フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

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(あえて今だから)群馬県内石田三成を巡る旅 そのいち

2023年03月10日 21時31分36秒 | 旅行&おでかけ
今年の大河ドラマの主人公は徳川家康ですね。
徳川家康公は歴史の教科書でも扱われる方で、特に関ヶ原の戦いと江戸開府については必ず扱われる出来事。それぞれの1600年、1603年なんてのも暗記させられましたね。
そのうち関ヶ原の戦いの相手役と言えば石田三成。従前の三成と言えば「融通が利かず仲の悪い諸侯は数知れず」と言ったイメージで語られていたけども、昨今はイメージ回復も図られて、滋賀県がイカしたCM作ったりツイッターで大活躍をしておられたり、今では「不器用にもひたすら秀吉に忠義を尽くした人物」という感じで語られることも多いかな。かつてはひたすら文官扱いされてもいたけども、なんなら戦での活躍も再評価が進んでいる。
三成は出身も知行地も近江(今の滋賀県)で、ぬたりの住む関東地方との縁はあんまりない。実際歴史に残るのは小田原攻めくらいなもんだろうが、ぬたりの住む群馬県においてなぜかゆかりの地が存在する。しかも知る限り3カ所。勿論すべてが確実に縁があるというわけではなく2カ所は伝承の域を出ず、雲の上の三成公が聞いたら苦笑されるかもわからんのだが、ともあれ知ってしまったので石田三成公ゆかりの地巡りをしてきました。なお、1日で一気に巡ったけど、バックボーンの解説とかやたら長くなるから何回かに分けるよ。
ともあれ、群馬に残る石田三成公ゆかりの地巡り、スタートです。

ここは太田市世良田町にある世良田東照宮。「東照」の名前があるとおり主祭神は徳川家康公(東照大権現)。徳川氏はその出自を新田源氏に求めており、ここは元々は新田氏の一族の世良田氏の館があった場所。新田氏の一人、新田義季が「得川」を名乗ったとの伝承から、これにあやかり家康は松平から最終的に「徳川」に改姓。そしてその得川義季の本拠地がここ世良田氏(義季かその息子が世良田と称し始めたらしい)の館だったというわけで、江戸時代にここに東照宮が建てられた。
勿論この出自が怪しいにも程があるのは歴史の常識。というかまあ、多分家康は新田氏の血なんか引いちゃいない。それでも新田氏の一族を参考にして「徳川」を名乗ったのであれば、このあたりが徳川という「名乗り」の発祥の地と言ってしまっても間違いではない訳ですわ。

と言うわけで、現在太田市は「徳川発祥の地」としてピーアールを図っている。この近くにはまんま「太田市徳川町」という地名すらある。徳川町には満徳寺という縁切寺として有名な場所があり、ここの初代住職は前述の新田義季の娘、と言うことで、東照宮共々「徳川ゆかりの寺社」として幕府の手厚い庇護があったそうです。

・・・ってなんで石田三成ゆかりの地に行くのに長々と怨敵とも言える家康のゆかりの地の説明してんのだと、雲の上の三成公が発狂しそうなんでこの辺にしておきますが。
長々と東照宮の説明したのは、この東照宮のホントに目と鼻の先に三成公ゆかりの地があるから。しかもここに限っては伝承ではなく、確実にゆかりがある地だったりするのよ。だから東照宮から車でどのくらいで着けるのか、実際に計ってみたかったのよね。それに大河やってるとこで、ゆかりの地としては若干渋めのここにどのくらい人がいるのか気にもなったので。平日に行ったんだが、人はポツポツいたよ。 確実に大河効果はありますね。

そして東照宮から車を走らせること、6分04秒(実測値)。最初の目的地に到着いたしました(長くなったので続く)。
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