53 | ボリビア(2nd)
 ジャカランダ(Jacarandá)の植生は標高約3,000m位までです。ゆえに天空都市には有りません。本写真は天空都市から政経上の首都SUCRE迄の道中並びにSUCRE市におけるものです。
 この写真は中央広場=5月25日広場のカテドラル前に咲く清純で美しいジャカランダです。やはり心を落ち着かせてくれます。西語では「ハカランダ」です。



 同上。カメラアングルを振り、カテドラルの鐘楼を入れました。メキシコで見たジャカランダは桜の花のように一面に咲き誇っていましたがこちらは少し小ぶりに見えます。



 カメラを右に振りました。カテドラルの東門の前です。こちらは少し開花しているように見えます。きっとこれからもう少し咲くのでしょう。同地域なのに場所により咲き具合が違います。気温の変化の著しい高地ならではの現象だと考えます。



 さらに右に振りました。以前見たジャカランダの様相です。花に隠れて県庁舎がありボリビア国旗の大きなレリーフがあります。SUCRE編を参照ください。



 上記の写真の横は中央公園の遊歩道になっております。そこにベンチがあり観光らしき人々のみが景色に憩いをついております。現地の人は見慣れているのでしょうか、足早に通り過ぎて行きます。それとも今から咲くのを待っているのかも知れません。花を見ながら一杯という習慣もない様です。日本ならこんな美しい花(桜)なら通りすぎないと思うのは私だけでしょうか。でも、企業戦士として働いていた往時は花見も月見も見る余裕がなかったような気もしています。



 この教会はSUCRE編では掲載しませんでしたが市街地を見おろす丘の上に建っています。La Recoletaラ・レコレータ修道院です。ここで一生を捧げた乙女たちが修行を積んだと言われております。



 上記ラ・コレータ修道院の前は広場になっており、写真を撮っている場所には長い回廊があります。出来れば広場一面にジャカランダを回廊のように咲かせてもらいたかったのですが南側の学校の前(つまり校庭でしょうか)だけでした。



 上記の大写しです。美しく清楚です。貧困な国にはそれなりに人々の心を癒す物を神は与えてくれたのでしょう。が、貧困者にとってはそれを見る余裕すらないと思います。インフラの整備、特に生活用水、電気、学校、病院、道路に加え貧困民が自給自足できる、例えば農作物を作る灌漑施設等が彼らを支援する喫緊の課題だと考えています。



 上記長い回廊です。写真左側にSUCREの市街地側で崖になっているので手摺がついています。 右側がラ・レコレータ修道院です。白いアーチが特に目を引きます。美しい教会を見ながら、こういう所でハンモックを吊ってくつろげればと、天空都市とは違い熟睡できると、つい邪念が脳裏を過りました。まだまだ未完の修行僧です。上記の乙女たちは青い空から苦笑いをしているでしょう。帰り際に修道院の前で十字を切り懺悔の意を込めジャカランダの落葉をたむけました。



 この小さな教会は天空都市からSUCRE市内に入る所にあります。ちょうど結婚式が行われて新郎新婦に花束ではなく白い紙を細かく切った物を、粉雪が降るように投げかけていました。参加者は10人ちょっとの程度の質素なものでした。ちょうど神父の前で永遠の愛を近い、祝福されて出てきた所です。



 上記、教会の右側にジャカランダの並木がありました。こちらはまだらに咲いていました。これらのジャカランダが咲くと見事でしょう。ちょうど咲いている頃、来る機会が有れば良いのですが。やはり標高4,000m強から2,750mに下りれば空気(酸素)の濃さを実感します。



 上記を別アングルから撮っております。電線が入ります事ご容赦ください。とにかく貧困国は電線が目につきます。



 天空都市からSUCREに下りてくる国道沿いの民家の庭(駐車場)に咲いておりました。その後ろに玄関がありジャカランダが見える所の2階はバルコニーになっておりました。川沿いに建ち別荘風でした。貧富の格差を感じます。



