アジアと小松

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小松基地問題研究会

『溶鉱炉の火は消えたり』浅原健三著

2017年07月28日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり』浅原健三著 1930年2月15日 新建社発行 1円50銭

 浅原健三の『溶鉱炉の火は消えたり』は1930年に刊行された。昭和初期の大ベストセラーで、「二十二年」「溶鉱炉の火は消えたり」「仁丹先生」「地底」「炭田を衝く」「香月村血記」「反動狂舞」「屍を野に焼く」「西部戦線乱る」「驟雨一過」「出発」「戦火燃ゆ」の12作品が収録されている。
 浅原は1920年、八幡製鉄所の大労働争議を指導し、争議を勝利に導いたが、治安警察法違反で逮捕された。
 学生のころに、「溶鉱炉の火は消えたり」は薄いパンフレットにされていて、回覧された。「読んだ」という記憶と、「凄い!」という記憶しか残っていないが、大学を辞める契機の1つになったことは確かである。
 石川県には金沢大学図書館にしか蔵書がなく、100万人に一冊しかない。1930年発行だから著作権はなくなっているだろうから、手すき時間にデジタル化していこう。とりあえず、「前書き」を読んでいただこう。これだけでも、1930年当時の雰囲気が伝わってくる。

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同志諸君!
 顧みれば、過去十年、諸君の歴史は荊棘の途であった。苦難苦闘の戦史であった。
 然り!九州の階級戦線は、同志の××を以て描き続けられた惨史である、
 我等の往く所、飢渇、牢獄、××、所詮は墓場への険路なりとは云へ、余りにも痛ましき犠牲の累積ではないか。
          ×
 或る者は白色テロの刃斃れて屍を野に焼かれ、或る者は飢餓の途上に行き倒れて無縁の孤墳と化した。或る者はチヴスの高熱に狂死し、或者は裂けたる肺の血を吐き盡して仆れ伏した。叉、或る者は反動群の棍棒に傷き、或る者は強権の泥靴に生面を摘み躙ぢられた。
 叩かれ、撲られ、蹴飛ばされ、突き倒され、唾せられ‥‥
 苦闘の朝は受難の夕に続き、忍辱の夜は飢餓の朝に明けた。
          ×
 見よ! 意気地なき弱者は逃げ出した。
 或る者はブルジョアジーの魔手に良心を売り渡し、或る者は彼等の靴の紐を解く階級的裏切者と成り果てた。
 逃ぐる者、売る者、買はるる者、裏切る者。
 朝の同志は夕のスパイとなつて兄弟を豺狼の足下に投げ出した。 (注:豺=やまいぬ)
          ×
 だが、諸君は、よく忍び.よく耐へ、よく闘った。
 諸君は誓を変へなかった。
 強く、高く、プロレタリアの旗を樹てた。
 然り、同志の歌声は高く、諸君の旗は燦として輝く。
          ×
 一九二八年二片二十二日。
 北九州の全無産大衆の手によって、私に「当選」が投げ与へられた日である。
 私の勝利ではない。勝利は諸君の勝利である。私の凱歌ではない。凱歌は無産大衆の凱歌である。
 十年の怨恨の晴れた日。私の当選は同志が十年苦闘の結晶であった。
 然り!此の日は十年の決算日である。
 然り!新なる闘争への出発の朝である。
 此の日、
 「十年の闘争史を書いて同志に献げやう。」
 私は、同志が筑豊炭田に流した××(注:生血)を掬ひ取つて我等の闘争史を記録すべく思ひ定めた。
          ×
 而来二年、私のペンは遅々として進まず、月日は匇忙裡に空しく過ぎた。
 然も政界の風雲は解散に向つて流れてゐる。
 私の任は解かれる。
 大衆の闘争指令は更改せられなければならぬ。
 其日の前に、私は自己への約を果たさねばならぬ。
 「無理にでも、書き終らう。」
 第五十七議会へ「解散」を投げつけんと身構へた濱口内閣を凝視しつゝ、私の手は原稿紙の上を走る。
          ×
 斯くて「溶鉱炉の火は消えたり」は成る。
 拙、劣、稚、私は諸君の前に恥ぢる.誤記、妄語、全てを赦せ。
 更に、同志の尊き戦史を、我を軸として記録した、此の不遜を赦せ。
          ×
 解散だ!
 再び、決戦の日が来た。
 さあ、やるぞ! 奥歯がカチカチと鳴る。
          ×
 一九三〇年一月二十一日、
 ペンを投じて闘争の陣地にまい進する。‥‥‥‥…‥…………浅原健三

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