本日の中日新聞に「民主主義が死ぬ前に」という社説が載った。安倍・管政権が、日本国の三権分立を破壊する寸前まで来ていたとこのブログでも書いてきたが、戦後の日本国政にちょっとなかった民主主義の危機的局面と観てきた。なにしろ絶対多数国会に依拠した安倍晋三内閣が、裁判の起訴権を握る検察庁・検事総長を掌握する寸前まで到達していたのである。この民主主義危機の論点を、本日の中日社説は日本学術会議問題で上がってきた千を超える学会意見書のうち、「イタリア学会」の文面によって論を興していく。
曰く、ローマの護民官は、国民のために、誤った政権を批判するのが義務だった。元老院議事録ができ、公開され始めると、隠れていたローマ貴族の不正ができなくなった。つまり、情報を隠し、説明しないことは、民主主義を破壊する手段になる。
さらに論を進めて、質問に誠実に答えるとか、ウソをつかないとかの「当たり前の礼儀や不文律、慣習」などの「民主主義の柔らかいガードレール」。こういう非公式のルールが法律以上に大切なのだ、と。これらに対して現政権は、
『臨時国会を野党が求めても開かない。あるいは野党に優先させていた質問時間の慣習を破るー、様々な横暴によって、不正あるいは後ろめたい政策への批判を国民に見えなくしているのです。・・・・・反民主主義、つまり個人や社会、思想を権威に服従させる権威主義に向かいます。全体の利益を個人の利益より優先し、全体に服従させる全体主義=ファシズムにも通じる道です。民主主義の「死」です』
このような本日の主張は、やはりイタリア学会の言葉を入れて、こう結ばれている。
『イタリア学会は学術会議問題の本質について「時の権力が何が正しく、何が間違っているかを決めている」と批判しています。的を射ています。国民には説明せず、情報を秘匿しつつ、異論を許さぬ政治手法には、とことん抗いましょう。民主主義が死ぬ前に』