 標高約3,000mの山岳地帯にひっそりと咲いていました。可憐で綺麗でした。



 これこそメキシコで見たジャカランダです。このように群生?していました。色が違えば桜に見えませんか?上記と同じ標高約3,000mに位置します。



 一般的には民家があり、その玄関先等に植えられているようです。念をおしますが一般的にです。単独で悪環境にも耐えて美しい容姿を表現しているものも沢山あります。



 こちらは一本だけ堂々と立っています。



 こちらは険しい岩石の山肌にしっかり根付いていました。アンデスは海が隆起したもので山脈の中には数多くの滞水層が見られ、貴重な水資源になっております。



 こちらも山肌に立っていました。気候の違いにより木の形も違っております。



 以前掲載しました吊り橋の周りにも健気に咲いておりました。 



 PILCOMAYO大河の右岸側の岩石山の中に咲いていました。川の水が上がってくるとは考え難いので、滞水層や伏流水が岩石の割れ目を伝わって花を咲かせているものと考えます。



 ちょうど沢になっている所です。一生懸命花を咲かせています。健気です。雨季前に花が散るのでしょうね。



 ジャカランダではなく以前コスタリカ編で掲載いたしました「フランボジャン」だと思います。そうだとしたらまだまだ真っ赤に色づきます。



 上記同様です。標高約3,000mの山肌に咲いていました。



 見ての通りROSEです。西語ではROSAです。



 葉の形からバラでは有りません。ブーゲンビリアです。西語ではブーゲンビレアと呼びます。標高約3,000mにも咲くのです。一般的に民家の軒先や塀に沿って咲いております。自然の中では見かけません。



 上記同様標高約3,000mに咲くブーゲンビリアです。ここも民家の塀伝いに咲いておりました。



 上記同様ブーゲンビリアですがSUCRE市内に入る民家に咲いておりました。



 最初見たときはユリだと思いました。ラ・レコレータ修道院の1クアドラ下の民家の塀に咲いていました。雄しべが6本あります。何の花でしょうか?



 上記同じ場所に小さな花が何枚も重なり合いアジサイのように咲いておりました。何の花でしょうか?現地人の若い連中は花の名前が分からない人が多く、年寄りにきくと「ケチュア語」で答えてきますので花の名前が分からないままになっています。でも上記同様に可憐な目を引く花でありました。
 ちなみにボリビアの公用語は西語、ケチュア語及びアイマラ語の3種類有ります。
 若い人は殆どが西語ですが、アンデス山脈の北側チチカカ湖付近はアイマラ語でアンデス山脈南側地方はケチュア語です。年寄りの大半はは現地語です。現地語を話す人々は殆どがインディヘナです。
 蛇足ですが、インディヘナと征服者スペイン人の混血をメスティーソと言います。ブラジルではムラータです。リオのカーニバルに出てくるスタイルの良い踊り子達は殆どがムラータです。




天空都市(4)   とにかく働き者の女性達&ノスタルジア

2010-10-03 12:32:28 | ボリビア(2nd)
 人口約20万人を擁するP市の家庭生活を支える食材や日用用品の店は市中心街に食材を扱う「中央市場」と日用品や雑貨を扱う「路地通り商店街=露店」がありますが、土・日曜日は市街地の北側のはずれの鉄道駅に並行して約1.5kmの露店が、何処からともなく現れ商店街を作ります。P市は「宝の山」を頂上にそこから市街地を抜けて鉄道駅やバスターミナルへと北側に向けて急勾配で下がっております。どういう訳か「働いているのは殆どが女性です」。
 男性は「宝の山」で年中、宝探しをしているのでしょうか。それとも出稼ぎに他県に行っているのでしょうか。多分に後者だと考えています。この店は女性用用品店です。非常にカラフルです。



 赤子を抱いた女性が商売をしています。同じ用品を扱っていますが、こちらは風及び日除けのシーとは全面覆っていません。店により差があります。こうしてひねもす無言で商売しております。が周りの店の様子は一切きにせず、ここにいてこういう風にしているのが楽しみのように見えます。



