本山政雄さんと言って分かる人はもう少なくなってきました。
しかし、この前の「昭和区平和のつどい」に参加した300人の人々にとってはそれは懐かしい名前でした。「昭和区平和のつどい」に、元名古屋市長の「本山政雄さん」が体調が必ずしも万全ではないところを、本山さんのたってのご希望で出席していただきました。一時は寝たきりに近かったのですが昭和区九条の会との関わりの中で元気になられ出席しお話いただくまでに回復されました。
本山さんは今年、九十七歳。三十五年前の1973年に全国的な社共協力・革新のうねりの中で革新市長として誕生しました。
「平和のつどい」に参加した多くの人々、とりわけ五十歳以上の人々にとっては、革新自治体の誕生、そして革新統一の政府の実現を確信出来た時期でした。
そのためか、参加者の多くの人々が本山さんの元気な姿に感動し、九条運動に百まで頑張るという言葉に感激し大きな拍手を贈りました。
高齢の婦人の中には目頭を押さえる方も多く見受けられました。
とても感動的でハイライトとなった場面でしたが、一方では昭和区九条の会の老齢化を感じさせられる場面でもありました。
しかし、この前の「昭和区平和のつどい」に参加した300人の人々にとってはそれは懐かしい名前でした。「昭和区平和のつどい」に、元名古屋市長の「本山政雄さん」が体調が必ずしも万全ではないところを、本山さんのたってのご希望で出席していただきました。一時は寝たきりに近かったのですが昭和区九条の会との関わりの中で元気になられ出席しお話いただくまでに回復されました。
本山さんは今年、九十七歳。三十五年前の1973年に全国的な社共協力・革新のうねりの中で革新市長として誕生しました。
「平和のつどい」に参加した多くの人々、とりわけ五十歳以上の人々にとっては、革新自治体の誕生、そして革新統一の政府の実現を確信出来た時期でした。
そのためか、参加者の多くの人々が本山さんの元気な姿に感動し、九条運動に百まで頑張るという言葉に感激し大きな拍手を贈りました。
高齢の婦人の中には目頭を押さえる方も多く見受けられました。
とても感動的でハイライトとなった場面でしたが、一方では昭和区九条の会の老齢化を感じさせられる場面でもありました。
二十代の後半だったなあ・・・オレンジの旗の波
太平洋ベルトの大都市を社共の革新自治体が制覇した。最後が名古屋。意地でも革新の砦を築く。
燃えましたね。年休取って走り回った。
そして、栄の交差点にこだましたあの勝鬨の歓声は今も耳に残っている。
あの時、民主連合政府樹立間近しと思った。
そして三期12年、保守に飲み込まれオール与党化し変質していく市制。共産党は袂を分かつ。
あの季節をせめての夢に、語り、今なお賭けようとしている老人も多い。
この記事の写真を見せてもらって、思わずジーンときた。
また復活。
9条は長生きの妙薬かも。