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フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

メーテル またひとつ 星が消えるよ

2019年09月01日 21時58分35秒 | つぶやき


・・・いやもうなんかいきなり不景気な張り紙の画像で申し訳ないが、ぬたりが訪れた群馬県内の模型店では一番来客では賑わっていた、ファーベル伊勢崎店(←いつまでサイトが見られるか分からんが)が突然の閉店。前予告も何もなく、いきなりこの張り紙と共に閉鎖、である。
模型店の置かれた現状が厳しいことは過去にぬたりもブログで言及していたが、まさかここまでとは思わなかった、というのは正直なところ。だからその衝撃に思わず現地確認までしちゃって、こうしてブログ更新しちゃってるんだけれども。

ここの閉鎖は群馬県の模型好きにとってはかなり重い話にもなる。かつてここの店は「エルホビー」と言う名前だったんだが、その頃は群馬県南部の模型少年にとっては、「伊勢崎にすげえ店がある」と語られる存在で、行動範囲の広がった小学校高学年から中学生が念願のここを訪れて度肝を抜かれる、というのがお定まりのパターンだったようだ。その店がなくなる、ってんだから、ついにここまで来たのかよ、って感じは否応なしに押し寄せるわ。
まあ、名前が変わっていることからも分かるように、ここの店は数年前に営業が変わっている。単独店舗だったエルホビーから栃木県佐野市に本店のあるファーベルに店名が変更されている。単純なフランチャイズというもんでもないんだろうから、既にこの時に店の伝統は終わっていたという判断もできるんだがね。
店の伝統は兎も角、今やお客もそんなにいないのが当たり前の模型店ながらも、ここは違って週末ともなれば多くのお客が来ており、ぬたりがここ最近訪れた際は結構な数のお客が店内にいたから、よもやこんな事態になるとは夢にも思っていなかった。ぬたりは何気なくグーグルマップでこの店見てみたら「閉業」になってて初めて事態を知ったのだが、最初は悪質なデマだと信じて疑わなかったくらいだ。各種情報集めて、自分の目で見てようやく、本当なんだ、と飲み込めた次第。それにしてもあまりにも急な話だ。だって数日前まで何事もなく営業してたみたいだし。写真撮りながら中も覗いてみたが、店内狭しと商品は陳列されたままだったし。実際ぬたりが現地にいた数分間、ぬたりの他にも3組ほど様子を窺っている人たちがいた。事態を知らずに来たのか知ってて来たのかは分からんが。

ともあれ、群馬県からまた一つ模型店が消えた。県内では実は7月いっぱいで他にもう1件閉店していて、とにかく一つ、また一つと模型店が閉店していく。今現在営業している模型店にしても、傍目で見ていても果たしていつまでか、と思うような店も散見される。
もちろん、模型趣味というもの自体を嗜む人が減っている以上、こういう流れは止められないし、昨今は通販というものがある。実店舗がなくなっても、実は思うほど困らないんではないだろうかと思うぬたりがいることは事実。それに模型店じゃあ、本屋みたいに関係者が「文化の担い手だから」なんて弁護してくれることもあるまい。
だから、今回の出来事で、より一層、ぬたりは模型店に通って気になる商品は買わなきゃなあ、と思った次第。もちろんこの行為に意味はない。ぬたり一人が多少買ったところで模型店全体の売り上げが劇的に上がるわけじゃない。
ぬたりは、「ああ、こんなことならもっと買い物しておけばよかった」という後悔を少しでも軽くしたいだけである。だから他人にも同意なんか求めない。それが正しい行為かどうかも関係ない。その行為で模型店の減少を食い止めようなんて思いもさらさらない。


ぬたりは自分の為に、これからも模型屋にちょくちょく顔を出そうと思っているだけだ。今度の休みは、早速小さめの模型屋を回ってみよっと。
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第3新東京市に行ってきました ダークサイド

2019年08月08日 15時37分33秒 | つぶやき
注意!
本日のネタはぬたりが宿泊した某宿泊施設へ対する悪い印象の文章になります。冷静なレビュー的な文章にしたいとは思いますが、正直自信がなく、単なる悪口になっているおそれが高くなります。このため読んで気分を害するおそれがありますので、本文をお読みになる場合は自己責任でお願いします。このため、宿泊施設名は場所含めて本文中では明かしませんし、コメントでも一切お答えしません。ぬたりのお知り合いの方のお問い合わせには対応もするかと思いますが、そうでない方のお問い合わせには一切お答え致しかねますのでご了承ください。あと、普段おちゃらけネタを多く記するぬたりがかなり真面目に書いちゃってますので、正直文章としてあまり面白くないんじゃないかと思います。しかもこういうのは一気に吐き出したいから無駄に長いよ。
それでもいいなら、お進みください。










ぬたりがその宿泊施設を選んだのは、毎年の旅の考えとして「ある程度のグレードを持った宿」と言うことから、JTBのパンフレットから選んでいる。実際眺望も素晴らしく、落ち着いた雰囲気で、部屋もなかなかに広かった。今から思えば、チェックインに無駄に時間がかかっていて、しかもその間こちらをほったらかしなのは気になったのだが、これは演出のものかと思っていたくらいだ。実際、駐車場の入り口まで従業員が一人迎えに出てくれていたし、「おお、さすが」と思っていたのだ。
不吉な兆候は、部屋係の説明が終わった後に現れていた。「この後食事係が参ります」という説明があったのだが、待てど暮らせど誰も来ない。おそらくは「この後来るのは食事(の時に)係(が来る)」という意味での発言と思われたのだが、この後係が来る、と言われればこちらは風呂にも行けずにしばらく待ちぼうけをせざるを得なかった。結局待ちくたびれて大浴場に向かったんだが、その間に誰かが来ていたのかどうかは分からない。また、隣の旅館の改装作業の音がかなりうるさかったのだが、そのことに関する説明もなかった。
そしてその食事がそもそものネックとなった。ぬたり達の食事は午後7時からで、実際そのとおりの時間に始まったのだが、問題は食事の提供時間だ。
温泉旅館は懐石料理をベースとしており、そもそも時間がかかるのは当たり前。ファーストフードとは訳が違うので、美味しい料理をのんびり時間をかけて味わうものだ。
だが、食事開始から食事の終了までに2時間半以上を要するとなるとちょっと度が過ぎている。食事終了は夜10時近くで、ホテル内のバーラウンジに行くのすら時間的にギリギリになる。また、飲み物を頼んでもこれも時間がかかった。厨房ではなくラウンジから持ってくる、という説明はあったが、だからといって待たせて良いというもんではないだろう。
と言う具合になんだかなあ、と言う印象は宿泊初日には既にあった。だが、JTB予約特典として提供されたシャンパンハーフボトルが本物のシャンパンで、そこそこの値段のものであったりと、一応宿の格の高さを垣間見せるものはあったので、まあ、こんなもんかね、という形で床にはついた。
だが、本当の事件は翌日早朝に口を開けて待っていたのだ。