 洗剤やの横がパスタ屋です。どういう取り合わせなのでしょうと言う詮索は一切無用です。
 ラテン系の民族は必ずスープの中にパスタを入れます。
 街にはピザ屋はありますがパスタレストランは見受けられません。自分らの家庭で作るパスタが一番美味しいのです。



 野菜屋です。肉同様にkg単位でしか売りません。アンデスが原産地の野菜が並びます。
 それにしても働いている女性は体格が良いですねー。余った物は家で食べているのでしょうか?(失礼ながら憶測でものを言っております。)



 ここも野菜や果物を売っております。店が競合しても他店の状況はお構いなしです。
 じっと座って客を待っています。広大なアンデス同様に自然にまかせて生きているのでしょうね。



 対面の店も野菜や果物を売っております。どういう訳か、一応は種類別に店が立つているのが形式のようです。競合や競争はここでは無関係です。



 こちらの女性は生きたニワトリを売っています。そういえば3食の食事には鶏肉が入ったスープが必ず出てきます。ニワトリを捌くのも女性です。売った鶏は用意した段ボールにいれ売買成立です。



 これは何屋だと思います。南米人にはとにかく辛いものが大好きです。どんな料理にもこれらを調合し汁状にしたものを掛けて食べます。ワサビの辛さをはるかに超越しています。特にアンデス山脈に居住しているインディヘナの物は数段辛さが強くしてあります。やっぱり寒さに耐える為の知恵なんでしょうね。ここに並べられているものは全て香辛料です。



 ここは靴や通りです。運動靴から履物は何でも有ります。運動靴は高級品で通常はサンダル履きです。運動靴はサッカーするために必要ですので男性にとっては高価な買い物です。



 日用雑貨品通りです。何処から、土・日曜日だけに、ここの露店にどういう経路で運んでくるか不明です。金曜日の夜から運んでいると聞いています。



 同上日用雑貨店です。手前は化粧品です。化粧は女性のたしなみなのでしょう。



 ここの人々は以前はインディオと呼ばれていましたが、前にも記述しましたが、これは蔑視語で正確には「インディヘナ」と呼びます。この店は女性のスカートを売っております。スカートは何枚も重ねて(十二単みたいに)はきます。きっと寒いから厚着をするのでしょうか。



 スカート店の角を曲がった所にも洋品店?がありました。歩道に陳列?しきれず、他人の家の壁が朽ちた所に並べておりました。ここの女性はカメラを気にし木の陰に隠れておりますし、シートで顔を隠しました。何か気味の悪い奇妙な者を見たのでしょうか。



 本屋です。娘さんが留守番をしておりました。中央に座って店の本をただ読みしていました。本屋は全分野、何でも揃っています。ただあまり売れてないようでした。理由は文盲率の高さと庶民には買える値段ではないからです。



 奥の露店はサングラス屋です。何しろ標高約4,000m強ありますので日差しが強く、サングラスは必需品ですがUV仕様などと言う物は有りません。だから日焼け防止に帽子を被っております。そういえば女性は大半がシルクハットみたいな帽子を着用しています。生活の知恵なのでしょうか?



 場所取りが出来ない女性は一輪車で物売りしています。でも坂道ですから重労働でしょうけど元気な女性でした。こちらは一個でも小売りをしてくれます。



 この女性は教会の瓦を張り替えていました。高さは20m位あります。本当にすごい女性です。男性は何をしているのでしょうか。きっと昔からの風習なんでしょうか、それとも別な理由があるのでしょうか。



 洗濯はたらいで手洗いです。この二の腕で絞られたら、汚れも落ちるけど、繊維もほころびそうです。



 前記しましたが体格が良いのはただ太っているだけではなく働き者で筋肉質なのかも知れません。



 最初は洗濯板(今はセラミック製)のたらいで洗剤と水でそれこそゴシゴシ何回も汚れを落とします。この後、濯ぎも何回も行います。



 このお母さん(黒い服)と娘(手前の白い服)は何をやっているのでしょうか?サーカーゲーム機の上のシートをばらしていました。今日はお祭りで目の前の通りでダンスパレードが始まります。



 この貨物列車は停止しています。機関士や乗組員はダンスパレードを見ているのでしょうか?



