フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

お別れの形は人も地域もそれぞれ

2016年12月27日 22時38分31秒 | 日記
職場の人の親族にご不幸ができて、庶務担当たるぬたりは葬儀に参列することになったよ。えーっとねー・・・。
礼服どこだ!?(おい)
と言う騒ぎを経験した昨今。普通考えれば「家にあるだろ」なんだが、自宅にないとなるともうね、引っ越しのどさくさに紛れて捨てちゃったんじゃないかとパニックにもなるわ。
まあ、答えは実家、って事でね。一人暮らしの時は洋服の収納も限られるから、こう言うのは実家に置いておく、がスタンスで、ここ数年地元の知り合いにこれと言った不幸がなかったので実家に置きっ放しになってたわけでな。結婚式とかは、友人関係なら最近はスーツで済むからわざわざ礼服着ないし。あと個人的な事情だが、この礼服仕立てて最初に着たのがおじさん(母親の兄)の葬儀で、病気による急死だったので割とショックが大きく、同じ服着てお祝いの場に出たくないのね。将来礼服着てお祝いの場に出る必要が生じたら新しく買うわ。
さて、ぬたりはある意味職場代表としての立場もある。ゆえに香典のとりまとめと持っていく任に当たるわけだが、一時的に複数の他人の香典を預かる形になる。それなりの金額にはなり、多少は落ち着かない気分にはなるんだが、他県の人が思うほどの金額にはならないんですなこれが。ここで登場するのが、群馬県を中心とした風習、「新生活運動」である。ぬたりは子供の頃から知っているので当然と思ってたんだけど、群馬近辺にしかないそうで。
葬儀、となると故人やその親族の知り合いが参列することになるが、つきあいの濃さというのは千差万別で、失礼な話ではあるが、香典持って当日行くほどかなあ、と悩む事態も発生する。特に仕事上だけのつきあいの場合は、この傾向は増すと言って良い。また、そんな状態で参列されても、施主側も気を遣うし、参列のお返しをもらうこっちも気を遣う。
そこで登場するのが「新生活運動」である。参列はする(又は行く人に香典を頼む)が、あくまでもお悔やみを申し上げるためだけに行きますから、お返しとかお気遣いは一切いらないですよ、という多少ドライではあるけれども、参列への敷居を劇的に下げてくれる風習である。風習自体は名前の通り生活全般(結婚式とかも)絡むんだが、やはりお悔やみの場での活用が一番多い。香典はあくまで「お気持ち」の性格のものとなるので安価に設定される。高崎市のHPによると1000円、ぬたりの会社での相場は2000円ってとこ。このくらいなら、「それなら私も」と参列しやすくなるし、「お気持ちだけでも」と参列する人に香典だけ頼むということもやりやすい。
さて、人のつきあいの難しいところで、参列者は「お返しは一切いらない」と表明はするのだが、はい、じゃあ勝手に参列して帰ってください、とすると、施主側の方が気を遣っちゃうのである。そこで、参列の礼状とともに数百円くらいのお茶パックかインスタントコーヒーのセットとかを用意するのか普通。だから群馬の葬儀の受付には、2種類の参列のお礼が用意される。新生活用の受付が用意されることも多い。何人分持ってきました、とかと、通常の受付とは流れがちょっと違うしな。
もちろんこれは正規の参列を妨げるものではない。職場のつきあいが基本の相手の親族が亡くなったといっても、故人と直接の関係があれば新生活運動で参列するのは失礼だし、職場のつきあいだけでなくプライベートでもつきあいがあれば、これも新生活では失礼になる。また、職場だけのつきあいでも、その人に本当に世話になっている、という事であれば、別に通常の参列をして構わないわけ。そのあたりは個人の判断になる。「香典をケチりたい」と言うわけではなくて、正規の参列をするほどのつきあいでもないけどどうしよう? と言う人に対して「つきあいはあるわけだから気持ちだけは届けよう」と言う風習なのは間違って欲しくないところね。

さてさて、そんな具合でぬたりはいけない人の分を取りまとめて葬儀に参列した。職場内からとりあえずとりまとめを始めたんだが、支社や本社からあれよあれよと声がかかり、あっという間に60人。顔が広かったんだなあ、うちの上司。

ただまあ、参列後、60個もの礼状(簡単な品もついている)を自分の車に積み込まなきゃならんわけで、段ボール2箱抱えたぬたりの姿はまるで業者。配り歩くのも一苦労で、その姿もまた業者のそれでしたわ。
コメント (2)
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