午前5時40分頃。
けたたましい警告音に早朝の眠りを破られたぬたり。東日本大震災以降、アラートがたてる落ち着かない音は何度も聞いており、さては、と思ったが、音の発信源は携帯ではなかった。警告音には自動音声がついていた。
「1階の火災警報器が作動しました」
ただならぬ音で落ち着かない気持ちを抱えつつも、取りあえずそのまま廊下に飛び出す。臭いや熱、煙等、特に異常は感じられず、エレベーターホールの吹き抜けまで行ってみても様子は同じ。ぬたりがいるのは2階でそれなりに危険度は高いが、取りあえずは緊急的にどうこうというわけではなさそうだ。だが、大丈夫そうだという見込みを許さないとばかりに少しすると自動放送の音声は切り替わった。
「1階で火災が発生しました。速やかに避難してください。」
運が悪かった部分はあるが、ぬたりの部屋は館内廊下隅の非常口プレートを視認しやすい場所にあった。避難ルートはエレベーターホールの階段と非常口なのだが、心情としてこういう時は非常口を選ぶ。そしてこの非常口、信じられないことにどこにも通じていなかった。無理をすれば敷地外へとエスケープできるか、と言う程度で、申し訳ないが後ろに炎か煙が迫って切羽詰まっていなければ使えないルートだったのだ。
結局は1階まで降りたところで他の客室の非常用ルートから逆に客室に侵入。1階の廊下から、敷地内の屋外施設へ行くと他の宿泊客がいたのでしばらく一緒にいた。ちなみにこの施設は傾斜地に建っていて、エントランスは5階にある。1階にはそんなに他の客はいなかったし、他の人は5階に行ったのかね?
そんなこんなで最初に警報が鳴ってから20分以上も経った頃だろうか。「ただいまの警報は誤報です」というアナウンスが流れたのだが、流石に心配で、しばらくはいつでも逃げられる建物からつかず離れずの場所にそのままいて、時間をおいて部屋に戻った。部屋に戻ったのは、警報発生から40分以上経過してからだった。そしてこの時点までにおいて、ぬたりの不信を徹底的にしているある出来事がある。

従業員の姿を一度も見ていないのだ。

早朝だし従業員が少ないのは分かる。だが、幸か不幸かぬたりは警報器が鳴ったという1階の、建物からつかず離れずの場所にしばらくいたのだ。それなのに従業員の姿を見なかった。ぬたりは安いホテルに泊まったのではない。それなりの値段を払って宿泊しているのだ。果たしてその値段の対価に見合った体制なのかこれは? という疑いはどうしても持ち上がってくる。
部屋に戻ってしばし。内線が鳴り、謝罪とお詫びとしてチェックアウトを1時間遅らせる旨の話があったが、これだけ不安にさせられた場所に長居したいとは到底思えなかった。ちなみに待ち時間の間、ネットで口コミをチェックしたら、このチェックアウトを遅らせる対応は、この施設で何らかのトラブルがあった際、必ず告げられるようだ。マニュアルにでもあるのかね。まずはお金のかからない部分から入れ、みたいな。
そして、朝食係がぬたりの部屋の戸を叩く朝8時まで、従業員は誰も来なかった。直接の詫びも出来んのかここは。ちなみにここ、客室数は20程度。回りきれない数じゃないだろ。
そう思って施設内を見ると色々とおかしな部分も見えてくる。壁紙の傷みや調度の痛みも見えるし、果てはショップの品揃えもお世辞にも素晴らしいとは言えず、そこらの雑貨屋にありそうなものばかり。払った値段に相応かと冷静に考えると疑問ばかりが見えてくる。部屋の冷蔵庫内のドリンクも全て有料なのも気になった。しかも全部コンビニに行けば買えるようなものばかりで、特別な飲み物は一つもなかったし、全部高い。
そして朝食を食べているときに、朝食の係からお詫びにチェックアウトを遅らせる旨の話が再度出たが、「予定があるのでそんなにいられないから、何かほかにサービスをして欲しい」と嘘をついた。こちらとすれば、もう一刻も早く宿を出たかったのだ。
で、代わりとして「夕食時のドリンクを無料に」と言うことになったのだが、こんな交渉までしなきゃならんと言うのも気分をげんなりさせた。なんで迷惑かけられたこっちが気を使って交渉せにゃならんの?
チェックアウト時、女将が出てきてそれはもう平身低頭、平謝りモードで、同施設で使える1万円分の商品券(宿泊でも買い物でも可)をくれた。女将の態度と人当たりに関しては全然悪感情を抱けず、有名観光地のそれなりの旅館の女将はやっぱりひとかどの人物なんだなあ、と感心はしたんだが、流石に時既に遅し。既にぬたりの気持ちは冷め切っていた。単に間が悪いだけなのでこれは宿に責任はないのだが、我々ヲタにとって、今「火災」と言うキーワードはちょっと心情的にきついのよ。それだけにぬたりのこの宿に対する印象はもう繕いようがないほど悪化していた。
ちなみにチェックアウトにも信じられないくらい時間がかかった。その際の従業員の何気ない一言にも、正直言おう、ムッとした。

「冷蔵庫内の飲み物も利用もございませんでしょうか?」

言われる前に無料にするとかの気遣いはねえのかよやっぱりここは。

言っておくが、ぬたり達は運が悪かっただけで施設の印象が悪くなったことは認める。だからこの文章が必要以上に施設に攻撃的になっていることも認める。
だが、我々は安心してくつろげるよう、それなりの格式の宿に泊まっている訳なので、そのがっかり感は汲んでいただきたいと思う。
宿自体は、眺望や部屋の広さ、館内の造り等にちゃんと光るものがあり、今でもそれなりな人気を誇っているみたい。でも今でも人気があるが故に、改良や改善、サービスの見直しが後手後手になってはいまいか、という感じは正直した。施設自体改装後20年近くが経過しており、実際あちこち痛みが見えるし。なので、こういう出来事を今後を見直すきっかけにしてもらえればプラスにもなるんでしょうけどね。それをするかどうかはもうあそこには行かないぬたりには関係のない話だが、旅行という楽しい雰囲気を一気にぶちこわされるような思いは、あんまり多くの人にして欲しくはないです。

最後に追加。調べて分かったのだが、この施設は20年近く前の大規模改装後に人気に火がついたそうなのだが、大規模改装の原因がなんと火災だった。それだけに、火災絡まりの対応があまりにおざなりだったことに、信じられない思いを禁じ得ない。お前達は火災を、そしてそのことが関係者にどんな感情を呼び込むか知っているはずで、その火災に絡んだ今回のトラブルに、なぜあんな対応しか出来なかったのか。愕然とする思いだ。