 上記の母と娘のゲーム機が列車妨害をしていたのです。ゲーム機を動かし、列車は通行しています。のどかな風景です。運転手はもちろん、周りの人間も我関せずでいました。



 この黒装束の女性は泥棒では有りません。橋梁に使用する鉄筋の錆を磨いていました。
 本当にここの女性たちは何でもするのですね。男には任せてやれないと言う感じです。



 上記写真の脇を下校中の兄妹がそこそこと帰宅していました。お兄ちゃんの方はあちこちよそ見をしていましたが、ちゃんと妹について来ていました。妹の方がしっかりしています。筆者も昔はこうだったのではと自然に頬が緩んできました。遠い昔の話です。



 こちらは下校中にサッカーゲームを興じる小学生。やっぱり南米はサッカーしかないですよね。筆者の下校中には何をやってたか分かりませんが、真っ直ぐには帰宅してなかったように記憶しています。



 この景色はこの街を訪れる訪問者は必ず写真に収めます。アーチ門を通して「宝の山」を望んでいます。でもこのアーチ門は「宝の山」で働く鉱山労働者居住区との境界だったのです。アーチ門の手前に征服者達が市街を築き、鉱山労働者はアーチ門の向こうに住んでいました。



 アーチ門の鉱山労働者居住区です。今で約650年経過しています。昔の悲惨な時代の面影も残っています。



 「宝の山」に向かい道路が造られ、日干しレンガで造られた居住区は今は2階建になり、今でも住民が居住しております。



 昔は瓦は無かったのでしょうね。今は電気や水道が引かれ居住地となっています。



 同上。2階建てになっただけ生活が豊かになったと考えられます。



 南米の10月は春(日本の4月)です。咲きました紫色の「ジャカランダ」の花が。
 自然だけは人々の心を古の時代から変わらずに癒してくれたのです。
 「ふるさとは花ぞ昔の・・にほひける」でしょうか。




天空都市(3) いざ天空都市へ

2010-09-06 03:14:05 | ボリビア(2nd)
 標高2,750mの白い街Ciudad Blancaを後にいざ天空都市へ登ります。道中自転車で登坂する元気な青年に出会いました。多分に心肺能力を高める訓練をしていると思います。眼前に見える山はまだまだ5,000m級の山ではなくアンデス山脈はさらに続きます。



 どこまでもどこまでも天空都市への道は果てしなく続きます。
 


 今は乾季なので降雨はありませんので河川には僅かしか流れは有りません。季節は4シーズンありますが降雨は2シーズンです。この川はPILCOMAYOと言いパラグアイを経由しアルゼンチンから終点は大河ラプラタ河に注いでいます。かつてP市で鉱石が選鉱されるまでの過程ででる廃水(液)が処理不十分で3国間の国際問題になっていましたが、国際機関の協力で近年はP市において廃水(液)処理されていると聞いております。



 途中の峠からPILCOMAYO川を望んでおります。この位置で富士山の頂上約3,800mです。



 河川内は土石が堆積しており、国道に架かる橋は大洪水が来れば埋没する状況ですが資金面の手立てがつかないのでしょうね。政経上の首都La Pazから約550km離れたP市までは国道1号線でこの写真の道路は憲法上の首都SUCREからP市をつないでいる国道5号線です。



 PILCOMAYO川に掛かる美しい吊り橋がありました。征服者スペイン人がP市から産出され、造幣された銀貨をSUCREに運ぶ為に造られた馬車道と考えます。



 メイン吊りケーブルの橋台部です。約30ストランドのケーブルが片側で2条づつあり、それで橋長約200mの床版桁を吊っております。床版は木製です。アンカー部は土で埋まって見えませんでしたし現在この橋は通行止めとなっているようです。機会があれば是非渡ってみたいものです。



