昨日に続いて、前田大然のことを書いてみたい。こういう人物をこそ希有な天才という話になる。前田が、世界サッカー界の今を時めくフランス人キリアン・エムバペになってくれないかという期待を込めて。
まず彼の天才性をその成果として、いくつか。21年にJ1得点王になった時23歳というその年齢は確か、歴代日本人得点王でも2番目の若さであった。この若さで川崎ダミアンと並ぶ23得点をあげたのだが、ここ20年ほどの日本人でこれだけの得点を上げた人物は希有なはずだ。さらに、マリノスには19年のJ1得点王仲川も居たのであって、20年に期限付き移籍と完全移籍とを経たばかりの新参・前田がこの仲川を押しのけてFWの顔になっていたというのは、やはり異例な大事件と言える。こんな若さで、日本人得点王へと急台頭できたその訳を探ってみよう。
サッカー論らしく言えばなによりも、ダミアンが川崎に嵌まったように、20年にマリノスに来たばかりの前田がチームのFWに「水を得た魚」だったということがある。当時のポステコグルー・マリノスと言えば、ハイライン・ハイプレスがその代名詞である。DFラインを押し上げて陣形を縦に詰めた高位コンパクトな陣形を作り、 敵ボールを奪ってショートカウンター得点。これによって、19年に川崎を押しのけて、J1優勝。このチーム戦術でこそ、21年には「J過去最高のチーム得点82」をあげたのであった。前田のどんな能力がこのチームに嵌まったのか。
なによりも、前田大然の攻守にわたる走力、ダッシュの力こそ、歴代日本でも目を見張る断トツなものだ。ヨーロッパサッカーから移入された「ダッシュ力」を計る数値に、「1ゲームで、時速24キロ以上を1秒以上続ける回数」というものがあって、並みの選手のこれは良くて先ず30回までというところだが、前田のこの数値はその倍近いのである。得点王になった21年度間におけるJ全体の「1ゲーム・ダッシュ回数」ベスト20位を観てみよう。純粋な1ゲーム回数だから多い選手は何度も入ってくるのだが、1位~4位がすべて前田で、5位に古橋、6位~9位がまた前田で10位に札幌の小泊。以下20位まで含めても20人中16人が前田という凄まじさだ。ちなみに、このダッシュ力で有名なのが一時代の代表顔の一人岡崎慎司である。この岡崎のダッシュ力にしても良いときで50回台、前田のように何度も60回を超えるなどと言うことはなかったと思う。
さて、このダッシュ力こそこういう力になる。まず、「何回も何回も敵ゴールに急迫する能力」や、岡崎が得意な「身方シュートにも、即ゴールに寄せてこぼれ球を狙う能力」。これらの回数自身が前田の場合、他FWの五割増しというほどにもなるのではないか。そして加えるに、これも岡崎が得意な「ハイライン・ハイプレスに必要なチームのトップで防御に走り回る能力」もある。つまり、先発に使いたいFWとしても、得点チャンスが増えていくのである。
さて、「爆発的な走力によって凄まじい得点力」と言えば、ファンなら今や誰でも知っている「世界一高級取り」のフランス人、キリアン・エムバペ。w杯ロシア大会において、ペレ以来の「19歳出場、決勝得点」から、若手最優秀選手に選ばれた人物である。まだ24歳の前田も1歳年下のこの選手を懸命に研究しているはずだが、彼のような得点スタイルをなんとか身につけてくれないものだろうか。今やスコットランド・セルティックでまた再会したポステコグルー監督も、そんな前田を想像し、期待しているに違いないのである。
今日の最後に、日本の有望サッカー選手を見る目について一言。「ボール扱い技術」ばかり観がちなのでは無いか。この傾向について、この点で断トツの天才である小野伸二が、中村憲剛との対談で、こんな趣旨の(謙遜)発言をしている。「憲剛さんの力はチームを強くできる力、僕のはまー個人技術」というような。これはオシムの言葉だが、「これからの日本サッカーは、スピード!」。伊東純也が久保を押しのけているのはこの点においてこそなのだ。伊東、三笘、前田と、この3人が揃った日本には、何を起こすか計り知れぬ力があると思う。
敵が押し上げていて、そのボールを身方が奪ってエムバペに渡った瞬間、ポーンッとボールを人の居ない前方に長く蹴り出してダッシュ。側の敵ディフェンダーをこのダッシュでぶっちぎっていき、先にボールに到達。そこからまた、人の居ないゴール方面へパスして一人で追いつき、シュート。つまり、一人でスルーパスとシュートをやってしまうわけだ。三笘(がやったガーナ戦2得点目)もこれに似ているが、エムバペのパスもシュートももっと前方へと長いものである。
つまり、ハイライン、ハイプレス時代に打って付けの得点法なのだ。エムバペがいるとこうして、相手はなかなか押し上げられないからボールが奪えないということにもなっていく。
伊東、三笘を観ていても分かるはずだが、ずば抜けた走力があるということはこのように、これを得点に直結させられる道があるということなのだ。