繰り返しになるが、ぬたりがここまで悪し様に言うのは、タイミングが悪かった、と言う点もあるので施設が全て悪いわけじゃないとは思う。けど、ぬたりの感情とするとせっかくの楽しい旅行をぶちこわされたということでちょっと納得できないので(意訳:幾ら払ったと思ってんじゃゴルァ!)、ブログでぶちまけさせていただいた次第。まあ、こうして文章にすると少しはすっきりしますですよ、はい。
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つまらんのは分かっているが、暑くて頭が回らん

2019年07月31日 15時53分20秒 | つぶやき
なんかとある大手芸能プロダクションで、会社側も意見を言う従業員もみんながみんな大層みっともない事態になっているところで、ちょっと思い出したエピソードを語る。アメリカのとある会社のお話。

今から20年以上前、当時アメリカで上位10社の大手航空会社の中では評判ぶっちぎり最下位、苦情件数ぶっちぎり1位というダメダメだったコンチネンタル航空でのこと。
当時再建途上にあった同社は、1994年冬、一つのボーナス提案を従業員に対して行った。
それは「1995年に毎月政府が発表する定時到着率が上位5社になれば、全従業員に65ドルのボーナスを支給する」というもの。ちなみに65ドルという数字にも根拠があり、定時到着が増えて苦情対応の費用が全体で半分になったとしたら、その浮いた費用を全従業員で均等に割ればその数字になるそうだ。
根拠のある数字、そして政府発表という誤魔化しのきかない数字のこと、従業員もやる気になったのか、1995年2月には早くも第4位にまであっという間に上昇し、とっととボーナスを従業員はゲット、3月4月は堂々の1位を獲得するなど、一気に定時到着率が向上。ちなみに「翌年は3位以内にハードルを引き上げる代わりにボーナスは100ドルに増額」と11月に条件を変更したら、12月には当たり前のように1位を獲得して、会社側が100ドル増額を1か月前倒ししたりと、社員は1年で一気にやる気になった。その裏には、ダイヤの改正や機体整備体制の強化など、会社側もただニンジンをぶら下げたわけではないのだけどね。要は「ちゃんとこっちも支援するから一緒に頑張ろう」という姿勢を見せたわけで、こっちの方が重要だったんだけどね。まあこっちの話は今は関係ない。
さて、本題はここからだ。
このボーナス、基準が定時到着率。一部の社員からこんな意見も上がったという。
「定時到着率向上の達成は、パイロットや客室乗務員、ゲート係や整備士など、現場で働く人間の頑張りによるものだ。なぜ事務方やチケット部門の人間までボーナスを受け取れるのか。彼らは向上に寄与していない。」
なるほどこれはもっともな意見に思える。その際、その質問を受けた社長は自分の腕時計を掲げてたった一言、こう言ったという。
「この時計で、どの部品が要らないと思いますか?」
目に見えて我々に時刻を知らせる針や羅針盤はもちろん、小さなねじ一本に至るまでたくさんの部品からなる時計には要らない部品は存在しない。ねじ一本でもなくなれば機能不全を起こす。定時到着率を上げようと現場がいくら頑張ろうとも、チケットを売ってくれる人がいなければお客さんが来ない。経理がいなければボーナスが出たってお金が手元にやってこない。全員がやる気になって仕事をしたからこそのボーナスなのである、と一言で示したそうで、文句を言った社員は二の句を告げなかったそうだ。
ぬたりの言いたいことはこれだけで分かってもらえると思うけどね。まあ、ギャラと言ってもそれが支払われるために目に見えない部分の動きがあるわけだ。その部分にきちんと還元されるのを、果たして一概に「ブラック」で片付けていいのですかね?


さて、ついでに関連のエピソードをもうひとつ。
実はこの臨時ボーナス。1995年の2-4月は順調に支給されていたのだが、5月6月と定時到着率が低下して支給されていない。これが実は一部のパイロットが組織する労働組合のストライキの影響によるもの。再建途上にあったコンチネンタル航空はボーナスが出たと言っても給与水準そのものが低く、組合としてもやむを得ない対応だったそうだが、いずれにせよ、従業員とすれば一部社員のおかげでボーナスを貰えなくなるし、会社側もせっかくの再建劇に水を差されるしで、多くの人に悪感情を植え付けた。
この時に会社の経営陣はどうしたか。とにかく粘り強く労使交渉を行ったのである。組合と他の社員の分断を図るようなこともせず、お互いに納得ができる点を交渉の中で突き詰めていった。そして交渉終了後も組合参加者を一切非難するようなことしなかった。パイロットの言い分にも一理はあり、これからもみんなが力を合わせて業務を行わなければならない、という事の意識統一を図った訳。経営再建の途上にあるコンチネンタル航空という会社は、一部の人間が勝って一部の人間が負けるということはない。勝つときはみんなの力で経営再建を成し遂げられる。負ければ倒産してみんなで路頭に迷う、の2者択一しかないよ、という考え方をみんなで共有したわけ。実際その後の影響は最小限に抑えられ、スト明け後も定時到着率は高い水準を維持したままにできた。
これもぬたりの言いたいことは分かってもらえると思うな。あれが悪いそれが悪い、なんて単純にギャーギャー言ってたら、かえって事態を悪化させるだけなのよ。コメント厨どもはそれでもいいけど、当事者は、ねえ。

まあ、コンチネンタル航空は稀有な成功例。滅多に出来ないから稀有たり得てるわけで、同じようにするのは相当に難しいんだがね。でも前例があるんだから、やれなくもないんで、まあ、経営陣も従業員も、お互いの否を認めるところから始めたらいいんじゃないかね、と無責任に言ってみたりね。だってぬたりはあそこのプロダクションの人全員が路頭に迷っても別に困らないもん。お好きにどうぞ。
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コンカッション

2018年05月16日 22時07分41秒 | つぶやき
過去にNFLでも。日大アメフット悪質タックル問題への処分はどうすべきか?(←リンク先はヤフーのニュース)

本来ニュースに関してのネタは扱いに慎重で、あんまりやらないようにしてるんだけども、アメフトのニュースともなると、一応反応しておこうという気にはなるな。
ただ、ぬたりはNFLこそ好きだが日本国内のアメフトの試合にはそれほど興味はなく、まあ、関係者でうまく事態の対処してくださいな、くらいしか思わないんだけども。あんなん野放しにしたらただでさえ少ない日本のアメフト人口がさらに減少するわ、というのはそのとおりだとはぬたりも思うが、それは関係者が頭を痛めればいい話でぬたりには関係のない話。NFLに人材供給も行えていない(NFLの歴史上、ロースターに登録された日本人はいない)現状では、NFL観戦を主とするぬたりの趣味の世界に影響もないし。
で、そのNFLにおいても数年前にこういう故意のラフプレーが問題になったことがあってNFLファンの間では承知の事実なんだけれども、案外取り上げてる人が少ない。上記の記事に記載はあるが、軽くなぞっただけの上に情報が間違ってる。今回の問題から話は横に逸れるが取り上げてみようかと。まあ、横に逸れるからこそぬたりがわざわざ取り上げるんだけれども。