 アンデス山脈の特徴である尖った山々が見えてきました。



 同上。白く見えるのは石灰岩です。



 全て鉱山ですが手をつけていません。それ以上に立地の良い場所に無数にあるからです。だが政治の混乱が続き「宝の上に寝転んでいる乞食」と揶揄されております。ここP市はP県にあり全ての山は鉱山です。また最近チリ側のウユニ塩湖にて世界の半分の埋蔵量を占めるレアーメタルのリチウムが発見され国際間で激しい獲得競争が繰り広げられています。



 家路につくリャマ達でしょうか。道路の側道を整列して歩いていました。不思議なカメラマンを怖い目つき?で見ておりました。 多分に警戒をしているものと思います。



 それにしてもどこまでも美しい空と大地が続きます。



 何で標高約4,000mのところにサボテンがあるのでしょうか。高さは約2mあり、運転手いわく約200年経つと言っていました。それが本当ならすごいものを見たことになります。


 
これはユーカリの木です。ここ南米では低地でも高地でもどこででも見られます。



 山の天気は変わりやすく雲の形が変化してきました。が降雨は見られません。



 この眼前の山は裂けて谷になっております。自然の力を目の前に見るとただただ茫然とするばかりです。



 酸素濃度は次第に薄くなっているのを感じておりますが、青い空、白い雲とアンデスの山々と心休まる空間がここにはありました。



 これは数少ない緑を求めそれを食べているリャマ達です。もうすぐ春ですから雨が降り緑も少しは多くなります。



 これこそ火山活動で造られた造形美です。この縦に節理があるのは溶岩が柱状に流れ出し固まったからです。一般的に「柱状節理」と呼びます。柱状は縦ですが横の場合は「板状節理」と呼びます。畏敬を感じ得ます。



 面白い岩です。どうしてここにおいてけぼりにされたのでしょうかねー



 標高約4,000mに来ました。遠くに見える山が標高約4,800mの「宝の山」です。征服者達は銀のみを採掘しましたが、その他、錫、亜鉛及び鉛も多く産出します。但し掘りすぎて崩落の危機に面しています。



 街の中から「宝の山」を撮りました。このP市は世界最高所の都市と呼ばれています。 



 P市の西側を撮っています。周囲は5,000級の山に囲まれています。

 

 P市の中央部です。ここには征服者達が築いた美しい教会等の建造物が存在しユネスコの世界遺産に指定されております。勿論、「宝の山」もです。
 


 P市の東部を撮っております。雪は時にしか降りませんし、降っても太陽が近いので?すぐに溶けます。「宝の山」も時には冠雪します。



 P市の中央部を大写ししました。カテドラルやその他美しい教会が見えます。SUCREはCiudad Blanca (白い街)と呼称されていますがP市はVilla Imperial(帝国の街)と称されています。日本でいえばさながら奈良か京都でしょうか。



 一方、庶民の暮らしは質素です。1本の電柱から無数の線を取って(盗って)生活をしています。この場所(Zona Sateliteと言います)は市中心部より約200m~300m低く酸素濃度が少し濃いので富裕層が住んでおります。一般的に大勢の家族が住んでおり、また生活用水が不足しているため、共同シャワー及び共同便所です。夜は零下になります。




天空都市(2) への中継点--憲法上の首都--白い街SUCRE(No.2)

2010-08-06 13:04:16 | ボリビア(2nd)
 本日8月6日はボリビア国にとっては記念すべき日なのです。この家を覚えておられるでしょうか?  ボリビアがスペインからこの「自由の家」にて独立を勝ち取った日なのです。



 「自由の家」のパティオです。パティオ中央には通常は噴水が配置されています。
 このパティオでアサードを食べワインを飲み宴を楽しんだのです。現在も一部のレストランやホテルにはこのような噴水を備えたパティオがあり、天井にはシャンデリアが飾られています。



 ここの部屋で1825年8月6日に独立の宣言文書に署名がなされました。



 肖像画中央の人物がボリビアを独立に導いたシモン・ボリーバルです。もうお分かりですね。
 ボリーバルの名を取り国名がボリビアと名付けられました。



 上記「独立の部屋」からパティオを撮っています。今でも室内は金銀で装飾されております。



 シモン・ボリーバル肖像画のの大写しです。とても南米各国を独立に導いた人物には見えません。 何か意図があり、わざとこのように描かせたのでしょうか。後日機会があれば調べます。



 一方、街にある騎乗のシモン・ボリーバル像は精悍な顔つきでいかにも革命の戦士に見受けられます。どちらが本物なのでしょうか?



 「自由の家」の中には展示場もあり、その中の一室にシモン・ボリーバルの木像があります。  この顔も上記2枚と違います。本当の顔はどれなのでしょうか?
 この木像は、なんと一刀彫りで重さは4トンあると言われています。高さ約2.5m、幅及び奥行きそれぞれ約1mですから2.5m3です。比重が1.6もある木だったのでしょうか?確かにボリビアで鉄道に使われている枕木は「ケプラチョ」と言い、水に沈みますが。信じる事にしましょう。



 「自由の家」つまり中央公園(5月25日広場)から1町歩の所に清楚なファサードを持った教会があります。Santa Monica教会です。柱はアカンサスではありませんでした。下記をご覧ください。



 その柱を支えている巫女です。古代ローマ時代から神に仕えた女性です。神子とも呼ばれます。柱の模様は何と言うのでしょうか?細かい手作業で丹念に造られております。



 同上遠景です。一町(約100m)あります。西語ではCuadra(クワドラ)で約100mです。近年1クアドラも50m位の物もありますが、この街及び天空都市は約100mあります。



 中央広場から半町歩の所にあるSan Miguel教会です。何処となくイスラム的な屋根の造りをしております。観光の本には「ムーア様式」と記述されております。



 上記ファサードです。他の教会とは確かに様式が異なっております。



 上記San Miguel教会の内部です。金銀を使用した祭壇が目につきます。この金銀も天空都市から採掘したものと言われております。中央にマリア様、下方にキリストの像が祀られております。



 中央広場から1町歩の所にある美しいアーチ門を配した教会があります。
 San Francisco教会です。スクレでも最古の教会のひとつと言われています。



 アーチを大写ししました。ローマ時代の水道橋を見ているようです。スペイン人征服者は空中都市から運んだ金銀で贅の限りを尽したのです。でも素晴らしい建造物を遺してくれたのですから観光客にとっては喜ぶべき事でしょうね。 



 教会の横が公園になっており観光客はここでしばし寛ぎます。



 San Francisco教会の内部。この祭壇も贅の限りを尽くしております。見事です。



 中央広場に戻ってきました。広場から大体1km範囲で沢山の教会が存在します。
 カテドラル越しに教会が見えます。行ってみましょう。



 その道筋にカテドラルの石造り(花崗岩)のファサードが見られます。門には鉄製の鋲が嵌め込んであり
中世の城門という構えをしております。



 先ほどカテドラル越しに見えた教会です。中央広場から約2町歩の距離です。
 LA Merced教会といいます。dは無声音なのでラ・メルセー教会です。



 同上



 同上LA Merced教会の鐘。吊りロープは何本か欠損しています。



 LA Merced教会のはす向かいに立つ石造り(花崗岩)の San Felipe教会です。奥行きは約1町(1クワドラ)あります。



 同上San Felipe教会の鐘。大きな教会にしては小さな鐘でした。



 La Merced教会からカテドラルを撮っています。以前にも記述しましたが市の条例で中央広場から約3クワドラは壁を白く塗らなければなりません。出窓はコロニアル様式の特徴です。 



 同上、白い美しい街並みです。



 中央広場に戻ってきました。カテドラルの東門とその向こうに見えるのが県庁舎です。スペインから自由を勝ち取ったのは1,810年です。独立は1,825年です。その15年間に独立の為の戦いが繰り広げられました。ボリビアは自由を勝ち取った1,810年から今年でちょうど200年経ちますので各地でBICENTENARIO(200年)祭が催しされております。