問題が発覚したのは2012年。チームはニューオーリンズ・セインツ。問題行為の内容は「ディフェンス選手が相手の任意の選手にケガを負わせると、ディフェンスコーチから報奨金がもらえた」というもの。今回のようにプレイ後の話ではなく、あくまでもプレイの中で、と言うことなのだが、相手を壊すことを同じように推奨していた訳よ。セインツは2009年にスーパーボウルも制しているが、この際に件のディフェンスコーチは既に在籍していた。このため過去の栄光すら真っ黒に塗りつぶされることになった。
んで、この際の処分内容は以下のとおりになる。
・ヘッドコーチ、ディフェンスコーチ、該当選手(一部)の1年間の出場停止処分(選手に関しては後に処分取り消し)
・チームに50万ドルの罰金
・2012年、2013年のドラフト2巡指名権の剥奪
・GMのシーズン半分のチーム強化関与禁止
以上である。逆に言えば、これしか正式に処分は下っていないんである。今回の日大の件のネットでの盛り上がりを見るに、「NFLの処分は軽くないか?」と思う人もいるだろう。
実際、関係者は今もNFLにとどまっている。セインツのGM、ヘッドコーチは今も同チームの同職を務めているし、ディフェンスコーチについては、今も別チームでディフェンスコーチを務めている。リンク先の記事では「5年間の謹慎」などと書いてあるがこれが大ウソ。違うチームのディフェンスコーチになったのは2016年なのでこれですら4年で記載と違うのに、このディフェンスコーチは1年間の出場禁止が解けてすぐにテネシー・タイタンズのアシスタントコーチを務めている。処分後の謹慎なんてしちゃいないんである。このあたりの記載が大手を振って許されるあたり、日本でのNFLの人気の無さと、ニュースサイトのテキトーさがにじみ出てるわな。
話を戻せば、選手生命を絶たれかねない危険行為に対する処分がこれかよ! と不満に思う人も多かろうが、彼らはそれ相応の十字架を背負わされたことは間違いない。
セインツ自体が、ドリュー・ブリーズというリーグ有数のクォーターバックを擁しながら、近年全体的に精彩を欠いているし、ヘッドコーチも問題発覚前は「弱小チームをスーパーボウル制覇に導いた」と名将と持てはやされた2010年頃に比べると評価は微妙になっている。ディフェンスコーチも今も職にあるとは言え、正直評価は芳しくなく、今の所属チームは弱小チームも良いとこ。当時の選手たちもその後精彩を欠き、言ってみれば、リーグではなくその後の境遇が罰を与えている形になっている。
今回の日大とここに書いたNFLの件は危険行為というベクトルは同じでも、細部や状況は結構違う。だから一概に語るわけでもないが、所属する団体の処分が全てではないし、その処分についても色々な形があるぜ、ってことが言いたいのよね。ネットでよく見かけるのが「〇〇処分は当然」みたいな意見だけれども、その場所や事情で「当然」は変化するので、その「当然」の基準はどこから来るのさ? とは思うな。自分の中の「当然」だとすれば、他人は多分違うぜ。ちなみにNFLの不必要なラフプレーが見たけりゃ、youtubeあたりで「Ndamukong Suh」とかと検索してごらん。NFLのディフェンス選手でも有数の高給取りになった某選手の過去の色々な所業が見られるよ。この人ずっと現役続けてますぜ。来シーズンは年棒15億くらいらしいね。

それにしても、今回の出来事をもってみんなあれこれアメフトについて語ってるんだから、これを機にアメフトのことをもっと学んでいただいて、日本で少しは人気が出てくんねえかなあ、とは思うんだけどなあ。そうしてもう少しNFLのテレビ無料放送も見やすくなるともっと良いんだけどなあ。今は数字取れないからド深夜の放送ばっかりだもんなあ。まあ、どーせみんな語りたいネタが欲しいだけだから、良いだけ語って気が済んだらアメフトのことなんか忘れちゃうんだろうけどな。
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ま、得てして発言量と知識量は反比例するもんで