 市民の胃袋を満たす中央市場の野菜売り場です。食料品は何でもあります。
 もちろん骨付きの牛肉もです。また唐辛子や赤いピーマン等香辛料も。



 こちらも中央市場内にある果物屋です。日本では高級なものもここでは約1/10で買えます。



 だけど、こういう物も買えない人々が沢山います。



 基本的には人々は貧困なのです。買える人は限られた人達です。



 さあー、今から4,000m強の「空中都市」へと向かいます。飛びあがったら雲が手に取れるようです。



 南米の高山地域に棲息しているリャマも見受けられます。





天空都市(1)への中継地--憲法上の首都--白い街SUCRE(No.1)

2010-07-05 06:00:39 | ボリビア(2nd)
 ボリビアの世界最高所4,070mのEL ALTOエルアルト国際空港です。中央看板の下には冠雪を抱いた山が見えます。



 ボリビア多民族国(2009年3月にボリビア共和国から改名)の政経上の首都ラパス市です。首都としては世界最高所(3,650m)です。アンデス山脈の谷間にありスリ鉢状の底に都市が広がります。
 中央がイリマニ山6,402mです。谷底には20~30階建ビルが林立しています。土地がないので上へ伸ばすしかないのです。



 スリ鉢の底から崖を見ています。底には高層ビルが林立し崖には低所得者層の住居が張り付いています。



 崖に張り付いた家です。一部山が崩落しています。その崩落の下にも家があります。
 見ているだけでゾットします。近年レンガ造りの家が目立ちます。以前はアドベ造りでしたが。これらの家々は柱の鉄筋だけを出していて資金が貯まれば上へと重ねていきます。鉄筋は風化して錆ついていますがお構いなしです。



 ラパスの市街地。とても標高3,650mにこのような近代的なビルがあるとは想像がつきません。



 谷底は空気が濃いので住居は満杯状態でスリ鉢の縁へとせり上がり、スリ鉢の頂上が上記一枚目の写真、飛行場があるEL ALTO市で、アルチプラーノと言うアンデス山脈(ペルー,ボリビアとチリは東西にアンデス山脈があります)の間にできた大平原地帯です。約400mの高低差の崖に住居がはりついています。撮影地点がEL ALTO市で約400km?の延長、標高約4,000m前後で大平原が続きます。空気が薄く貧困者層が暮らしています。街は汚いのですが蚊、ダニ、ゴキブリ、カラスや蠅も生息していませんので彼らにとっては住みやすいと聞いています。住まざるを得ない境遇ですから致し方ないかもしれませんが。



 ラパスで1泊し目的地「天空都市」P市と向かうのですが、空路はなく、約550kmの陸路ですし、日本から約20時間飛行機の中で過ごし大抵の人は高山病に罹ります。よって飛行場のある最寄りの都市である標題の憲法上の首都、白い街SUCRE市(2,750m)にて息を整えます。



白く落ち着いた街で空気は澄み、濃くかつ美味しく、市街地はユネスコの世界遺産に登録されております。



 飛行場から下りて来る丘から市中心部を見ております。後述の大聖堂の鐘楼と県庁舎のドーム屋根の前が5月25日中央広場です。
 ここから約160kmの標高4,070mのP市に1,545年に大銀山が発見され征服者たちは本土スペインに送る為の中継地点がSUCRE(当時はラプラタ市=銀の都市)でした。銀の財力により建てられた建造物は目を見張りますが、一方、光と影の格差はあまりにも大きすぎるようです。