2018年05月11日 20時04分07秒 | つぶやき
メンバーがねえ・・・。
とまあ、時事ネタかましてみるも、語ることはなかったりする昨今。だってこの年になればジャニーズのタレントなんか興味ないもの。JKにしたって、そらネタにはしますがオッサンぬたりにとっては今更性的の対象にはならん。アダルト系のコンテンツとか見ても最近はOL物とかの方が(禁則事項です)
でまあ、アルコール絡まりの入院がどうたらという話も出てきてまして、あれこれテキトーに語られるのを見るに、やっぱり普通の人にとってアルコール依存症なり精神科病院なりは遠い存在なんだなあ、ということを改めて思いましたな。まあ、そんな話題が身近になってもらっても困るので、これはみんなの生活が比較的平穏無事な証拠なんだが。
良くある勘違いに「精神病院は一度入るとなかなか出られない」と言うのがある。アルコール依存症の病棟も法的には精神科病棟になるので、こういう考え方が出てくるんだろうけれども、これ実は一概には言えない。特にアルコール依存症で入院する場合、退院自体は良くも悪くも案外簡単だったりするのよね。
他の病院と違い、精神科病院には本人の意思と関係なしに入院できる制度が存在する。いくつか種類はあるけれども、一番多いのが「医療保護入院」というもので、これは家族の同意による入院。入院の必要があるくらいに症状が重いが、本人の判断能力が低下している場合に家族の同意を得て行われる入院。これは家族が同意しなければ退院ができないものなので、入院している本人にしてみれば「退院したいのになかなか退院できない」という意識にはなる。また、本人が病識が欠如するくらいに症状が重い訳だから、入院は必然的にある程度長くもなる。なかなか出られない、ってのは多くがこれ。一方精神科病院も病院である以上、入院するような症状があって本人が「入院します」と言えば入院はできるわけで、これを「任意入院」と言う。任意入院なんて言葉は初めて聞くだろうが、普通科の病院の入院は全部これなので改めて「任意」なんて言葉はつけてないだけでな。
話をアルコール依存症に戻せば、他の精神科の症状と違い任意入院の割合が高い。アルコールでポカして、何とかしたいと精神科病院の門を自ら叩く人が多いからね。まわりに促されて渋々行くにしても、実際の被害という点においては、精神疾患に比べ本人にも見えやすいし。
で、アルコール依存症については不治の病、という話はよく聞くと思うが、実際正直なところ、特効薬もなければ「これ」という治療法もない。一応アルコールを飲むと気持ち悪くなる飲み薬くらいはあるが、逆に言えばそのくらい。よく言う例えは「漬け物のキュウリはどうやっても生のキュウリに戻れない」って感じ。
上記の薬もそうだが、こういうのは本人に治す気がなきゃ得てして治療にならないのが現状。だから本人にアルコールに頼らない生活を学ばせる事ができれば退院なんていつでもできる。逆に言えば、本人がそれを学ぶ気がなければ、どれだけ入院しててもあまり意味がない。アルコールが必要ない生活を送るために病院で規則正しい生活を送りつつ、少し体を休めるわけだ。
この「少し体を休める」が精神科病院の入院では割と大事で、入院を、なんて話になってきている事態であれば、生活も乱れて薬出されても飲んでないから、きちんとした生活リズムの中で、体調を一度リセットさせる、っていうのは、一見地味だが案外大切なことなのね。
だからアルコール依存症に限らず、昨今精神科病院の入院期間というのは実はそんなに長くない。平均では3ヶ月から半年と言われ、症状の急性期さえ乗り越えれば、案外簡単に退院させる。あまり長期の入院をさせたがらない、というのは今の日本の保険診療の方針であり(これについても賛否両論あるけどここでは置いておく)、それは精神科病院でも基本は変わらないのよね。
とにかく多いのが「精神病院は閉じ込めておくところ」という考えを持っている人。そもそも日本の精神科病院のあり方が長いことそういう感じで、そういう考えが浸透するのは仕方なく、それ自体は責められない。ただ、そもそも精神科だろうと病院である以上、患者の治療行為を行うところである、という大原則を忘れてはいけない。治療行為を行う余地がなければ、その人は退院すべきなのね。精神病患者は閉じ込めておけ、なんて意見は、もはやWHOあたりに加盟しているのであれば非常識な意見であることは知っておくべき。実際名指しで日本の精神医療は批判されてますわ。
ただ、繰り返しになるが「閉じ込めておけよ」という感覚を普通の人が持っていることはあまり責められない。実際何十年と「精神病院は精神病患者を閉じ込めておくところ」だったんだから、人の常識はそんな簡単には覆らない。まあ、こういう感覚は時間をかけて方向修正するしかないんだけども、いまだに情報を売り物にするマスコミがこういう事を垂れ流すってのは許されないと思いますけどね。実際ググってみたら「精神病者を閉じ込めておく場所は刑務所か精神病院しかない」なんて記述見かけましたからね。ホントマスコミって害が多いわ。そういうこと書く人に限って、医療観察法の存在や対応病棟の整備状況なんか知らないんだろうしな。ため息しか出ないわ。
アルコール依存症に関して言えば、そもそも「ここからが病気」と線引きできる病気じゃないんだよ。晩酌しなきゃ気が済まない人だって依存と言えば依存なんだから。他人に迷惑をかけるか否かが一応の線にはなろうが、これにしたって人によって違う。ずぶずぶの依存だけども単身者で誰にも迷惑かけずに酒飲みながら生活をしている人と、少し酔った時のちょっとした大声でも家人が気にしてしまう人。症状とすれば前者の方が重いが、医療行為の対象となるのは得てして後者。こんな具合にアルコール依存症だからといって一列に語るのがかなり難しいことは分かっていただけるんじゃなかろうか。だから、アルコール依存症イコールこういう状態、と事情を知らない人が勝手に判断して、誰々ががそうだそうじゃないと語ることに意味なんてないことはお分かりいただけるかと。ツイッターあたりは個人の雑談なんだからまあいいけどね。無意味なおしゃべりほど楽しいもんだし、無意味なことが無意味だと分かって楽しむ分には、まあネタ的にお上品なことではないけどもしょうがないね。
実際ぬたりはこんな意味のないブログ書くのを長々と続けてますからね。あんまり人のことは言えんわな、というのが今日の〆だったりするんですけどね、はい。
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チョイナ チョイナ

2017年12月05日 20時39分49秒 | つぶやき
さてさて、ぬたりの地元のJリーグチーム、ザスパクサツ群馬の来期J3降格が決定しましてね。
しかしこういうどうしようもない状況になればなるほど2ちゃんねる(今は5ちゃんねるか)の板が冷静さを帯びてくるのには苦笑。他の掲示板ではまだまだあれが悪いこれが悪いという発言も見られるんだけども、5ちゃんねるに関してはそんな議論はとうに通り過ぎて「過去のあらゆることが悪かったんだ」という結論に至っているのね。
そもそもザスパの歴史自体が割と後ろ暗いものがあるのが事実。JFL時代、当時本拠地の草津町のグラウンドでは観客席が足らないので「仮設ではあるが観客席を作る。作った後は草津町にそのまま寄贈する」という話で町から補助金をもらい、その実、観客席はレンタルで試合後とっとと撤去された、なんていう不祥事起こしたのが最初。Jリーグ昇格後も観客数と広告看板の申告で競技場所有の県に虚偽の申告して後からバレたり、リーグの経営難クラブに対する低金利貸付制度の第1号になったりと、経営的には正直褒められた形とはほど遠い。そもそも予算規模自体がJリーグのチームとしてはかなり小さくてな。そんな中でやっていくとなれば結構無茶をしないとってことは素人目にも分かる。
上記のように行政との間に前科があるクラブとなると、行政の支援も及び腰になるし、県サッカー協会との関係性も微妙だったわけで、知れば知るほど明るい話題がない。今期の迷走に関しては、一部サポーターやライターさんはGMの所為社長の所為監督の所為と問題を矮小化して騒いでいたが、正直なところ、それだけの問題じゃないのよもう。それらも確かに悪いんだろうけども、もうそんな小さな問題じゃないんだよこのクラブ。人口数千人の田舎の町でJリーグ目指すのも、強引に経営費用を圧縮するのも、県のサッカー協会との間に協力関係築かなかったのも、スタジアム要件充足のためだけに前橋に出てきたのも、そのくせ本拠地は草津だと言い張ったのも、他チームの代表者に権力持たせたのも、これらがみんなみんな積もり積もって今に繋がっているわけ。これらをきちんと解決してこなかった訳よ。県サッカー協会との関係性に関して言えば、専務理事をGMとして呼び込んだことで前に進むかと思いきや、ほぼ追い出すような形で辞任になっちゃったわけだしね。これが今後響かなきゃ良いけどな。
少なくとも、ザスパ草津というチームが大きな注目を浴びたことは過去にあった。温泉街で働きながらプロを目指すユニークな取り組みで、ユニフォームをユニクロが提供、なんてニュースになって好意的に取り上げられていた。もちろんスタジアムもなくて地域住民も少ない田舎でJリーグのチームなんて実現は不可能という声は当時からあったし、この不可能を無理くりねじ曲げたことがケチのつけはじめなのは確か。でもこれを批判するのは酷、と言うかぬたりはこのチームのここだけは批判する気にならないな。そういう実現不可能と思えるような「夢」があったからこそいろんな人が集まってきたんだし、話題にもなったわけだ。そして「夢」があったからみんなつらくても楽しくがんばっていられたわけだ。群馬県リーグ所属時、観戦に訪れたぬたりが草津町のグラウンドで見たのは、応援する側される側、どちらにもあった明るい笑顔だったんだから。あの笑顔は「夢」があったからこそのもので、その夢が間違っていたとはぬたりは口が裂けても言いたくない。要は夢の実現方法をどこかで間違えて、それを正すことをしなかったんだろうなあ、と思う。
ぬたりはサッカーに興味もなく、ザスパというチームを応援する気もさらさらない。だからチームがどうなろうと知ったことではないのは大前提。ただ、あの頃のように応援する側もされる側もあんな風に楽しそうな笑顔で溢れた場所ができるのであれば、それはとても素敵なことだと思うよ。今は応援する側される側、どちらにもそんな笑顔は全く見られないわけだし。
そういう風にする努力が今後できると良いけどもなあ。でもそれができてればこんな風になってないってツッコミもできるのは事実だしな。さて、経営側もサポーターもどう動くのか。こちらとしては、無責任に見させてもらうよ。
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残留すりゃいいってもんじゃねえだろ

2017年09月20日 19時49分09秒 | つぶやき
さてさて、夏も終わろうかという昨今、ぬたりの地元、群馬を本拠地とするJリーグチーム、ザスパクサツ群馬はJ2で最下位を邁進中で、今期の下位リーグへの降格圏内はほぼ確実となっている。今年は入替戦はないので降格圏内はイコール降格とはなるんだが、J3リーグの状況によっては降格がないこともある(J2ライセンス持ってないところがJ3の1位2位になれば昇格できないから降格もない)。
んでまあ、成績が低迷すれば色々なところで不協和音が起こってくるもんでね。サポーターからの不満はかなりのレベルになっていて、ツイッターあたりで「ザスパ」の語句検索かけても、それはそれは様々な不満が渦巻いている。チーム内のことに関しては、例えば選手が起用に不満を述べるとかそういうことは聞こえてこないけど、これは聞こえないだけ、って可能性もなくはないなあ。J2チームあたりになると内情なんかは地元マスコミですら追いかけないしな。練習の雰囲気は良いらしいが。
ただ、ザスパについては今季急に駄目になったわけでもなく、チーム設立当初から燻っていた問題が、ここに来て表面化しているという部分がある。本拠地の問題、予算の問題、組織マネジメントの問題、サッカー協会との関係性。そういったものが一つとしてきちんとした解決を見ないまま、降格確実という大きな事態を前に顔を出している、っていう言い方が正しいかも。去年だって降格圏ギリギリだったわけだしな。その去年と、問題に関しては何も変わっていない。
数年前、資金問題が発覚した数年前にライターさんが書いてたんだけれども(記事はもう削除されてた。今の状況にも通用するおもしろい記事だったんだが)、とにかく前橋の町を歩いていても、うちの町にJのチームがあって、みんなで応援しようぜ、という感じは感じられない。その記事ではポスターの貼ってあった店に話を聞いたようなんだが「貼ってくれって言われたから貼ってるだけ」「(観戦には)行かないよ、弱いもの」とまあ、おおよそ好意的とは言えないことを書かれただけだった。
あれから数年経つけど状況は全く変わっていない。ポスター貼りは継続してるようだけれども継続してるだけ。どんな風に応援してもらおう、今興味を持ってない人にどんな風にチームを知ってもらおう、愛着を持ってもらおう、という姿勢はお世辞にも形になっているとは言えず、今、商店街のポスター貼ってある店に話聞きに行っても、多分同じ話を聞くことができるはずだ。「貼ってくれって言われたから貼ってるだけ」って。これがいわゆる本拠地の問題ってやつで、前橋市民にとってザスパは「最近余所からやってきたチーム」という感覚があるわけでね。前橋のチームなのか草津のチームなのか、この辺りが実は曖昧なまま今に至るわけ。これに関してはチーム名を「ザスパ草津」から「ザスパクサツ群馬」に変えることにより、草津だけでなく群馬のチームであることをアピールすることにはしたのだけれども、遅すぎた感もある。草津を名乗って前橋でしばらく試合をやって、「ああ、草津のチームなのね」といい加減認知された後での改名だからね。ま、今のチーム名の命名センスはここでは触れないが(おい)
で、実は前橋には別のクラブチームが存在する。2017年シーズンは関東2部リーグ所属のtonan前橋である。活動実績は30年以上あり、市民への認知度はそこそこある。Jリーグにも百年構想クラブ(要は準加盟で、将来のリーグ入りを目指しているチーム)として承認もされている。お互いライバルと言えば聞こえは良いがそんな良いものじゃない。tonanとすればぽっと出で地元に居座られてる存在がザスパ。ザスパとすれば、会場規格充足のためのやむを得ない前橋移転で、ファンを増やす際の目の上のたんこぶ、とまあ両者の関係は実に微妙なもの。
で、このtonanの代表者がザスパのGMを今は務めているってんだから話はややこしい。GM個人の能力に関しての話は横に置くとして(昨季あたりまでは観客動員の増加や収益改善など明るいニュースも実際あった)、なんでこんなヘンテコなことするんだか。実際サポーターからの評判はすこぶる悪い。
そもそも結構強引に成長してきたザスパに対して県のサッカー界の姿勢は微妙。草津を名乗りながらスタジアム問題を解決するためだけに前橋に移転してきたことから、さらに前橋のサッカー界を鼻白ませていた部分もあるしね。ちなみに件のGMは県サッカー協会の専務理事ですけどね。見方によってはやっと県のサッカー協会との共同歩調が取れるようになった、とも言えるけれども、それにしたってJリーグにその存在が認められている他チームの代表を関係者に引っ張ることはねえだろうよ。両者の合併を狙ってのものとかチーム乗っ取りとか、色々と噂されちゃうわけだからね。噂で済むのか実際にそうなのかは知らん。興味もない。
組織のことはこの際置くとしても「地元に愛着を持ってもらう」「お金の問題を何とかする」はいつか何とかしなきゃいけないことだったわけで、今回下部リーグに降格するなら、その辺のことを見つめ直す良いチャンスになるんじゃなかろうか(と言うかやらなきゃいよいよジリ貧)。サポーターがかわいそう、という意見もあって、それは確かにそうだけども人間は案外たくましいし興味は移ろいやすいもの。ぬたりの知り合いでかつてザスパの熱心なサポーターやってた人は、地元のザスパの応援楽しい→たまには他の試合を見ようかとレッズの試合見る→レッズ応援にはまる→闘莉王のプレーに魅せられる→闘莉王グランパス移籍とともにグランパスサポーターに→闘莉王サンガ移籍とともにサンガサポーターに→サンガのユニ着てコアサポの隣で応援(←今ここ)。こんな経緯を辿ってる人が実際いる。地元のチームを無視しても、やろうと思えばJリーグで他に楽しみを見つけられるもんなのよね。