 中央広場前に聳える大聖堂です。1,580年から1,633年の約50年かけて建設されたものです。



 大聖堂の大写しです。各鐘楼階の四隅には聖人像が見守っています。都合16人います。



 同上



 鐘の吊り具は繊維ロープで欠損しているのもあります。メンテをやって次第にロープ束が増えていったのでしょうね。



 中央広場に面する大聖堂の東門です。柱頂部はアカンサスの模様が入っていました。



 大聖堂の内部です。ミサまでまだ2時間あるのですが、徐々に人々が入ってきています。



 上記写真の左手前の部屋にあるまばゆいばかりの聖母マリア像です。上記銀山の繁栄にて造られた金銀で覆い尽くされ、ダイヤモンド等の宝石も飾られた衣装をまとっています。顔は実寸で頭物いれると約2mの高さがあります。



 上記写真とは反対側の入ったすぐ右側に十字架を背負ったキリストの写真があり、その下部になぜか不思議な模様の徽章がありました。何の意味があるのでしょう?



 大聖堂の北側に隣接する県庁舎です。



 ボリビアの正式な国旗です。略式には横式の上から赤、黄色と緑のトリコロールです。この模様は黄色の中央に描かれます。太陽と冨の山(西語でセロリコと言い、この山がボリビアの歴史の変遷を反映しています。)あとはコンドルやリャマ等所縁のあるものです。



 5月25日(25 de MAYO)はスクレにとっては重要な日です。1810年にスペインから自由を勝ち取った日なのです。SUCRE,AQUI NACIO LA LIBERTADの意味です。



 この一見何でもない二階建の家が「自由の家」と言い、ここで前記独立宣言文の調印がなされました。



 国事を制定する儀式はここで行われます。



 同上



 「自由の家」の前の通りには多数の衛兵が周囲をガードし実施されます。



 この赤い絨毯の上をアカデミー賞さながら、主賓者がしめやかに通り「自由の家」に入ります。



 白い街CIUDAD BLANCA=シウダーブランカ(市の条例で壁を白く塗るようにきめられている)が街を一層清楚な造りにしています。遠くの教会はLA MERCEDラメルセー教会です。



 自由の家の前は中央広場で1837年に首都と制定され、初代大統領Jose de SUCREの名にちなんで付けられました。広場の中央に彼の像があります。



 同上大写し。


 
 公園には色んな種類の花や木が植栽されています。この白い花は匂いで分かります。
 ジャスミンです。



 同上



 この木はフランボジャンで火炎樹と思います。今は真冬ですので春には赤色の花をつけますので、その時にはその美しい写真を掲載します。



 これは桜に似た木ですからハカランダ(ジャカランダ)と思います。これも春先に紫色の花をつけますので、前記同様その美しい写真を掲載します。



 上記白い街シウダーブランカの街並みです。



 同上。出窓はコロニアル様式の特徴です。



 憲法上の首都の所以は「自由の家」と、ここに「最高裁判所」があるからです。



 同上。



 最高裁判所の裏側に立つSANTA BARBARAサンタ・バルバラ教会です。



 上記、丘の上から市街地を望んでいます。鐘楼の美しい教会がありました。



 SANTA CLARA CONVENTOサンタ・クララ修道院です。かつてはここで修業した修道女たちは南米諸国へ布教奉仕へと出向いて行ったそうです。



 同上。



 またも木々に囲まれた目を引く教会がありました。



SAN LAZAROサン・ラサロ教会です。前記のSANTA CLARA CONVENTOも美しいファサードを持っていましたが、こちらはそれ以上に荘厳さを感じます。



 鐘です。上記同様ですが、いずれの教会も夜はライトアップされます。



 この教会も目を引きます。SANTA MARIA AUXILIADORAサンタマリアオーキシリアドーラ教会です。



 同上大写し。



 聖母マリアの大写し。本当に慈愛に満ちたお顔をなされています。



 が一方、街には子供が街角に座っております。人が通ると手を差し出します。本人のせいではなく生まれた時からこのように貧困なのです。



 この老婆はもうあからさまです。本当に生活がかかっているのです。



 こういう風に街角で親子で物乞いをしています。



 夜は寒いので何枚も着込んでいます。大聖堂の前にいました。



 この老婆は十字架に頬をつけつぶやいていました。物乞いではなく信者だと思います。この光景は初めてみました。