ま、サッカーに興味のないぬたりには他人事でしかない。ザスパがなくなってもぬたりは別に困らないし、存続できる程度には関係者さんはがんばれや、という無責任な言葉しかかけようがないな。しつこいようだが、経営問題が表面化した際にぬたりは間接的とは言え払いたくもない身銭を切らされている。だからこれ以上の支援など考える義理はもうないし、ザスパに対して良い感情は持っていない。ぬたりが陰湿で根に持つタイプであるのは自覚があるにしても、強引に金策を行うと言うことは、そういう層を生むと言うことなのな。それを数年前にやってしまった、ということは、チーム関係者は自覚しやがれや。
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ま、趣味のブログにたった一つの正解なんてないし

2017年08月05日 17時13分43秒 | つぶやき
更新サボってました。すいません。

これからもサボりがちよ(おい)


いやもう、ただでさえ個人ブログなんて「チラシの裏にでも書いとけよ」と突っ込まれがちなのに、頻繁に更新のないトコともなれば「とっとと畳めよ情報資源の無駄遣いだ」と言われかねないんだけどもね。
実際4月以降の更新頻度低下はもうどうしようもない状況になっている昨今。きついとまでは言わないが、精神的余裕が確実に削り取られてるのよねえ。ブログ書くよりだらだらしたい、という欲求に勝てない。
ブログをやっている以上、更新しないよりは更新した方が良いのは当然なわけで、あれこれとネタ探しはしているわけなんだが、とにかくまあ仕事の状況が特殊すぎて、ネタをこねくり回す心理的な余裕がないのよね。ネタになるかもなあ、と言う出来事はぽつぽつあるんだけど、それを長文に起こそうという気力が起こらない。書き出してもなんかおもしろくならない。
ただでさえ結婚してから更新頻度は低下しており、4月の異動以降はそれに加速がかかっている。そんな状況にあっては、さすがに以下の問いを何回か反芻している。

情報発信をブログでやる必要ある?

そもそも個人のブログ自体がもはやツールとしてはやや古く、昨今の流行はSNS。文章であればツイッターとフェイスブック。写真であればインスタグラム。その方が圧倒的に気楽に投稿出来る。
ぬたりとてもツイッターとフェイスブックはアカウントを持っている。これを使えば別にブログを使わなくても良いんじゃないの? という問いは当然だし、実際多くの人がブログからSNSに流れてると思う。だってそっちの方が使いやすいんだもんな。
で、突き詰めていくと冒頭あたりの「どうしてお前はチラシの裏に書くんじゃなくて、ネットに文章を開陳してんだよ」という根本の疑問にも行き着いてしまうのね。ましてやここのように定期訪問者は推測で数人しかいないような過疎ブログであれば尚更のこと。その疑問にたとえ歪でも答えを持っていないとブログは続かないし続けても意味が無い。

かなり語弊のある言い方だが、ぬたりの答えは「ぬたりは病気だから」である。

かなり前にどこかに書いた気がするのだが、とあるゲームで、登場人物が、ネットで日記をアップする無名の見知らぬ人とそれを好んで読む自分を「病気」と表した場面があった。
ネットにアップされた日記は日記でありながら特定の誰かに読ませる目的で書かれている。だが、そもそも、特定の誰か、とは自分のことを真に理解してくれる理想の誰か、であり、そのような人間はこの世にまず存在しない。すなわちアップされた日記は特定の誰かに書かれた形式を纏っているが、その実、誰に対して書かれたものでもない。そんな文章を書いてアップするというのは恐ろしく孤独な作業であり、その作業を好んでやっている姿勢は「病気」と言える。そしてそれを好んで読む自身も「病気」と言える。そんな会話のシーンがあった。
ぬたりがこうして書いている文章も、当然誰かに語りかける口調で書いてはいるけれども、実は語りかける対象はいない。それが分かっていながらも書いている姿勢は、なるほど語弊のある言い方かもしれないけど、「病気」と言っても良いかもしれないな、というのは常に思っていること。だからこうしてちまちまと文章を書くのをやめない。まあ、今のところ誰に迷惑かけてるわけじゃないから、病気っつっても治療が必要というわけではないが。
そういう状況だから、読む人が曖昧なブログの方が性に合ってるんだろうなあ、というのが自己分析。SNSだとフォロワーにダイレクトに届くからね。ブログだとわざわざ読みに来なきゃ届かない。ブログだと「わざわざ来たお前が悪い」という言い方も出来るが、SNSの場合、「やかましいわ、俺のTLに全文表示されんだよ!」と言う反論を食らう恐れがあるしね。

とまあ、そんな感じで、ぬたりはブログという手段を捨てられずにいるわけさ。更新頻度は落ちてるんだけれども、じゃあやめようか、という気にはあんまりならないのよね。
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悪人

2017年07月09日 21時11分07秒 | つぶやき
と言うわけで、昨今精神医学系の本(本格的な医学書じゃなくて読みものとしておもしろいのが中心だけどね)を多少読みかえしてるのでネタにするが、ネットで精神病関係の発言する連中が大好きなのが「サイコパス」と言う言葉。
ここ読みに来る「お好きな方」なら、ネットで使われるその用語の意味は概ね分かると思うが、犯罪を嗜好する人とか、罪悪感がない人とか、そんな感じで使われますね。
で、この言葉を精神医学用語だと思ってる方も多いと思うんですが、これが厳密には間違い。少なくとも現在において、カルテに「サイコパス」と書かれることはほとんどない。診療の事実上の基準となっているアメリカのDSMという診断基準に、サイコパスやサイコパシーと言う言葉がもうないからなのね。
とは言え、かつては確かにそういう用語が使われていたことは事実でね。「精神病質」と言う名前でこれの英語がサイコパシー。これに罹患してる人をサイコパスとは言った。ただその言葉は今ではもう使われなくなっていて、サイコパスに類する人は「反社会性パーソナリティ障害」と呼ばれている。こう言い換えられたのはずいぶん前だから、今や現役の精神科医で精神病質なんて言葉をカルテに使う人はいない。サイコパスという言葉もまたしかり。
で、心理学においては一応まだ現役の用語。精神科医学の世界においては、雑談には使うかもしれないけど、実際の現場でその用語が使われることはまずない。実際、「カプラン」というクッソ高価な臨床精神医学テキストを紐解いてみても、「サイコパス」や「Psychopathy」という言葉は出てこない。綴り的に「Psychopathology Inventory for Mentally Retarded Adults」という言葉が出てくるが、綴りが近いだけ。Psychopathologyってのは精神病理とかそんな意味で、直訳すれば「知的障害成人者の精神病理目録」とかそんな感じで、意味的には全く関係がない。
まあ、精神科医療と心理学ってのはそれなりに近しい立場にあるし、フロイトの本あたりは精神科医も勉強で読むけれども、それは精神科医療の歴史を学ぶために読むんであって、自分の治療に役立たせるために読むものじゃない。
で、みんなが思うのは、「サイコパスが今では反社会性パーソナリティ障害という診断名なのは分かった。じゃあ、その診断されれば罪は軽くなるのか?」と言うことだと思う。この答えは実は微妙な回答しか出せない。イエスでもありノーでもあると言える。まあ、回答とすれば限りなくノーに近いが。
そもそもの話として、重大事件であれば逮捕→裁判の流れは止まらないと考えて良い。そして、反社会性パーソナリティ障害は、「障害」と名前がつくように、病気とは一概に言い切れない部分もあり、それだけをもって罪を軽く出来るかといえば結構難しい。パーソナリティ障害なんか病気じゃない。ちゃんと逮捕して罰を科して、悪いことしたんだということを体にたたき込むしかない、という精神科医も多いからね。
要は順序が逆で、反社会性パーソナリティ障害で困ってるから、と自発的に医者にかかれば治療(つーても直接的に作用する薬はないからカウンセリングと行動療法が中心)の対象とはなるが、それが元で犯罪を犯したからと言っても、そこは性格のもんだから刑が軽くなる可能性は低い、とまあ、そんな感じ。
実際例を示せば、ぬたりが生まれた頃、ぬたりの地元を震撼させた某連続殺人事件があり、犯人は死刑(執行済み)となったわけだが、彼にもきちんと精神鑑定の診断書が残されている。そして、そこにはしっかり「精神病質(当時はこの言葉をまだ使っていた)」の名前が踊っているのである。精神鑑定でサイコパスの診断は下されていたのだ。
しかしながら刑執行は止まっていない。判決から死刑執行まで3年弱と結構早い。連続殺人であり、罪があまりに重すぎるのはあるけれども、サイコパスがほとんど酌量の材料にもならないことが分かりますね。

まあサイコパスと言う言葉をネットで弄ぶのは別に良いけどね。ネット自体が言葉を弄ぶ場とも言えるし、ぬたりもこうして言葉を弄んでるわけでな。でもそれは罪を起こした言い訳には使えるかもしれないけど、言い訳「にしか」使えないことは留意しておいて欲しいところね。
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サイコドクターあばれ旅

2017年05月31日 21時55分11秒 | つぶやき
今更ながらASKAの「700番」を2冊読む。いやあ、追い詰められてたんだねえ、この人。で、そこから新たに楽曲作成を再開できる(しかも新しい楽曲の評判も結構良い)あたり、やはり才能ある人というのはすごいわ。

さてさて、別にASKAを責めるつもりもなく、別に誰の落ち度があるわけでもないんだけども、一つだけ思うのはASKA自身と精神科関係者の認識の違い。そしてこれは多分ほとんどの人にも違いが分からないだろうと思ってネタにする。
彼が精神科病院に入院したことは、ASKA自身は「盗聴をされていると言っていることが妄想と言われて入院になった」という認識でいるようだ。もちろんこれは間違ってはいない。彼のカルテに「妄想」と言う文字が全くないってことは想像できない。
ただ、注意しなければいけないのが、たぶん医師は妄想の内容がどうこうと言うことに関してはそれほど重きを置いていないのではないかと言うこと。
そもそも、彼が本当に盗聴されているかどうか、彼が本に書いたような組織的な盗聴や監視体制が本当にあるのかどうか一精神科医に分かるはずがない。すなわち彼の訴えの主である盗聴や監視に関して、妄想であろうと推察はできても、100%それは妄想だと断じることはできない。あの本を読んだ人なら分かろうが、盗聴に関してはあまりにも話が大きすぎて、正直本当かどうか首をかしげざるを得なかったはずだ。それは精神科医も同じ。ただし、そういうことが100%ないと言える材料は我々にはない。それも精神科医とて同じことなのね。そもそも患者が訴えることを「とりあえず事実として受け止め、その心の動きを察する」と言うのは精神科医の初歩の初歩。我々の様にハナからこれは妄想だ、と決めてかかりはしない。
では精神科医はどこを見ていたかというと、その盗聴という事態に対する彼の行動や態度、そのことにどう立ち向かっていたか、だと思う。彼の著述を読むに、彼はこの盗聴にはかなり神経をとがらせていたことだけは間違いなく、夜を徹してパソコンを叩くこともあったようだ(そのパソコンで盗聴されているらしいのだが)。そういった、その事項への過剰なのめり込みを医師は危険視したんじゃないかと考える。このまま行ったら、あなたその考えにとりつかれてますます追い詰められちゃいますよ、って感じで治療を勧めたとしても、ぬたりはそれほどおかしいとは思わない。盗聴が事実かどうかは分からないけれど、そのことばっかりに夢中になって、他のことが眼中になくなってるという「状態」は是正した方が良いよ、という感じ。まあ、正確なところは診察した医師に聞かなきゃ分からない。そして医師には守秘義務があるから、みだりに他人に診察内容を教えることはない。だから正確なところは、家族でもない限りまず分からない。

さて、ファンの方には申し訳ないけれど、この本の記述に関しては、良い意味でも悪い意味でも信用はできない。盗聴が事実なのか妄想なのかの判断も一切下せない。妄想だと決めつけてかかっている人もいるけれども(まあその可能性が高いのは確か)、一連の騒動でのマスコミの加熱具合を見れば、たとえどんな情報だって欲しいという層は確実に存在すると言うことを示している。本人の了解のないまま未発表の音楽データが暴露される、なんて信じられない行為が天下のテレビ放送で何の反省もなく行われているわけだしね。違法な盗撮盗聴のたぐいだとしても情報が欲しいという過激な層が存在しても少しも驚くべきことではない。そこにはニーズが確実に存在するから、盗聴の一つや二つ行われていたとしてもそれほど驚くことでもない。
この本を読んで我々に分かること、それは、ASKAにとっては盗聴は事実としてとらえられていること、彼がそのことによって精神的にとてもつらい思いをしてきた、と言うこと。この本を読んだなら、そのことはみんな慮るべきだと思いますね。


彼の音楽活動は再開しつつある。そしてそれを聞いて「やはり彼には音楽の才能がある」という声もちらほら出てきている。いろいろあってもその上で音楽活動をやっていこう、という意欲が沸いてきたと言うことだろう。そういう良い方向に向かうことの一助に、病院へ入院して規則正しい生活を送って体を休ませたことがなれたとしたならば、彼の入院は決して無駄じゃなかった、と言えるのですがね。そうであって欲しいですね。
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